| 注意一秒、恋一生! by 近衛 遼 ACT12 「きゃーっっ、ほんとに、二の宮さまだー」 語尾にハートマークを飛ばしながら黄色い声を上げたのは、めぐみの友達だった。 「あたし、佐久間英美といいます。よろしくお願いしまーす」 耳の横でキンキンと声が響く。 金輪際、めぐみと一緒に出かけたりせへんぞ。天王寺の温水プールで、逢坂将太は切実にそう思った。 この英美という女の子は、どうやらめぐみと同類項であったらしい。36枚撮りのインスタントカメラを手に、 「写真、とってもいいですか?」 返事をする暇もなく、パシャパシャとシャッターを押している。 「こんなに近くで二の宮さまを見られるなんて、しあわせです〜」 なに言うとんねん。凛はパンダとちゃうぞ。 これが自分の妹なら、拳骨のひとつもくれてやるところだ。 「めぐみ!」 写真週刊誌並みの攻撃に業を煮やし、とうとう将太は叫んだ。 「なあに、おにいちゃん」 「おまえ、あれ、なんとかせえよ」 「あれって、なによ」 「わかっとるやろが」 将太は妹をにらんだ。 「迷惑や」 「なにもおにいちゃんを写しとるんとちゃうし……あ、もしかして、写してほしかったん? おにいちゃん、体はキレイもんねー」 体は……って、なんやねん。そら、顔はいまいちかもしれんけど。 思いきり脱力した将太の横を、凛がすたすたと通り過ぎていく。 「あ、凛、ごめんな。あの……」 「なに?」 立ち止まって、振り向く。 「なにって、その……」 「ぼく、あっちで泳いでくるから」 「あ、うん」 「じゃあ」 何事もなかったかのように、凛は横の階段を上っていった。 「ほーんと、きれいよね〜」 英美がため息まじりに言う。 「浮き世離れした美しさがなんとも言えないわ」 「来てよかったでしょ」 「モチよ〜」 異様に盛り上がっている妹たちから離れようと、こそこそと移動しはじめたとき。 「あっ、おにいちゃん、まだ写真撮ってないでしょー」 「おっ……おれは……」 「おにいちゃんて、デッサンとるには最適の筋肉のつきかたしてるんやから。ほーら、さっさとそこに立って」 ちなみに、めぐみは美術部と文芸部に所属している。 「おまえなあ、兄貴をなんやと思うとるんやっ」 「ええやん、ちょっとぐらい。なにもダビデ像みたいに、すっぽんぽんになれって言うてるわけやなし」 「ええことあるかいっ」 「……ふーん、ほんまに?」 ちろりと、めぐみ。 「なっ……なんやねん」 「私、知ってるんだけどなー」 やばい。このセリフが出るということは……。 「知ってるって……」 心当たりを懸命にさがす。じつは将太は、過去何度か、ちょっとした隠し事を妹に握られて、バイト代を巻き上げられたことがあるのだ。 「大学のこと」 「へっ?」 「転部したんやって?」 なんで、そんなことを知っとるんや……。 将太は頭を抱えた。 「おかあちゃんに、言うてもええんかなー」 「……わかったわ。なんぼでも撮りぃな」 完全降伏するしかなかった。 結局。それ以後もこんな調子で、写真を撮られまくった挙げ句に、昼飯代や帰りの電車賃まで払う羽目になってしまった。四人分の交通費と飲食で、夜間工事のバイト代が見事に消えた。 それにしても。 将太は首をひねった。どうしてめぐみは、自分が学部を変わったことを知っていたのだろう。このことは父親にしか話していないのに。 将太は去年、推薦入試で法学部に入学したのだが、今年、学内試験を受けて農学部に転入した。学部を変わることに関して、父親は賛成してくれたが、法律関係の資格を取るように勧めていた母親は反対した。いろいろ迷った結果、将太は母親に内緒で転部してしまったのだ。 逢坂家の家庭内実力者は、母親の皐月である。もしこれがばれたら、ひと波乱あるのは確実だ。 またひとつ、めぐみに余計なことを知られてしまった。 「まいったなあ」 ため息をつきつつ駅に向かう。凛は横で、将太のシャツの裾を引っ張った。 「ん、なんや?」 「あれ、なにかな」 「なにって……ああ、あれか」 将太はくすくすと笑った。 二人の視線の先には、一軒の古びた煙草屋があった。六十前後の店番のおばさんの肩に、白っぽい生き物が乗っている。 ぴくぴくとひげを動かして、丸い目であたりを窺っている。道行く自転車がベルを鳴らすたびに、ぷるっと身を震わせて頭を引っ込める仕種がなんともかわいい。 「フェレットや。あのおばちゃんのペットらしいわ。このへんでは、けっこう有名やねんで」 以前聞いた話によると、フェレット(飼い主は「おこじょ」だと言っているが)の名前は「桃太郎」といって、家に置いておくと寂しがって、病気になってしまうらしい。 「しゃあないから、いっつもこうやって、一緒におるんや」 けたけたと笑って、飼い主は言った。 色黒の飼い主と白いフェレット。思い切りミスマッチなのだが、それがまた面白いというので、煙草を吸わない者までその店に立ち寄って、ガムや飴などを買い求めるようになった。かくいう将太も、何度かガムを買っている。 「もっと近くで見よか」 「え、いいよ、ぼくは……」 「まあ、ええがな。……おばちゃん、ミントガム、一個な」 将太はポケットから小銭を出して、切手盆に乗せた。 「ミントやな。へえ、おおきに」 大きな声で、返事が返ってくる。 「桃ちゃん、元気そうやな」 「そうでもないで。ここんとこの暑さで、だいぶバテとるわ。もともと気ぃ弱い子やからなあ」 「ちょっと見せてもろてええか?」 「めずらしいもんでもないやろが」 「こいつが見たい言うもんで」 ひょいと凛を指さす。凛は困ったように、 「べつに、そんなこと……」 「いやあ、まあ、別嬪さん連れて。桃太郎見せて安心さして、なんぞ悪いことするつもりとちゃうか?」 「あほなこと言わんといてえな、おばちゃん。こいつ、男やで」 将太はあわてて、説明した。 「へええ、ほんまかいな。まあ、どっちにしても、親泣かすようなことしたらあかんで」 「せえへんせえへん」 大袈裟に手を振って、将太は笑った。こういう会話をするのは好きだ。凛は目を白黒させているが。 「将太は、だれとでも話ができるんだね」 帰りの電車の中で、凛が言った。 「せやなー。ま、しゃべるの、嫌いやないし。しゃべってみんと、どんなやつかわからんからなあ」 「話してみて、いやなやつもいるだろ」 「そらまあ、相性っちゅうもんがあるわな」 「どうするの」 「へ?」 「そういうとき」 嫌な相手と話をしなければならないとき。 「うーん、どうするかなあ。まあ、いやなやつとはしゃべらんのが一番やけど、どうしてもしゃべらなあかんのやったら、言いたいことだけポンポンって言うて、『ほな、さいならー』やな」 こっちが苦手だと思っている相手は、概して向こうも同じような感情を持っているものだ。用事は手短に済ませた方がいい。 「どうせ、みんなから好かれるほどええ男でもないし、嫌なやつに気ぃ遣うこともないやろ。そこらへんは、適当にやったらええんとちゃうか」 なにか対人関係で悩んでいるのだろうか。凛がこんなことを言うのは、はじめてだ。いままで、周りのことなど眼中にないという感じだったのに。 「せやけど、みんなから嫌われるほど、ひどいやつでもないやろ?」 将太は凛の顔を覗き込んだ。凛はちらりと将太を見上げ、無言のまま、しかしはっきりと首を縦に振った。 |