HOME by 近衛 遼 ACT3 大検の受験まで、あとわずかだ。 とりあえず二年は高校に通ったので、いくつか免除される科目はあったが、それでも試験内容は多岐に渡る。相馬達海は先日の模試の見直しを終えて、自室を出た。 「出かけるのか?」 めずらしく在宅していた祖父が、声をかけた。 「うむ。夕食は要らない」 「西村さんに、伝えておこう」 西村というのは、相馬家の通いの家政婦だ。いま買い物に行っているらしい。 「よろしく頼む」 「せめて『頼みます』と言えんのか」 「……頼みます」 「よろしい。気をつけて行くように」 とどのつまり、似た者同士である。相馬は祖父の一直線な視線を背に、玄関に向かった。 あれから、十日たつ。久御山に『他人』と呼ばれた、あの日から。 たしかに、自分は他人だ。少なくとも肉親ではないし、家族でもない。それは事実だったから、反論しなかった。 しかし。 あのときからずっと考えていた。他人であれば、案じてはいけないのか。あいつを請うことは、認められないのか。 あいつを識りたいと思った。巧妙に造られた面ではなく、その裏にある核を見たい、と。 お前を全部、解りたい。そう告げた。あいつはそれを受け入れた。求めて、応えて。少しずつ、手に中にあるものが確かになってきたと思っていたのに。 夏が終わった頃から、それがあやふやになった。あいつはまた、奇麗に薄いベールを被ってしまった。妖しく、心地よい、我を忘れてしまいそうな魅惑的な膜。 最初は、自分が求められているのかと思った。あいつに見つめられ、能動的な態度を示されたときなどは、特に。 が、それは錯覚だった。錯覚だと気付いた。 どれほど側にいても、あいつの瞳の中に俺は映っていなかった。あいつは俺を通り越して、別の何かを欲していたのだ。 それが何なのかは判らない。推測しようにも、前提となる材料が圧倒的に不足していた。 強いて言えば、今、あいつが持っていないもの。が、あまりにも漠然としていて、『これ』と限定はできない。 ひどく感情的になっていたが、もう落ち着いただろうか。そんなことを考えながら、相馬は駅近くの繁華街に足を向けた。 午後三時。「来福酒家」ではランチタイムも終わって、一息ついているころだろう。 通用口に回って、様子を窺う。誰か出てきたら、久御山を呼んでもらおう。本人が出てきてくれたら手間が省けるのだが。 指定席ともいえる植え込みの石にすわる。普段なら文庫本やテキストを読むのだが、今日は通用口をじっと見つめて、ドアが開くのを待った。 待っているときに限って、なかなか扉は開かない。約一時間、相馬はドアを見つめ続けた。 あいつに会えたら、訊こう。他人は、他人を案じてはいけないのか。俺はお前のことを、考えてはいけないのか、と。 カチャリ。 やっと、ドアが開いた。ゴミ袋を持って出てきたのは、二十代後半の男だった。相馬が近づくと、男はわずかに目を見開いた。 「すまないが……」 「あんた、トシの友達だったよな」 相馬が訊ねる前に、男は言った。 「……そうだが」 自分たちの関係が、果たして「友達」という範疇に納まるのかどうかはともかく、周囲からそう見られていることは確かだ。 「じゃあ、トシがどこに行ったか知らないか」 「久御山は、いないのか」 「無断で休んでるんだよ。こんなこと、いままで一回もなかったのに……。アパートに連絡しても、ゆうべ急に飛び出したまま帰ってきてないって言うし」 「昨日、何か揉め事でも?」 「いや、そんなことは……。ここんとこ忙しくて、トシにも無理言ってたから、きのうは早めに上がってもらったんだよ。今日も早番で出てきてくれるはずだったんだけどね」 男はしきりに「困った」を連発し、居所がわかったら教えてくれと言って、店に戻っていった。 相馬は踵を返した。 一時間、無駄をした。こんなことなら、最初から店に入って久御山の在不在を確認すればよかった。そうすれば、いまごろは次の段階に進んでいたはずなのに。 相馬は久御山のアパートに向かった。昨夜、出ていったときの様子を訊いてみよう。なにかわかるかもしれない。 「あれ、まあ、久しぶりだね」 重松は、相馬の顔を見上げて言った。 「やっと謝りに来たのかい」 「謝りに?」 相馬は首を傾げた。 「トシちゃんと喧嘩したんだろ。最近、元気なかったからねえ、トシちゃん。どっちが悪くても、さきに謝ったもん勝ちだよ。若いうちは、『ごめん』で事が済むんだから」 重松はうんうんと頷きながら、言った。 「別に、喧嘩をしたつもりはないのだが」 「そっちにはなくても、トシちゃんはどうかねえ。ま、さっさと謝っちまいな」 そう言われても、肝心の相手がいなくては謝るどころではない。相馬が昨夜のことを訊ねると、重松は京都から電話がかかってきたことを話した。 「で、トシちゃんがここから電話をしたんだよ。なんだか真っ青な顔してると思ったら、電話を切った途端に飛び出していったんだ」 「どこへ行ったか、わからないか」 「うーん、たぶん、京都だと思うんだけどね」 「京都? 京都の、どこだ」 「そこまではわからないよ」 それはそうだろう。相馬は考えた。久御山は京都の出身だ。ふた親のことなど聞いたことはないが、どちらかに関係する緊急事態が発生したのかもしれない。 相馬は重松に向き直った。 「すまないが、久御山の部屋を開けてくれ」 「へ? それゃ、あんた、無理だよ」 管理人が居住者の承諾なく部屋に入ることはできない。 「無理は承知だ。だが、情報がほしい。このままでは京都のどこを探せばいいのか、わからない。俺は一刻も早く、久御山を見つけたいのだ」 相馬はきっちりと背筋をのばして、頭を下げた。 「頼む。……頼みます」 祖父の言葉を思い出し、丁寧に言い直す。重松は大きくため息をついた。 「仕方がないねえ」 事務机の引き出しから、鍵束を取り出す。 「私も立ち会うよ」 重松は困ったように、しかし、やさしそうに笑った。 「お前、夕飯は要らぬと言うておったではないか」 食卓の前で、祖父が言った。家政婦の西村は、たいして驚いたふうもなく、相馬のぶんも夕食を用意しはじめた。 「夕飯は、要らない」 相馬は再びそう告げた。 「今から京都に行く」 「京都じゃと?」 祖父は眉を上げた。 「事情を説明せい」 相馬はいままでの経緯をかいつまんで話した。 「というわけで、俺は京都に行く。そこで、折り入って頼みがあるのだが」 「金か?」 「金はある」 「では、なんじゃ」 「宿を取ってほしい。未成年者が一人では、現地で宿が取れない」 「なるほどな。そのあたりのことを考慮できるなら、それほど頭に血が上っておるわけでもなさそうじゃの」 祖父は便箋になにやら書き付けて、相馬に渡した。 「わしの学生時代の知り合いじゃ。話は通しておいてやる」 「感謝……します」 「うむ。この貸しは、出世払いでよいぞ」 「わかった」 相馬は祖父に頭を下げて、二階の自室に上がった。 とりあえず、二、三日の着替えと現金とキャッシュカード。お年玉や祝い金を貯めた分で、なんとかなるはずだ。それと、夏に民宿で働いたときのバイト料。いままで使わずにいたが、あれも持っていこう。 『好きなことに使うたらええがな』 あのとき、久御山はそう言った。だから、使う。お前を探すために。 デイパックに荷物を詰め込んで、相馬は東京駅に向かった。 |