『月落』
月が、落ちる。

byつう

二の章

 ナルトがしくじった。
 その報がもたらされたのは、彼らが「草」と呼ばれるスパイの監視について十日目のことだった。
「四つ辻の爺さんが動いたから、後をつけたのよ」
 一人で里にもどってきたサクラが、カカシに事の次第を告げた。「四つ辻の爺さん」というのは、雲の国のスパイと目されていた人物のことだ。
「そしたら、東の谷の庄屋んちに入っていって……私とサスケくんは、すぐに先生に知らせようって言ったんだけど、ナルトのバカが、屋敷の中を調べてくるって」
 ナルトが屋敷に忍び込んで、約半日。どう考えても、捕まったとしか思えない。サクラはカカシの指示を仰ぐため、夜を徹して走ってきたのだ。
「いま、サスケくんが屋敷の周りを調べてるんだけど、ナルトのせいでサスケくんまで危ない目に遭うなんて許せないわっ」
 乙女の感情は複雑である。
「東の庄屋が出てきましたか」
 カカシはぽりぽりと頬をかいて、つぶやいた。
「あそこは流れの忍を何人も雇ってますからねえ。四つ辻の草がそこと繋がったとなると……きな臭いですね」
 イチャパラの新刊をポケットに仕舞い、立ち上がる。
「じゃ、行きましょうか」
「行ってくれるの?」
 サクラは地獄に仏といった顔で、カカシを見上げた。
「今度の仕事は、ラクだと思ったんですがねえ。ま、仕方がないでしょ」
 ぼやきつつも、なにやら楽しそうである。こういう展開になると、いくらかは予想していたのかもしれない。
 カカシは事務局に予定表を提出した。
「場合によっては、怪我人をつれて帰ってくるかもしれませんから、医療棟に連絡入れといてください」
「了解しました」
 イルカは努めて事務的に答えた。
「それじゃ、行ってきます」
「あの……」
「はい。なんでしょう」
「あいつ……本当に捕まったんでしょうか」
 カカシの眉がわずかに上がる。
 余計なことを訊いてしまった。そうは思ったが、「覆水、盆に返らず」だ。
「その可能性が大きいですね」
 素っ気無く言って、ドアへ向かう。イルカは慌てて立ち上がった。
「カカシ先生」
「はい?」
「よろしく……お願いします」
 イルカは頭を下げた。カカシはそれを一瞥し、
「ご心配なく。彼らは私の部下ですから」
 ぴしゃりと言って、事務局を出ていった。


 まずかっただろうか。あんなことを言って。
 ナルトはもう、アカデミーの生徒ではない。が、どうしても気になってしまう。これが自分の性格なのだ。仕方がない。
 カカシがサクラとともに国境の町に出かけた、その夜。
 イルカは久しぶりに自宅にもどり、洗濯と掃除をした。雨戸をきっちりと閉め、床に入る。
 大丈夫だ。今日は。
 そう思いながらも、もしかしたらという不安は消えない。
 浅い眠りが何度か訪れたが、とうとう朝まで熟睡することはできなかった。


 慢性的な寝不足で、すっかり目の下の隈が定着してしまった。
 同僚は、火影の依頼でファイルの整理をしているためだと思っているようだったが。
「あれえ。まだ仕事してんのかい」
 事務局のドアを、いつものようにバタン、と容赦なく開けて、アスマが顔を出した。
「もしかして、例の資料?」
「はあ、まあ、そうです」
 イルカは書類を脇に置いて、答えた。
「なにか、ご用ですか」
「ああ。それが一段落ついたら、メシ食いに行かねえか」
 アスマはどさりと長椅子に腰掛けた。
「つっても、また焼鳥だけどよ」
 短くなった煙草をもみ消して、新しいのに火をつける。
 アスマはかなりのヘビースモーカーだった。彼が煙草をくわえていないところを見たことがない。
「すぐに片付けますから……」
 資料をまとめて、引き出しに仕舞う。鍵をかけようとして、ふと手が止まった。
 アスマは、なぜ自分を誘うのだろう。
 一瞬、カカシの顔が脳裡に浮かんで、イルカは苦笑した。
 ばかなことを。皆があの男のように、自分を扱うわけではない。被害妄想も、ここまでくれば滑稽である。
「お待たせしました」
 イルカは礼儀正しく、アスマに一礼した。


 焼鳥屋は、今日も混んでいた。
 先日と同じように、アスマは予備の椅子を持ってきて、せまいカウンターに割り込むようにしてすわった。
「おやじ、串、ひと通り全部な」
 手を挙げて注文する。焼き台の前のおやじは、例によって返事もせずに、新しい串を次々と並べていった。
 酒も回り、ある程度空腹も満たされたころ。アスマは箸休めの酢のものをつまみつつ、イルカに話しかけた。
「ちょっと、訊きたいんだけどよ」
「はあ」
「なんか、あったのかい。おまえさんたち」
「え?」
「いや、カカシのことさね」
 その名を聞いたとたん、イルカの手が止まった。
「いい方向に向かってるって思ってたんだがねえ。なんか、様子が変だからさ」
「へん……ですか」
「ここんとこ、おまえさんは親の仇みたいに仕事してるし、カカシは前よりさらにつかみどころがなくなったし」
 アスマの指摘は正しい。だが、それを認めるわけにはいかない。
「ご心配をおかけして、すみません。でも……おれは分析の仕事をできるだけ早く仕上げようと思っているだけなので」
「ああ、あの資料はずいぶん役に立った。残りも、よろしく頼むぜ」
 アスマは自分のコップに酒を注いだ。イルカにも勧める。
「いただきます」
 イルカは、素直にコップを差し出した。


 いつもより多くの杯を空けて、イルカは店を出た。足元がいくぶん、おぼつかない。
「大丈夫かい、イルカ先生」
 アスマが顔を覗き込んだ。
「送ってってやろうか?」
「いえ……ひとりで帰れます」
 イルカはアスマから離れた。
「今日は、ありがとうございました」
「いや、楽しかったぜ。今度は、違うもん食いに行こうな」
 アスマは手を振って、路地を曲がっていった。
 イルカは大通りに出てから、さて、どこに帰ろうかと考えた。
 このまま家にもどりたいが、万一のこともある。カカシが任務に就いたのは、きのうの昼だ。もしかしたら、もう里に帰ってきているかもしれない。
 やはりアカデミーに行こうと、大通りを外れて河川敷の道に出た。川沿いの方が近道なのだ。
 白い月が、川に映っている。岸には背の高いすすきが、さわさわと風にゆられていた。
 すすきの穂が、月に照らされて美しい。イルカは堤を下りて、川風にその身をさらした。
 酔いが、少しずつ冷めていく。
「イルカ先生」
 背後で、声。
 最初は、空耳かと思った。幻聴が聞こえるなんて、相当重症だ。
 そんなことを考えながら、振り向く。
「あ……」
 イルカは目を見開いた。
 とうとう、幻覚まで見えるようになってしまったのか。
「楽しそうですね」
 否。これは、現実だ。
 銀髪の上忍が、堤の上に立っていた。
「アカデミーにいないと思ったら、こんなところで油を売って」
 やはり、帰ってきていたのか。
 イルカはすばやく身をひるがえし、アカデミーの方角に走った。すすきの中を、うしろも見ずに。
 頬や手が、すすきの葉に当たって切れる。鋭い痛み。しかしそれよりも、いまはただ、この場から一刻も早く逃げることだけを考えていた。
 酔いが残っているせいか、足がもつれる。イルカは途中で、石につまずいて転倒した。
「大丈夫ですか?」
 目の前に、カカシが立った。
「ああ、可哀想に」
 カカシの手が、イルカの頬にのびた。じわりとにじんだ血を、指ですくって口に運ぶ。
「イルカ先生の血は、薄いんですね」
 しみじみとそう言って、カカシはイルカの肩を掴んだ。






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