go away by (宰相 連改め)みなひ ACT7 「いってくる」 「敬語を使え。『いってまいります』じゃ」 即座に返され唇を結んだ。広げた新聞の向こうから、祖父が見ている。 「いって、まいります」 大人しく言い直して一礼した。祖父が応じる。その声を確認して、俺は玄関へとむかった。扉を開け、ガレージへと向かう。そこには自分の自転車が置いてあった。 快晴だな。 空を見上げて思う。 この分だと、帰りも問題なかろう。 そう判断して自転車に跨がった。ペダルにを漕ぎ出す。自転車が、ゆっくりと動きだした。 卒業式から数日が経ち、公立高校の入試合格発表があった。俺は地元でも進学校といわれる高校に進み、学校側が入学準備と称して出した膨大な宿題を、図書館で片付ける日々をおくっていた。 今日は、風が穏やかだな。 流れゆく景色に思う。土手の上を走っていた。この道はつい最近、久御山に教えてもらった道だ。時間的に電車より早いことと運動不足解消を理由に、俺は隣町の図書館まで毎日、自転車で通っている。 人も、多い。 堤防の下に目をやる。河原にはたくさんの人が来ていた。 「いったー!」 「まわれまわれー!」 カキンと音がして、ユニホームを着た子供が駆けだして行った。土手を降りたところには、グラウンドも公園もある。天気のいい日曜である今日、車で乗りつけては、バーベキューを楽しむ人もいた。 もう、殆ど癖になっているようだ。 漕ぎながら苦笑する。気がつけば目が探していた。人々の中に目立つ、金茶の髪がないか確かめる。 いない、か。 少し視線を彷徨わせ、諦めたように前を向いた。もう何度目かの落胆。どういったわけか俺は、毎日落胆している。理由は一つしかなかった。 『おれな、ご褒美もらえるねん』 あの時、久御山は笑っていた。それまでの綺麗に整った笑顔ではなく、感情の見える顔で。久御山の嬉しさが伝わった。だから「おめでとう」と素直に祝った。笑われてしまったけれど。 『会えるねん、“眠り姫”に』 あの日以来、気になっていた。久御山は会えたのだろうか。あいつが言うところの「眠り姫」に。久御山にあの笑顔を作らせている、その人に。 確かめてみたいと思った。もう一度久御山に会って。しかし、俺はあいつの住む場所も知らない。どこかにいる「眠り姫」に会いに行って、帰ってきたかも。春休み中に出会った友人達は、あいつの家も進路も消息も知らなかった。 二年も同じクラスだったというのにな。 今さらながらに思った。常に皆の中心で笑っていたのに、肝心な所は誰も知らない。あんなに淀みなくしゃべっていたというのに、大切な言葉は出てこない。一つとして。 何故なのだろう。 俺は考える。あいつは俺達に何を見せ、俺達はあいつの何を見ていたのだろうかと。 様々なあいつの姿が浮かぶ。いつも笑っていた。それが何かと考えながら、俺は自転車を走らせた。 「ありがとうございました」 夕暮れ。 俺は渡された箱を手に、ケーキ屋「カリドール」にいた。今日も久御山はいない。一週間あいつが働いていないことを確認して、俺は店の人に久御山のことを聞いてみた。しかし。 「あの子だったら、ずっと来てないのよ。連絡もつかなくてねぇ。今まで真面目に来てくれてたし、そういう子じゃないと思ってたんだけど・・・・」 経営者らしい中年の女は、困った表情でそう言った。仕方がないと俺は諦める。ケーキを持ち、「カリドール」を出た。 手がかりが、全てなくなってしまったな。 自転車の前かごにケーキを入れながら思った。ペダルを踏み込む。堤防の道へと向かった。 暗くなってしまった。 夕闇の中を行く。川沿いの道を戻りながら思った。辺りは薄暗くて見え辛くなっている。予定では、もっと早くに帰るつもりだった。毎日割り当てている問題集のページをこなして。でも。 今日はいつも以上に集中力を欠いた。理由は判然としない。ただやたらと久御山の顔が浮かんできて、その分参考書の数式が頭の中に入らなかったようだ。 このままでは、効率が悪くて困るのだが。 眉間に皺を寄せる。原因を究明したい欲求に駆られていた。それが久御山と関係あることは分かっている。だが、なぜ久御山なのか。 俺は自分が思っているよりも、不快なのかもしれない。 自分が持つこの感じ。それは苛立ちに似ていた。俺は今まで何かに苛立つという経験をあまりしたことがない。殆どは頭で理解して、納得して行動してきた。それがどんな結果になったとしても。 あいつが、理解できないからだろうか。 薄茶色の瞳を思いだした。光る髪の合間から、覗いていた久御山の目。何を見ていたのか。 会いたい。 正直に思った。会って全てが解るわけではない。それでも。 「!」 目に映ったものに思考が止まった。前方すぐ下。三十メートル程先。枯れた堤防の草の上に、人影が見える。 まさか。 ハンドルを握りこんだ。自転車を止める。暗い視界の中に、淡く輝く人工色の金。 「久御山」 思わず飛び出た。呼ばれた人影が、びくりと波打つ。そのまま硬直した。漂う沈黙。 「久御山では、ないのか?」 不安になって訊いた。自分の直感は外れていないと思っている。それでも、答えが欲しい。 「なーんや」 しばらくして、慣れた声が響いた。期待に胸が踊る。 「誰かと思たら、相馬やんか」 振り向いて見上げた。薄暗闇に見える顔。それは紛れもなく、久御山の顔だった。 |