go away     by (宰相 連改め)みなひ




ACT3

 整い過ぎた笑みと、その姿にそぐわない労働。
 あいつは今、俺に何を見せている?


「ほんまに、お前とはよう会うなぁ」
 日曜日の夕暮れ。隣町のあるケーキ屋で、ショーケースの向こうに立つ久御山が、呆れたように言った。薄いピンク地に紅で「カリドール」と刺繍されたエプロンが、妙に似合ってしまっている。
「駅二つ離れてるから、誰にも会えへんと思っててんけどなぁ。相馬、ここに何しにきたん?」
「本を借りに来た」
「はぁ?また本やて?」
 聞かれたままを答えたら、半ば裏返った声をあげられた。しかたなく、言葉を付け加える。
「ここには中央図書館がある。あそこは自然科学の蔵書が多い」
「さよか。ほんまに本好きやねんなぁ。活字は食べられへんのに。で?なにすんのん?」
 苦笑と営業用のスマイルを順番に出し、久御山は訊いた。俺は母より頼まれていたケーキの名前を告げる。
「モンブランとオレンジタルト、あとはレアチーズやな。ここのはうまいで。ちょっと酸味が効いてるところがええねん」
 言いながら久御山は手際よくケーキを箱に詰めた。保冷材を入れてふたを閉める。紙袋に入れて。
「はい、千八十円です」
「うむ」
「まいど。はいおつり。そや、相馬もう帰るのん?」
 紙幣と小銭を渡したら、おつりを返しながら久御山が聞いた。
「そのつもりだが」
「そうか。じゃあちょっと待っといてくれへん?おれ、もうここ退けるねん」
 懐こく言われ、あいつの依頼を承諾した。目的の本は借りたし、この後の予定は何もない。電車に乗って家に帰るだけだ。
「さんきゅ。店の人にゆうてくるわ。裏口で待っといてな」
 促されたとおり、俺は店の裏口で待った。程無くして、エプロンを脱いだ久御山が中から出てくる。
「お待たせ。ほな帰ろか」
「うむ」
「あ、ちょっと待って。こっちやねん」
 駅に歩きだした俺に、久御山は声を掛けた。疑問に思う俺の腕を取り、あいつはずんずんと商店街を進んだ。少し歩いた所で、商店街の駐輪所につきあたる。
「おれな、自転車できてるねん。二人乗りして帰ろ」
 疑問はすぐに解かれた。納得して久御山の後に続く。あいつは一台の自転車に持っていた鍵を差し込んだ。チリンと、小さな鈴が鳴る。
「広いとこで後ろ乗るわ。はい」
 ひょいと自転車のハンドルを持たされ、俺は静止した。なにやら矛盾を感じる。運転を、俺にしろと言うのか?
「久御山」
「なに?はよ行こ」
「俺が乗せるのか?」
「決まってるやん!」
 ばしりと頭を叩かれた。硬直する。考えれば、初めて頭を叩かれた気がする。両親や祖父はいつも、俺が何をしても理路整然と諭すのが常だったから。
「相馬ぁ?どうしたん?」
 気がつくと薄茶色の目が覗きこんでいた。透明度の高い、色素の薄い瞳。
「ああ。すまない」
「びっくりしたぁ。ひょっとして怒ったんかなて思たわ。関西ではかるーい突っ込みやねんけど、こっちではたまに怒る奴おるねん」
 もしかしないでも、叩いたことを言っているらしい。
「おれなぁ、朝から労働でくたくたやねん。足も棒。相馬は図書館で本読んでただけやろ?やから、ちょっとくらい運動いいやん」
 小首を傾げて聞いてきた。いつものあの微笑み。少し、思考のどこかが乱れた。抑え込むように自転車のハンドルを握り直す。
「いくぞ」
「えっ?ちょっと待ってぇや」
「広い所に行くのだろう?」
 焦る声を無視して、自転車を押した。少し広めの通りに止めて、サドルに跨がる。
「変わった自転車だな」
 久御山が乗っていたのは、ホームセンターで安売りしているたぐいの自転車だった。ママチャリとか言っただろうか。それに、所どころ細かい傷がある。古いのか、ベルは錆びて鳴りそうにない。
「そうか?でも、三千円やで?」
 後ろの荷台に跨がりながら、久御山が言った。
「ほう。安いな」
「そやろ。駅前の中古屋で掘り出しもんやってん。見た目ちょっと古いけど、ちゃんと動くやろ?」
「まあ、それはそうだな」
 ペダルを踏み込みながら思った。それは古自転車のわりには軽く、きちんと整備されていることが窺えた。
「二人乗りやったら何分掛かるやろなぁ。いつもは飛ばして二、三十分ってとこやけど」
「さあな。計ってみるか?」
「冗談。さあ行こ。はよせな暗なってしまうわ」
 久御山と俺を乗せた自転車は、バランスを取りながらゆっくりと動きだした。すぐに二人乗りの状態に慣れ、安定して走り出す。
「そこの角右曲がって。川べり行った方が早いねん」
 後ろから久御山が言う。俺は頷いた。腰を浮かせて立ち乗りし、更にスピードを上げる。
「わあっ、いきなりなんや。相馬、危ないやんか」
「時間を気にしていただろう?早い方がいいと思った」
「これじゃあ振り落とされるわ。座って。時間はええから」
 言われて素直に腰を落とした。するりと腰に腕が回る。案外細いと感じた、久御山の腕。
「何をしている」
「シートベルトや。相馬、何するかわからんからな」
 振り向けば後ろで悪戯っぽく言った。ある意味納得する。俺は、久御山を驚かせていることが多い。
「ほら、こっち見んでええって。前向いて。こけるんはイヤやで」
 自転車は快調に進んでいた。川べりの道を行く。走る人。散歩する犬。
「今日は暖かいなぁ」
 久御山が言う。
「気温は平年並だと言っていた」
「そうか?」
「ここは日光を遮蔽するものがない。よって、暖かく感じるのだろう」
 そう返せば後ろで久御山がふいた。くすくすと腕に力を込めて笑っている。
「どうした?」
「いいや。なーんもない」
「そうには見えないが?」
「ほんま、なんもないよ。相馬らしすぎやなーて」
 久御山はまだ笑っていた。しかし悪い気はしない。声が、本当に笑っているようだったから。
「あのバイトも、ナイショにしとってな」
 ひとしきり笑った後、背中にぽつりと言われた。
「高校生やって嘘ついて、やっと雇ってもろてんねん」
「お前の両親は、知っているのか?」
 かねてから疑問に思っていたことを口に出した。答えを待つ。返事はない。
「・・・・・・いいねん」
 しばらくして、ぽつりと小さな声が聞こえた。今までと明らかにトーンが違う。
「あ、でも。じーさんは知ってんねんで。あの人は、『自分の食いぶちは自分で稼げ』やからな」
 付け加えるように聞こえた。その声は、いつもと同じ声だった。
「もうここでええわ」
 四十五分程走って、俺達は自分の町に帰ってきた。過日別れた四つ角まできて、久御山は足で自転車を止める。俺もブレーキを握った。
「ありがとうな。楽できてよかったわ」
 自転車から降りた俺と交代し、サドルに跨がった久御山が告げる。
「明日も劇の練習やな。背景、できたんか?」
「八割がたは完成している」
「あの絵やったら、出来てなくともそうか分かれへんやろけどな」
 かなり辛辣なことを言いながら、久御山はにやりと笑った。俺はまたひっかかる。不快感。これは、違う。
「久御山」
「なに?」
「お前は難解すぎる」
 告げるとあからさまに不愉快な顔になった。これは本心からだと安堵する。
「難解ってなんやの。難しいことばっかりいうて。相馬の絵よりマシや」
 ぷいと顔を背け、久御山はペダルを漕ぎ出した。すいと自転車が進みだす。
「ほな、な」
 幾分不機嫌な声を投げ、久御山は遠ざかっていった。俺は何が怒らせたのか理解できないまま、後ろ姿を見送っていた。