go away     by (宰相 連改め)みなひ




ACT2

 そういえば、記憶の中のあいつはいつも笑っていた。
 明るい笑みから、騒ぎをシニカルに見やる笑みまで様々に。
 それまでは知らなかった。
 その笑みが、こんなにも違和感のあるものだとは。


「朝刊でーす。って、相馬やん」
 新聞を手渡しながら言った。茶色のアーモンド型の目が、大きく見開かれている。
「おっかしいなぁ。ここはいつもムズカシー顔したじいちゃんが、仁王立ちして待ってるとこやねんけど」
「それは俺の祖父だ」
 事実を告げると、久御山俊紀は納得したような顔になった。しげしげと俺の顔を覗きこみ、ふんふんと頷く。
「そっか。あのじいちゃん、相馬のじいちゃんなんや。そういえば、口とかへの字でよう似てるもんなぁ」
 そう言って久御山はにこりと笑った。見慣れた笑顔で。俺の中に、またあの違和感が甦る。
「で?今日はじいちゃんどうしたん?」
 小首を傾げて聞かれた。
「旅行だ。長崎の学会に行っている」
「へー、なんかおえらいさんなんや。相馬の家、みんな賢そうやもんな」
 言って、にやりと笑う。これも知ってる。千変万化の笑み。だけど、違和感は拭えない。
「お前こそ、どうしたのだ」
「どうしてって、勤労してるんやん」
「学則では、アルバイトは禁止されている」
「もうー、固いこといいっこなし!ほんま四角四面なんやから」
 ばしばしと肩を叩かれた。肩がじんじんする。それほど、強く叩かなくていい気がするのだが。
「あっ、もうこんな時間や!やばい、はよ配ってまわな!」
 時計を見やり、久御山が慌てた。くるりと踵を返す。
「じゃあな、相馬!がっこにはナイショやで!」
 俺を振り向き、久御山は片手を上げた。パタパタと走ってゆく。手際よく新聞を配達しながら。
 真面目に勤労するより、楽しく遊ぶ方だと思ったのだがな。
 俺は内心意外に思いながら、その後ろ姿を見ていた。

 
「じゃあ、劇の練習をしまーす。配役の人、教室の前に来てください」
 ざわざわとうるさい教室で、劇の監督である女子が声を上げた。数人が席を立つ。前へと移動した。
「早く前に来てください。皆、残るのいやでしょ?」
 助監督の女子も言った。何人かの女子が立ち上がり、出演する者を急きたてている。しかし、一部の男子がブツブツ言いながら、まだごねていた。その中。
「なあなあ、はやくしよ」
 聞き覚えのある声がした。今度は男子の声。久御山の声だった。
「イヤなもんは牛乳と一緒に、最初にが鉄則や。諦めよ」
「久御山、なんやそれ。たべもんとちがうでー」
「一緒一緒、なんなら、鼻つまんだろか?」
「あほー」
 どっと笑いが起こる。仕方ないという体で、ごねていた男子達が動きだした。程なく、台本の読み合わせが開始される。俺は教室の後ろに移動し、描きかけの背景に向かった。
 劇の練習は順調に進んでいた。公立高校入試の終わった今、卒業式までこれといった授業はない。したがって、自習時間も多かったし、それを劇の練習に当てていた。
「あっかんなー」
 ふと気配を感じ、俺は振り向いた。後ろに、久御山が立っている。
「相馬、ほんまにセンスないなぁ。おれが手伝った花はええのに、そのバックがむちゃくちゃや」 
言われて自分の描いたものを改めて見た。久御山が言ってることは正しい。しかし、天性のものを急に変えられるはずもない。
「劇の練習は、いいのか?」
 思いだしたことを訊く。久御山は確か、劇では主役か準主役級の役だった気がする。
「ああ、今休憩中やねん。王子サマ役の赤井が、なんか調子悪いねんて。今トイレ行ってるわ」
「そうか。で、お前は何なのだ?」
「へ?」
「何の役かと訊いた」
 疑問を口に出したら、久御山はぷっと噴き出した。俺は首を傾げる。
「なにかおかしいか?」
「いや、相馬って変わってるなぁと思って。おれの役より赤井の様子やろ。本当、自分の興味ないもんには無関心やねんな」
 困ったように笑い、久御山は言った。俺はその顔を見上げる。また出てくる微笑み。綺麗に形作られたそれ。ついとその顔が近づいてきた。
「おれな、ヒロインやねんで」
 耳打つ声音が、囁きのように思えた。目の前近くに、薄い色の瞳が見える。
「相馬、見つめんなや。おれに惚れたらあかんで。やけどお前、配役決める時全然聞いてへんかってんな」
 さも面白そうに久御山は言った。俺はあることを思いだす。
「久御山、どうして新聞配達を・・・・」
「わーっ!相馬、何言ってんねんっ」
 言葉途中で口を塞がれた。久御山が焦っている。皆もこちらを凝視して。どうしてだろうと思いながら、俺は久御山を見つめた。
「相馬ぁ、勘弁してや。ナイショっていうたやん」
 キョロキョロと周りを見回して、ひそりと囁く。
「そうだったか?」
 記憶を確認しながら言った。
「そうや!朝に口止めしたやん」
「そういえば、そうだったな」
 やっと思いだした。確かにそのようなことを聞いた記憶がある。俺は大人しく口を閉じた。手で口を塞いでいた久御山が、手を離して大きなため息をつく。
「ふわー、相馬って爆弾やな。いつ、何言うかわからへん」
「すまない」
「なんかそんなムツカシイ顔で言われたら、謝られるというより怒られるという感じやな」
 素直に謝罪したら、今度は意外な言葉が返ってきた。別に、俺は久御山に怒りを感じているのではない。そのことを告げようとしたら、「ほんまに頼むな。生活かかってんねん」と、囁かれた。
 義務教育期間の身で生活費を稼ぐとは、久御山とはどういった生活をしているのだろうと思いながら、俺はあいつの言葉に頷いていた。
「練習再開でーす。配役に当たってる人、集まってください」
 女子の声が響く。久御山は「ほな、な」と言いながら、皆の集まる方へ歩いていった。