『朱月』
朱い月が、この身を屠る。

byつう
三の章
カカシとナルトが、岩の国で消息を断った。
任務の最中、予想外の敵に襲撃されたらしい。別々のルートで帰国したサスケとサクラは、それぞれ手傷を負っていた。
「情報が漏れていたとしか思えない」
医療棟で事情聴取を受けたサスケは、そう言った。サクラも同じ意見だった。
「余所の細作に手出しされては困る、と言われたわ。なんだか私たち、ワナの中に飛び込んだみたい」
細作とはスパイのことだ。転じて、忍一般を指すこともある。
火影は暗部に出動を命じた。万一、カカシたちが命を落としていたら、さらに追い忍部隊にも命が下るであろう。
いつも通りに事務の仕事をしていても、イルカは二人の安否が気になって仕方がなかった。
九尾の封印を背負いながらも、自分の「忍道」を極めようと模索しているナルトと、木の葉の国で一、二を争う手練れのカカシ。いまでは自分の心の中で大きな位置を占めている彼らである。
なんとか無事でいてほしい。最悪の場合、腕の一本、脚の一本をなくしても、命だけは助かってほしいと思わずにはいられなかった。
「あんた、耳、ついてないの」
ばしん、と目の前に手をつかれ、イルカははっとして顔を上げた。
「飾り物なら、切り取ってあげようか」
恐ろしいことを言いながら、切れ長の目でにらむ。上忍のくノ一、紅だった。
「す……すみません。あの……」
「火影さまからの命令書が、こっちに回ってきてるはずなのよ。さっさと出しなさい」
腕組みをして、紅は言った。イルカは今朝一番で受け取った書類を、紅に渡した。
「まともにデスクワークもできないのなら、出てこなくていいのよ」
「は。申し訳ありません」
紅は小さく息をついた。
「心配するのは、仕事が終わってからにしてちょうだい」
彼女とて、カカシたちのことを案じているのだ。イルカは深く頭を下げて、紅を見送った。
昼の勤務から引き続いての夜勤というのは、結構きつい。とくにイルカのように、手抜きのできない性格の者にとっては。
さらに今日は、カカシやナルトのこともあって、精神的にもかなり疲弊していた。
「先に上がれよ」
同僚が、見かねて言った。
「後は適当にやっといてやるからさ」
いつもならきちんと引き継ぎの時間までいるのだが、今日は同僚の言葉に甘えることにした。家に帰って、早々に床を敷く。
そのまま倒れ込みたかったが、なんとか寝間着に着替えて横になった。頭痛と耳鳴りがする。イルカは固く目をつむり、休息をとることに専念した。
どれくらいの時間がたっただろうか。
自分を呼ぶ声が聞こえたような気がして、イルカは目を覚ました。
眠りは十分だ。蒲団の中で、そう実感した。玄関の戸を叩く音がする。イルカはのっそりと起き上がった。
「はいはい、ちょっと待ってください」
ぼさぼさになった髪をかきあげつつ、玄関に向かう。
「どなたですか」
「オレだってばよ!」
聞き慣れた声。イルカは慌てて戸を開けた。
「イルカせんせー! オレ、やったぜー」
ナルトが、がばっと抱きついてきた。
「Bランク、任務終了だってばよっ。すげーだろ、オレ。サスケもサクラも逃げちまったのによー」
逃げたわけではない。二人ともカカシの命令を受けて、岩の国の内情を報告するために囲みを突破して帰国したのだ。それを知らないということは、最初にカカシとはぐれたのはナルトの方ではなかったか。
「なっ、なっ。ラーメン、おごってくれよ、イルカ先生」
詳しいことは明らかではないが、とにかく、ナルトは無事に帰ってきた。見たところ、大きな怪我はしていない。
「わかったわかった。あとでおごってやる。とりあえず、アカデミーに行こうか」
「えーっ、オレ、腹減ってんだよー」
「火影さまが心配してたぞ。任務終了したんなら、ちゃんと報告しないとな」
イルカは服を着替えた。鍵をかけて、家を出る。
「ところで、おまえ……」
道々、イルカは気になっていたことを訊ねた。
「カカシ先生は、どうした」
もし一緒に帰国したのなら、ナルトをアカデミーに連れていったはずだ。
「ああ、カカシ先生なら……」
ナルトはいま思い出したように、続けた。
「国境を越えたとこで、別れたんだよ」
「え、どうして」
「わかんねえ。なんか、もうひとつ用を片づけてから帰るって」
「そうか。……国境までは一緒だったんだな」
「うん」
それなら、大丈夫だろう。
やたらと興奮しているナルトを伴い、イルカは火影の館に向かった。
その日、イルカはナルトたちにラーメンをおごり、任務の終了をねぎらった。サスケはなにやら不本意そうな顔をしていたが、いつものような険のある態度はとらず、彼らは「一楽」の前で別れた。
ナルトが帰還したことによって、暗部は呼び戻されることになった。カカシの消息は謎のままだったが、火影はそれを云々しなかった。
もしかしたら、すでにカカシからなんらかの報告が届いているのかもしれない。イルカはそう推測した。
今日は夜勤明けの日だったが、結局、午後はほとんどアカデミーにいた。明日は通常の業務だ。今夜は早めに休もうと、イルカは家路を急いだ。
小川に面した、古い貸家。家主が良心的なので、あちこち修繕されていて、住み心地はよい。
鍵を開けようとポケットをさぐる。そのイルカの背後に、人影が立った。
同じころ。
火影の館には上忍二人が招集されていた。アスマと紅である。
「なんで、そんなめんどくせえこと……」
アスマは舌打ちした。紅はしばらく黙っていたが、やがて思い切ったように口を開いた。
「魚は一カ所に追い込んだ方がたくさん獲れるということじゃないの?」
「そんな手間ひまかけねえで、見つけたらすぐにすくっちまえばいい」
「そのあいだに、ほかの魚に逃げられてしまうわよ」
紅は唇の端を持ち上げた。
「そういうことですね、火影さま」
「ま、そうじゃな」
火影は、とある場所からもたらされた書面を見ながら、答えた。
「けっこうな数になりそうじゃから、網を打つまでは泳がせておいてくれ」
「けど、こっちが手をゆるめてるってこたぁ、気づかれないようにってか。ガキどもにそんな芸当ができるかね」
アスマがため息をつく。紅は思案顔で、
「まあ、その手の任務もそろそろ必要だろうし、あの子たちにとっていい機会なんじゃないの。カカシがうまく餌を蒔いてくれたしね」
「下の者に詳細を知らせるには及ばぬ」
火影が重々しく、言った。
「これは特Aランクの仕事になる。おまえたちだけで、処理してくれ。仕上げはカカシに、な」
「承知」
二人は同時に、頭を垂れた。
背後の気配を察して、イルカは反撃の態勢をとって踵を返した。
「あ……」
目の前の人物を認めて、構えを解く。
「カカシ先生……」
「ただいま帰りました」
カカシはにっこりと笑って、小さな包みを差し出した。
「お土産です」
「はあ、どうも……あの、よかったら、寄っていきませんか」
「いいんですか?」
「たいしたものはありませんけど」
たしか、「喜八」で分けてもらった地酒がまだ残っているはずだ。
「それじゃ、お邪魔します」
カカシはイルカの後について、家の中に入った。
「すみません。すぐに片付けますから」
昼すぎにナルトがやってきて、慌てて出かけたままになっている。イルカは洗濯物を籠につっこみ、蒲団を敷いたままの八畳間の襖を閉めて、カカシに声をかけた。
「どうぞ、上がってください」
カカシは三和土で履物を脱ぎ、板の間に上がった。台所を横切って六畳間の卓袱台の前にすわる。イルカは地酒の瓶と湯呑みを卓袱台に置いた。
「冷やでいいですか」
「いいですよ。この酒は、その方が旨い」
カカシは銘柄を見て、言った。イルカは酒を注いだ。
「ご無事で、なによりです」
「もしかして、心配してくれたんですか」
意外そうな顔をして、カカシ。
「あたりまえでしょう」
「ナルトと一緒だったから?」
「もちろん、あいつのことも心配でしたけど」
何事にも一生懸命で、無鉄砲で、突拍子もないことをしでかすやつだから。
そこまで考えて、イルカはふと形容しがたい違和感を覚えた。
情報が漏れていた、とサスケは言った。サクラは、ワナの中に飛び込んだみたいだった、と。
Bランクの任務なのだから、相応のリスクはあるにせよ、カカシがついていて、事前に危機を察知できなかったのだろうか。
「……どうかしましたか?」
湯呑みを手に、カカシが訊いた。イルカは顔を上げた。
「いえ、べつに。……あ、なんか、つまみが要りますね」
考えすぎだ。カカシが自分の部下を囮にしたなんて。
イルカは立ち上がって、水屋の中を探った。
「するめと干し肉がありますけど、どっちがいいですか」
背を向けたまま、訊ねる。
「カカシ先生?」
皿を手に、振り向こうとしたそのとき。
ガッ、といきなり足を払われた。
皿の割れる音が部屋に響いて、イルカはしたたか床に打ち付けられた。額がじんじんする。倒れぎわに水屋の角にぶつかったらしい。
起き上がろうとしたところを、鳩尾に一発、拳が入った。一瞬、息が止まる。
なにが起こったのか、すぐには理解できなかった。態勢を立て直す間もなく、イルカは右腕を背中に捻り上げられた。
「カ……カカシ先生……」
顔を押しつけられているので、うまく声が出ない。
カカシはイルカの腰に馬乗りになっていた。すでに、ひざで両足を封じている。
「折れますよ」
ひっそりとした声で、カカシは言った。
「動かないでくださいね」
腕にぐっと力がこもる。
本気だ。しかし、なぜ……。
ぱさりと、カカシの額宛てが落ちた。反射的にそちらを見る。
「だめですよ、動いちゃ」
首筋に、冷たい感覚。
クナイが、ぴったりとイルカの動脈を狙っていた。
続
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