『月落』
月が、落ちる。

byつう

三の章

 すすきの葉で切った傷の上に、うっすらと浮かんだ鮮やかな色の血。
 血が薄いだと?
 イルカはぼんやりと考えた。それはそうだろう。このところ、まともに食べていないし、眠ってもいないのだから。
 カカシがイルカの上体を押し倒した。すすきがばさりと横に倒れる。
 こんなところで、行為を始めようというのか。いまさら驚きもしないが。
 冴えざえとした月の光が、すすきが原を淡く照らしている。カカシはイルカにのしかかり、上衣の襟を大きく開いた。
「つっ……」
 思わずすすきの葉を掴む。掌に、新しい血。
「イルカ先生?」
 カカシは眉をひそめた。イルカはわずかに身をよじって、
「……どいてください」
 無気味なほど、平静な声だった。
「逃げませんから」
 カカシはイルカを凝視した。ややあって、そっと手を解く。
 その言の通り、イルカは倒された姿勢のまま微動だにしなかった。
「傷の、手当をしましょうか」
 カカシが言った。イルカはゆっくりと、視線を上げた。
「はい」
 短い、答え。
 カカシは立ち上がった。ぱたぱたとひざのあたりを払い、歩き出す。
 イルカは襟を直して、無言のまま、そのあとに続いた。


 逃げられないのだ。たとえ、この息が止まるまで走ったとて。
 イルカは覚悟した。いま、仮に逃れられたとしても、明日の保障はない。それならば、今日を犠牲にしてでも明日の安寧がほしかった。
「どうぞ」
 カカシは玄関の横に立って、言った。
 里のはずれにある一軒家。ここが、この男の住まいなのか。
 上忍の家にしては、質素でさえある。が、中に入って、その考えは一変した。
 床柱も、鴨居も、欄間も、素人目にもわかる立派なものだった。床の間には香炉がしつらえてあり、違い棚の上には螺鈿の文箱が置いてある。もっとも、この家のあるじはそのような調度品には執着がないらしく、文箱も香炉もしっかり埃がたまっていた。
 イルカは奥の座敷に通された。カカシは手水鉢と手拭いを持って、座敷に入った。
「ずいぶん、切っちゃいましたね」
 固まりかけた血を濡れた手拭いでふいて、手早く消毒をすます。
「風呂、使いますか」
 汚れた手拭いを水に浸して、カカシが訊いた。
 いつのまに湯を沸かしたのだろう。ここに来て、まだ半時ほどかと思っていたが、じつは相当時間がたっているのかもしれない。
 イルカはカカシに案内されて、風呂場に向かった。籐の籠の中には、新しい手拭いと夜着が用意してある。
「一緒に入りましょうか?」
 冗談めかして、カカシは言った。否とも諾とも、イルカは答えなかった。ただ、黙って衣服を脱ぐ。
「……座敷で、待ってます」
 カカシが静かに、風呂場の戸を閉めた。


 湯を使って座敷にもどると、カカシが浴衣を着て酒を飲んでいた。「喜八」の純米酒だ。そのうしろには、合の蒲団が敷いてある。
「イルカ先生も、どうです」
「いえ。結構です」
 イルカは座敷の隅にすわった。
「ナルトは……無事ですか」
 カカシが帰還したということは、当然ナルトたちも里にもどっているはずだ。
「まあ、なんとかね。二、三日、医療棟でおとなしくしてれば、大丈夫でしょう」
 イルカはほっと息をついた。それなら、安心だ。
 カカシは酒の乗った膳を脇へ押した。
「ほかに、質問は?」
「いいえ」
 イルカは答えた。
「なにも、ありません」
 カカシの手が、いま着たばかりの夜着の襟を開く。
「それじゃ、始めましょうか」
 ひっそりとそう言って、カカシは部屋の明かりを消した。


 褥の上で、ふたつの影が重なっていた。息遣いが夜のしじまに流れる。
 イルカはあちこちにカカシの愛撫を受けて、ひどく困惑していた。なにしろ、こんなことははじめてである。
 最初、これまでのようにいきなり腰を攻められるのかと思って褥に伏すと、カカシはイルカを仰臥させて、腰紐を解いた。
「脚……開いてください」
 耳元で囁く。一瞬躊躇したが、イルカはそれに従った。
 カカシの手が下肢のあいだをまさぐる。唇が首筋から胸に滑っていく。ぞわぞわとした感覚が沸き起こり、イルカは幾度も身をよじった。
 全身がじっとりと汗ばんできたころ。カカシの指がその場所に近づいた。
 イルカは息を整えた。中をかきまわされ、拡げられる。カカシの腕にかかった脚が、びくびくと震えた。
 指がするりと抜けた。次は……。
 衝撃に備えて、きつく敷布を掴む。両足がさらに高く持ち上げられた。腰がわずかに浮き上がる。熱くうごめくものが、一気に奥まで入り込んできた。圧迫感に、思わず声が出る。
 イルカは自分の腕を噛んで、声を封じた。こんな声を聞くのは嫌だ。たとえ納得ずくでこうなったとはいえ、男の下で喘いでいる自分を認めるのは耐えられなかった。
「本当に……」
 カカシが、ぼそりと言った。
「強情ですね、あなたは」
 こころなし、つらそうな表情。イルカは横を向いた。
 なぜ、この男がそんな顔をするのだ。痛い思いをしているのは、こっちなのに。
 腰の動きが激しくなった。カカシの熱が背中から脳天にまで伝わる。何度も何度も打ち付けられて、イルカは下肢の感覚が麻痺していくのを感じていた。


 二人が体をはなしたのは、それからだいぶたってからのことだった。
 汗と体液が夜着や敷布を汚している。イルカはふたたび、湯を借りた。
 ひと通り洗ってから、体を調べる。何カ所か、人には見せられないような場所に跡をつけられていたが、長い時間、拘束されていたわりにはダメージが少ない。
 こちらの気の持ちようもあるだろうが、カカシもだいぶやり方を変えていた。なにしろ、前のときは……。
 イルカは頭を振った。
 やめよう。思い出したくもない。
「あの……」
 風呂から上がり、イルカは自分が使った夜着を持って座敷にもどった。
「これ、洗ってからお返しします」
 敷布まではいいだろう。大半は、カカシが汚したのだから。
「いいですよ。そんなこと」
 カカシはイルカの手から、夜着を取った。
「また、来てくださいね」
 予想通りの台詞だった。
 イルカとて、これで最後だとは思っていない。が、少なくとも毎日毎日、この男の影に怯える必要はなくなった。
「おやすみなさい。カカシ先生」
 いつも言われていた言葉を、今日はイルカが口にした。
 座敷を出て、玄関に向かう。
 カカシは追ってこなかった。イルカは足早に、外に出た。


 秋の澄み切った空気が、ひんやりと体を包む。西の方角に浮かんでいる月には、雲ひとつかかっていなかった。
 もう夜も更けている。いまからアカデミーに行くわけにもいかない。
 今日は、家にもどろう。
 短い時間でも、きっと熟睡できるだろう。
 虫の音を聞きながら、イルカはゆっくりと夜の道を歩いた。



『月落』 終



物語は『月彩』へと続きます。



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