HOME by 近衛 遼 ACT4 アパートを調べ、管理人から詳細な情報を引き出した結果、相馬は久御山の母親が京都のとあるサナトリウムに入院していることを突き止めた。 月に一度、その病院から封書が届いていて、入院中の母親の様子などが細かく記されている。差出人は、川口恭子。どうやら看護婦らしい。 管理人の話によると、その川口という女性から何度も電話がかかってきていて、久御山は折り返し電話を入れた直後にアパートを出ている。おそらく、入院中の母親に何事かあったのだろう。 夜遅く京都駅に着いた相馬は、祖父が紹介してくれた宿に連絡を入れた。主人は相馬の到着を待っていたらしく、駅まで迎えにきてくれた。丸顔で、いかにも人の良さそうな男だった。 「相馬がわしに頼み事やなんて、あしたは嵐やわ」 楽しそうに、男は笑った。 その夜は宿に泊まり、翌朝。 相馬は朝食もそこそこに、久御山の母親が入院している病院へ向かった。 あおばサナトリウムは京都市内にある総合病院の付属施設で、主に長期療養の必要な患者を収容している。 市街地から少し離れていることもあって、病院の周囲はじつに静かだった。川縁にはすすきが群生していて、秋の風に揺れている。門から入り口へと連なる銀杏の木は、すでに色づきはじめていた。 相馬は玄関近くの受付で病院内の地図をもらい、目的の場所を探した。 「第二病棟は……あっちか」 広い廊下を、ずんずん進む。突き当たりを左へ折れて、いったん建物の外へ。そこから煉瓦を敷きつめた遊歩道を通って、三階建ての病棟に到着した。 入り口は、狭かった。ドアは磨りガラスになっていて、中は見えない。横に面会時間を告げる看板が立ててあった。どうやら、この病棟は面会が制限されているらしく、見舞い客は決まった曜日の、ごく短い時間しか中に入れないらしい。 相馬はしばらく、考えた。 久御山の母親がここにいるのは、確かだ。久御山がアパートを出たのが一昨日の夜。とすれば、少なくとも昨日のうちにはここを訪れているはず。 今日は面会日ではないが、病院からの呼び出しがあったほどなのだから、久御山はまだ病室に留まっているかもしれない。 相馬は足早に受付所へ引き返した。 「すまないが」 「はい。ああ、さっきの……どうしました? お部屋、わかりませんでしたか」 発音のはっきりとした声で、受付の女性は言った。 「第二病棟の311号室に行きたいのだが、なんとかならないだろうか」 「第二病棟? あの……ご家族のかたですか」 女性は心持ち、声を低くした。 「いや、家族ではない」 「申し訳ありませんが、ご家族以外の面会はできないんですよ」 「では、311号室に見舞いに来ている者を呼び出してほしい。名前は、久御山俊紀。俺は相馬達海という」 「今日は面会日ではありませんから、どなたもいらっしゃらないと思いますが」 「来ているはずだ。確認してくれ」 「少々、お待ちください」 相馬の押しに根負けしたのか、受付の女性は内線電話を手に取った。しばらく何事か会話したのち、 「久御山さまというかたは、いらっしゃらないそうです」 語尾まではっきりと、言う。 「そうか……」 今日はまだ、来ていないのだろうか。それとも……。 相馬は再び、受付のカウンターに顔を近づけた。 「何度もすまないが、川口という看護婦を呼んでくれないか」 「川口、ですか。同姓の者が二名おりますが」 「川口恭子。字は、これだ」 相馬は手紙を差し出した。受付の女性はちらりとそれを見て、 「わかりました」 と、先刻と同じ動作を繰り返した。話の様子からすると、どうやら川口看護婦は第二病棟にいるらしい。 「手が空きましたら、すぐにお目にかかるそうです。二階の渡り廊下の手前にホールラウンジがありますので、そこでお待ちください」 「ありがとう」 相馬は一礼して、階段を上った。 二階は、まるでギャラリーのように広かった。実際に、いくつも絵画やオブジェが展示してあって、椅子もそれ自体が芸術作品のようだった。 何人かがあちこちの椅子にすわって、世間話をしている。ここでは病衣を義務づけていないのか、皆、思い思いの格好をしていた。いまからジョギングにでも行きそうな者、なぜか割烹着を着ている者、温泉宿に泊まっているかのように浴衣に丹前を羽織っている者。真赤なロングスカートをはいている者までいて、相馬は「病院も多様化したのだな」と妙なところで納得した。 三十分ばかりたって、渡り廊下の向こうから、薄い水色の制服を着た看護婦が小走りにやって来た。三十歳ぐらいだろうか。大きな目をさらに大きくして、ラウンジの中をきょろきょろと見回している。 相馬は窓際の席から立ち上がった。 「仕事中に、すまない」 「……失礼ですけど」 川口は首を傾げつつ、言った。 「どこでお会いしました?」 「会ったことはない」 「それなら、どうして……」 相馬は久御山のアパートにあった手紙を差し出した。川口は目を見開いた。 「……これ、久御山くんの……あなた、だれ?」 「友人だ。久御山を探している。どこにいるのか、教えてほしい」 実家か、あるいはどこかに宿を取っているか。いずれにしても、病院には緊急の連絡先を知らせてあるはずだ。 「教えて……って、教えてほしいのはこっちの方よ」 「どういうことだ」 「久御山くん、京都にいるの? 連絡が取れなくて、心配してるのよ」 「久御山は一昨日の夜、アパートを出ている。てっきり、ここに来たのだと思っていたのだが」 川口は息をついて、小さくかぶりを振った。 「来てないわ。早く、来てほしいんだけど……」 振り出しに、戻ってしまった。 相馬は川口に礼を言って、病院をあとにした。川口は明言しなかったが、久御山の母親の具合がよくないのだろう。おそらく、生死に関わるほどに。 なぜだ。なぜ、来ない。 電話を切るなり、飛び出していったお前。一刻も早く、母親の側に行きたかったのだろう。それなのに、なぜ。 これから、どうすればいいのだろう。 川縁の道を歩きながら、相馬は考えた。やみくもに探しても、見つかるはずはない。手掛かりがほしかった。どんな小さなものでもいい。久御山がこの京都で、行きそうな場所。 相馬はデイパックの中から手紙の束を出した。昨日、久御山の部屋から持ち出した手紙だ。土手に腰を下ろし、ひとつずつ読み返す。 川口の手紙は、じつに詳細なものだった。母親の病状はもちろん、病棟での行事や病院内の様子など、丹念に綴られていた。 「……なんだ、これは」 相馬は、いま読んだばかりの手紙の封筒の中に、もう一通、手紙が入っていることに気付いた。昨日は慌てていたのか、見過ごしていたらしい。 便箋の色が変わった、古い手紙。 相馬はそれを開いた。 『新しい学校には、もう慣れましたか』 流れるような筆致。明らかに川口の筆跡とは違う。 『俊紀はいい子だから、きっとたくさんお友達ができたでしょうね。お写真をとったら、おかあさんにも送ってください。おかあさんは俊紀に会いたくて仕方がないけど、いまはお仕事が忙しくて、なかなか会いにいけないの。ごめんなさいね。 きのう、鴨川を散歩していたら、シラサギをたくさん見かけました。いつだったか、ふたりで飛び石を渡ったでしょう? 俊紀は亀の石の方へ行きたがって、駄々をこねたわね。あの近くよ。今度また、一緒に行きましょうね』 相馬は立ち上がった。手紙をデイパックに押し込んで、走り出す。 母親からの手紙。たった一通、久御山が残していた手紙。きっとこれだけは、自分の手元に置いておきたかったのだ。 鴨川。飛び石。小さな子供でも渡れる程度の。 どこだろう。それは。 とりあえず、宿に戻ろう。宿の主人なら、知っているかもしれない。 相馬は、バス停に向かって全速力で走った。 |