go away     by (宰相 連改め)みなひ




ACT4

 翌日。
 久御山はいつもと変わらぬ様子で登校してきた。目が合って挨拶する。普通に返してきた。しかしそれきりで、前のように自分から近寄ってくることはなくなった。
 あれから考察したのだが、結局俺には久御山が怒ってしまった理由がわからなかった。思ったことをそのまま言っただけなのだが。俺は確かに感じた。あいつの笑顔に不快感を。どうしてだかはわからない。けれど。
 今までにも相手を無自覚なまま怒らせてしまうことはあったので、そういうこともあると思って日々を送っていた。そして、お別れ会を前日に控えたある日。
「どうしたのだ?」
 朝教室に入って、そのいつもと違う雰囲気に尋ねてしまった。クラスの一員である女子が、振り向きこちらにやってくる。
「ああ相馬君、大変なの。赤井君が入院したのよ」
「入院?」
 俺は目を見張った。
「そう。盲腸ですって。赤井君最近、調子悪かったものねぇ」
「それで、どうなったのだ?」
「昨夜、手術は無事終わったんだって」
「そうか。それはよかった」
「うーん、そうなんだけどね。明日には間に合わないから、みんなでどうしようって・・・」
 女子の言葉で気づいた。明日はお別れ会本番。赤井は確か、王子の役。
「代役なんて立ててなかったし、男子達は殆ど配役ついてるし、劇中にアレがあるから、みんなやりたがらないのよ」
 まったく困ったという表情で、その女子は言った。俺は首を傾げる。アレ。それが皆の嫌がる理由。
「とにかくなあ、そんなん気にせずやればいいんや。このままやったらだいなしやん。卒業記念思て。おれかていややねんぞ」
 聞き慣れた声が響いた。久御山だ。渋る男子達を説き伏せようとしている。
「そう言っても久御山、アレがなくても王子の台詞はたくさんあるんだぜ?あんなの一日で覚えられる奴、いねぇって」
「ほなカンニングしたら?手に書いといたらええやん。そや、黒子とか使う?」
「えー、それはカッコ悪いよ〜。せっかく卒業最後なのに」
「それなら、お前がやれよ」
「あたし、女子だもん」
 わいわいとクラスメイト達はもめている。俺はふと思い、目の前の女子に尋ねた。
「すまないが、台本を貸してくれないか?」
「え?ああ、相馬くんは大道具だったっけ。なら、台本持ってないよね。ちょっと待って」
 女子はパタパタと席に帰り、なにやらかばんを探っていた。すぐに、ピンクの表紙の台本らしき冊子を持ってくる。
「はい」
 手渡されたものを一通り読んだ。確かに台詞は多い。皆が嫌がるのもわかる。
「どう?」
 女子が覗きこんできた。
「多いな」
 端的に返す。
「だが、重複した台詞が多い。『負けるものか』と『愛しい姫君』と『必ず、助けに参ります』が、全体の台詞の四十パーセントを占めている。可能性がないわけではない」
 そこまで分析した途端、ぐいと腕を引っ張られた。ずりずり、皆の中心まで引きずられる。
「みなさーん!王子の代役、決まりました〜!」
「?」
「そうか!相馬なら楽勝だよなっ。なんせ学年きっての秀才!」
「決定!たのむな」
 驚く俺を放置し、皆は盛り上がっている。俺はどうしたものかと考えた。その時。
「久御山もいいよな?」
 誰かがあいつに訊いた。一瞬、久御山の顔が強ばったように見える。次の瞬間。
「ええんとちゃう。下手くそな絵ぇ描いてるよりマシや」
 シニカルに笑み、あいつは言った。それが皆に確定を伝える。
 かまわないのか?
 久御山に聞きに行こうとした時、両腕をがしりと取られた。右に監督係の女子。左は脚本係。
「何をする」
「相馬くん、頼むわね。まだ一日あるもの。十分詰め込めるわ」
 言葉を失う俺の脇で、二人の魔女がにこりと笑った。


 それから一日、俺はみっちりと王子役の台詞と演技を叩き込まれた。いくら暗記が得意とはいえ、それは忍耐な作業だった。姫様役の久御山は、俺がそれらを会得するまで、遅くまで残ってつきあってくれた。
 もう暗くなってしまった道を、久御山と二人で歩く。
「迷惑をかけた」
 遅くなってしまったことに詫びた。久御山は皆に内緒でバイトをしている。ひょっとしたら、今日もバイトを入れていたかもしれない。
「別に。おまえやなくても、劇の練習で残るんは同じや」
 ぼそりと久御山は言った。少し固い声。警戒しているのか。
「しかし、思ったより時間が掛かってしまった」
 王子の台詞は比較的早くに覚えられた。が、演技はそうはいかなかった。
『相馬くーん!それじゃあ田んぼのカカシと一緒よ!』
 うまく動けない俺に、監督係の女子は言った。俺は最大限に努力をしたのだが、慣れないことをすぐにこなせるような器用性は持ちあわせていなかった。
「なあ相馬。明日、ほんまにアレやんの?」」
 不意に久御山が訊いた。俺は顔を向ける。金茶色の髪の下に、悪戯っ子の表情。 
 アレ。
 それは「眠り姫」を覚醒させる為の、王子のキスだった。女子たちはもうフリでもいいと言い、男子はやってしまえと囃し立てた。実際の所は、俺たちに一存される形となってしまっている。
「お前はどう思っている」
 久御山の意志を聞いた。お前は何を考えている。いつもすり抜けるその瞳で。
「おれはどうでもええねん。たかがキスやろ?」
 ふいと目を逸らし、何でもないことのように久御山は言った。俺は、そういうものかと納得する。
「とにかく、中学最後の劇や。失敗せんようにがんばろ」
 その言葉には頷いた。せっかくなのだ。成功させねば。
 ついぞの通りまで来た。久御山が立ち止まる。
「相馬」
「なんだ?」
「明日、逃げたらあかんで。ちゃーんと学校来るねんで?」
 挑戦的な表情。
「うむ。久御山もな」
 普通に返した。すると。
「いややなぁ、そんだけかいな。調子狂うわ」
「そうか?」
「そうや。ほな、な」
 何故だか久御山は困った顔を見せ、小走りに通りを駆けていった。俺は覚えた台詞を復唱しながら、自宅へと足を向けた。