『朱月』
朱い月が、この身を屠る

byつう

二の章

 のれんをくぐって戸をからからと開けると、店の奥から威勢のいい声が飛んできた。
「へい、いらっしゃい!」
 店主は、すっかり馴染みになった忍二人を座敷の奥に案内した。
「さあ、先生がた。やっておくんなせえ」
 卓の上に銚子が三本、置かれた。二人ともまだなにも注文していない。
「え、またですか」
 イルカは困った顔をして、店主を見た。店主はにやりと笑って、
「今日のは難しいですぜ。全部、北の銘柄ですからねえ。どれも似たような口当たりでさあ」
「そんなにヒント出していいんですか」
 カカシが口布を下げながら、言った。
「北の酒でこの店に置いてあるのと言えば、七種類でしょ。楽勝ですね」
「そりゃカカシ先生はうちの酒を全部飲んでいなさるから、三つぐらい当てるのはわけねえこってしょうが、こちらの先生は……ねえ」
 たしかにイルカは、棚にずらりと並んだ地酒の三分の一ほどしか知らない。
「ま、駄目もとってことで。肴は、なんにしましょうかね」
 店主が肴の注文をとって厨房に引き上げると、カカシはイルカに杯を勧めた。
「これがなきゃ、いい店なんですが」
「はあ。でも、これを目当てに来る客もいるんでしょうね」
「そうですねえ。なにしろ、飲み代がタダになりますから」
 カカシが贔屓にしている居酒屋「喜八」には、店主があちこちから集めてきた地酒と焼酎が所狭しと並べられている。常連客が楽しみにしているのが、いわゆる利き酒で、店主が出す酒の銘柄を全部当てると、その日の酒代は無料になる。よしんば外れても、飲んだ分を払うだけなので客に損はない。
「イルカ先生、わかります?」
 ひとつめの酒を飲み干し、カカシは訊いた。イルカは首を傾げている。
「うーん、これは飲んだことがないような……」
 あやふやな記憶を頼りに、店主からもらった紙に銘柄を書く。
 ようやく三つとも書き終えたとき、肴が運ばれてきた。店主は二人から紙を受け取り、答を確認した。
「ありゃー。やられましたねえ」
 店主は頭をかいた。
「お見事でござんした。あとは気にせず、たんと飲んでくだせえ」
 どうやら、二人とも正解だったらしい。
 タダで酒を飲まれるというのに、店主はなにやら楽しそうだった。自分がこれぞと選んだ酒を飲んでもらうことだけで、うれしいのかもしれない。
 常連客の中には、飲み代相当の心付けを置いていく者も少なくないという。店主の人柄に惚れて、通う客が多いのだろう。
 この日、カカシもいくらかの心付けを包んだ。イルカも財布を出したのだが、例によって断わられてしまった。
「俺が誘ったんですから」
 理由も、いつもと同じだった。
 二人は、もう何回もこうして酒を酌み交わしていた。
 たいてい終業間際にカカシが事務局にやってきて、「晩飯、食いに行きましょう」と誘い出す。店は「喜八」のような居酒屋もあれば、下足番がいるような立派な料亭もあった。
 もっとも、品書きもない料亭に案内されたときは、どうも落ち着かなかった。ひざが沈み込むような分厚い座布団にすわり、塗りの杯で吟醸酒を飲んだのだが、いまひとつ美味しいとは思えなかった。カカシもそれを察したのか、次からはもっぱら庶民的な店を選んでいる。
 それにしても。
 店の前でカカシと別れたあと、イルカは考えた。
 どうして、自分なのだろう。何度も発した問いを、ふたたび心に浮かべる。
 最初は、自分を監視しているのかと思った。自分は里の機密に関することを知っている。すなわち、カカシが極秘任務に就いていたことを。
 その後の文遣いの件も、報告書に載せることは禁じられていた。文の内容は明らかではないが、火影と護国寺の徳樹上人とのあいだで何らかの密約が交わされたのは疑いないところだ。
 一介の中忍には荷の勝ちすぎる任務。それを監視するために、カカシが近づいてきたのかもしれない。
 ふだんのカカシはどことなく瓢々としていて、まったくと言っていいほど緊張感が感じられないが、なにしろ自分よりはるかにレベルの高い上忍である。利き酒をしながらでも、雑炊で舌を火傷したと騒ぎながらでも、周囲に対する警戒は怠っていないだろう。
 結局、カカシの真意はわからない。いつもと同じ結論に達して、イルカはため息をついた。


 その後、しばらくカカシはアカデミーに姿を見せなかった。ナルトたちを率いて、岩の国に行っているらしい。Bランクの任務と聞いたが、カカシが一緒なら大丈夫だろう。ナルトももうかなりの場数を踏んでいる。
 受付業務を終えて日誌を書いていると、アスマが煙草をふかしながら事務局に入ってきた。
「あれえ、今日はもうおしまいかい」
「あ、すみません。なにかご用でしょうか」
 イルカはペンを置いて立ち上がった。
「こないだの報告書。ガキどもにまかしといたら、遅くなっちまった」
 ひょい、と書類を差し出す。
「はい、たしかに。おつかれさまでした」
 両手で書類を受け取り、イルカは軽く頭を下げた。
「おまえさん、今日はもう上がりかい」
 アスマは机の上をながめつつ、言った。
「はあ、日誌を書いたら帰りますが」
「んじゃ、ちょっと付き合えや。焼鳥、好きか」
「は……ええ、まあ」
「早いとこ書いちまいな。待っててやる」
 アスマはどっかりと長椅子に腰を下ろした。
 カカシに続いて、今度はアスマか……。
 イルカは心の中で疑問符を飛ばしながら、日誌に向かった。上忍を長く待たせるわけにもいかない。不本意ながらも所見の欄には「特記事項なし」と書いて、日誌を閉じた。


 焼鳥屋は混んでいた。
「おーい、おやじ。客、連れてきてやったぞ」
 アスマは入り口近くから厨房に向かって叫んだ。焼き台の前に立っていた五十過ぎの男が、ちらりと一瞥してあごでカウンターの隅を指した。
 かなりせまいが、なんとか二人、すわれそうだ。アスマはイルカを奥へ押し込み、自分は「ちょっとごめんよ」と横の客に声をかけて、予備の椅子を持ってきた。勝手知ったるなんとやら。彼はこの店の常連らしい。
「ここの串は最高なんだ。適当に頼むから、好きなもんつまんでくれ」
 アスマは品書きも見ずに、次々と注文していった。黙々と串を焼いているおやじは、返事もしない。それでも注文はしっかり頭に入っているらしく、新しい串を焼き台に乗せていく。
 アスマは一升瓶をどん、とカウンターに置き、イルカにコップを差し出した。
「まあ、一杯やれ」
 とくとくと酒を注ぐ。イルカは「いただきます」と言ってコップに口をつけた。
「イルカ先生は、いけるクチかい」
 自分のコップにもなみなみと注いで、アスマは言った。
「いえ、それほど強くはないです」
「それでよく、カカシなんかと付き合えるなあ」
 アスマはからからと笑った。
「あのザルみたいなやつと飲みに行ってるぐらいだから、相当のつわものだと思ってたんだが」
「カカシ先生はお強いですよね」
「あいつの場合は、酒だけじゃないけどな」
「は?」
「コレにも強い」
 アスマは小指を立てた。イルカは慌てて、
「ああ、そういうことですか」
 忍のエリートとして里の者たちの信頼を得ている上忍である。花街に行けば、最上級の娼妓が下にも置かないもてなしをしてくれると聞いた。
「そういや、うっかり、あいつの馴染みに手を出しかけて、えらい目に遭ったことがあってなあ」
 アスマはあごひげを撫でながら、愚痴った。
「特A任務のあとに、命の洗濯に行ったわけさ。たまには贅沢するかって、ちいとばかり張り込んだら、上品(じょうほん)の妓女が来てねえ」
 ここで言う「上品」とは仏教用語ではなく、娼妓の格を表わす俗語であるらしい。
「ほんとなら初会で相手してもらえるような妓女じゃないわけさ。おかしいと思ってたら、どうやらその姐さんは、カカシから俺の名前を聞いてたらしいんだな」
「それで、どうなったんですか」
 つい、好奇心にかられて訊いてしまった。アスマは煙草をもみ消して、
「どうもこうも。カカシの馴染みと床入りなんぞしてみなよ。あとでどんなこと言われるか」
「どんなって……」
「ヘタだの短いだの、吹聴されるに決まってる」
 カカシなら、やるかもしれない。
 妙なところで納得して、イルカはうんうんと頷いた。アスマはそれを見て、くすくすと笑った。
「なるほどねえ」
「はい?」
「あの人嫌いが、おまえさんを誘うわけだ」
「人嫌いって、カカシ先生のことですか」
「ほかにだれがいるかよ」
 アスマは焼鳥の乗った皿をおやじから受け取り、イルカの前に置いた。
「ほら、食え。つくねは絶品だぞ。もちろん、ほかのもいけるがな」
「頂戴します」
 イルカは勧められた通り、つくねを取った。アスマは肝串を一口で食べて、酒を飲んだ。
「人嫌いって言うより、人間嫌いなんだろうな。自分も含めて」
「そうでしょうか……」
「まあ、あいつも、やたらたくさん地獄見ちまったからなあ。忍だから仕方ねえんだが」
 それは、なんとなく想像がつく。幼いときから実戦に出て、数々の修羅場をくぐりぬけてきたのだろう。でも、だからこそ、根底に命を惜しむ気持ちを持っているのではないのだろうか。
 イルカには、カカシが他者を拒絶するような人間だとは、とても思えなかった。
「なにシケた面、してんだよ。遠慮しねえで、たんと食え。ほら、次が来たぞ」
 アスマは新しい皿をカウンターに置いた。手羽や皮の塩焼きが並んでいる。
「シメには、おこげで作った茶漬けがあるんだ。これがまた、旨くてなあ」
 アスマは上機嫌で、杯を空けた。イルカは塩焼きをつまみながら、いまごろカカシはどのあたりにいるのだろうと考えていた。







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