go away     by (宰相 連改め)みなひ




ACT8

 あいつに会えた。
 これで、自分の不快は晴れるものだと思っていた。
 けれど・・・・。


「こーんなとこ来て、どないしたん?」
 さくさくと枯れ草を踏みながら、久御山は堤防を上がってきた。色白の面が近くなる。薄闇の中でも分かる。いつも見た、あの笑みを湛えた口元。
「お前こそ、どうしたのだ」
 不快を隠せず聞き返した。久しぶりにあいつに会えた。会えないかもとまで考えた久御山に。なのに、どうして俺は苛立っているのか。
「おれのことはええねん。ヒマやし、ふらっとしとっただけやから」
 俺の問いを、久御山はさらりと躱した。にこりと笑う。俺が違和感を感じる、あの笑みで。自分の中の苛立ちが、どんどん大きくなっていくのがわかった。
「『カリドール』の店主が、心配していたぞ」
 切り札をだす。声に険が入るのは仕方がなかった。ぴくりと、あいつの眉が動く。沈黙。
「いややわぁ」
 久御山のアーモンド型の目が、ついと一筋になった。弧を描く口元。綺麗に、造られていく。
「知っとるのに相馬、カマかけて」
「カマなど掛けていない」
「おれもウカツやったなー。『カリドール』の箱、ここにあんのに」
 ピンとケーキの入った箱をはじき、久御山は言った。人の話を聞かずに。否。敢えて聞かないのか。俺は感じる。何かが、オブラートのような膜に包まれてゆく。
「どうして辞めたのだ?」
 膜を振り剥がそうと訊いた。久御山が、笑みを崩さず見ている。
「どうしてって、相馬、怖い顔やなぁ」
「顔のことは訊いていない」
「いいやん。おまえの店と違うし」
「それでは理由にならない」
「はー、面倒やなぁ」
 苦笑とも言える表情を浮かべ、久御山は大きなため息をついた。すっと消える表情。白い、面が告げる。
「飽きたんや」
「・・・・・」
「飽きてしもたんや。これで、ええやろ?」
 出された言葉に、急に鼓動が早くなった。拳を握る。
「それでいいのか?」
「どうして?」
「お前は、いいと思うのか?」
 確認を施すように、ゆっくりと言った。久御山が見つめている。口元に甦った、薄い笑みを浮かばせて。
「いいんとちゃう」
「!」 
「隣町まで行くの、面倒やったし」
 するりと返された言葉に、俺は押し黙ってしまった。胸に湧き立つ感情。それは、失望を孕んでいた。

 失望?
 何故俺は、失望などしているのか。

「相馬?」
 考え込む俺に、気がつけば久御山が覗きこんでいた。僅かな光の中に、黒に見える瞳で。
「相馬、もしかして怒ったん?」
 小首を傾げて、あいつは聞いた。俺は向けられた視線をまっすぐに返しながら、口を開く。
「わからない」
「やけど。顔、むっつりしてるで?」
「それは普段から言われる。今自分が怒りを感じているのか、はっきりとは俺にも分からない。しかし」
「しかし?」
「失望は、していると思う」
「は?」
「お前は、もっとまじめだと思っていた」
 事実を告げた俺に、久御山は一瞬、呆けた顔をした。ついで、爆発的に笑い始める。
「もうー、勘弁してぇな!」
 バンバンと肩が叩かれる。  
「そんなん、マジで言うたらあかんやんか!もう、相馬って見る目ないわぁ。節穴やん!」
「どうしてだ?」
「どうしてって、おれ見てわからへんのん?大概、いー加減な奴やんか!」
 笑い転げる久御山に、俺は言いようのないもどかしさを感じていた。これは違う。自分の中の自分が言っている。目の前のこいつは俺の知っている久御山ではない。あの、『眠り姫』に会えると言った久御山では。
「久御山、『眠り姫』には会・・・」
「ええねん!」
 言葉にした問いは、きっぱりと遮られてしまった。久御山の笑顔は消え、きつい眼差しがこちらを見ている。
「会うたよ。だから、もうええねん」
 そう言ってあいつは、くしゃりと顔を歪めた。くるりと後ろを向く。俺はただ、目に映ったものの不可解に捕われていた。
『何故なのだ』
 疑問が湧き起こる。
『何故久御山は、あんな顔をするのだ』
 数日前は笑んでいた。「眠り姫」に会えると、心の底から笑っていた。
『まるで、苦しんでいるような顔を』
 久御山は会ったはずなのだ。会いたかったであろう人に。

「おれな、あしたこの町出るねん」
 声に顔を上げた。前方に久御山の背中が見える。
「信じんでもええけど、十時の快速で」
 あいつが振り向く。向けられた顔には、いつもの違和感を抱く笑みが、しっかりと貼りつけられていた。


『わからんやろ』
 警笛を響かせ、電車が行く。
『わからへんで、ええんや』
 久御山を乗せて、遠ざかっていく。
 俺はあいつが残した言葉を考えながら、小さくなる影を見つめた。


おわり