傀儡                 by つう







ACT3



 火影が、高く買ってくれる。
 たしかに、東依はそう言った。それはつまり、自分の身許をここの者たちは知っているということではないか。
 単に盗みや人殺しを生業としている、荒くれ者の集団ではない。この山深い集落は、忍の里となんらかの関係を持っているに違いない。
 火影と直接、交渉できるほどの組織。イルカは自分が、とんでもないところに来てしまったのだと実感した。
 房にもどると、セキヤはイルカを牀の上に突き飛ばした。ドアを二、三回蹴飛ばして、閉める。明かり取りの窓の格子をずらすと、室内は途端に薄暗くなった。
 さて、どう出るか。イルカはセキヤを見据えた。
「ふーん。オレには、そういう顔してくれるのね」
 セキヤはうっすらと笑った。
「よーかった。あのスケベおやじにやってたみたいに、しなのひとつも作られた日にゃ、オレ、あんたを殺してたかもしんないよ」
 そんなことは、わかっている。こっちだって、相手を見てるんだ。
「ったく、もう、東依のバカが余計なこと言うから、楽しくなくなっちゃったよなあ」
 セキヤは、牀に腰掛けた。
「気分転換っつーか、口直しっつーか……してくんない?」
「それは、おれの仕事じゃないですよ」
 きっぱりと、イルカは言った。
 東依の失言は、さっきのことで落とし前はついたはずだ。セキヤの気分云々については、イルカが背負うことではない。
「うわ。冷たいのね、黒髪さん」
「それでも、かまわないんでしたら、どうぞ」
 拒んでも、おそらく逃げられまい。火影と取り引きするつもりなら、命までは取られることはないだろう。しかし、要らぬ抵抗をして腕の一本もなくしたくはない。
 セキヤの手が、イルカの顎にかかった。唇が近づく。イルカは目を伏せた。
「口、開けてよ」
 セキヤの声。イルカは言われた通りにした。
 舌が内部に入り込む。上顎、頬の内側、そして歯の裏までも丹念に探っていく。息苦しさを感じたが、身を引くことはしなかった。
 口腔内を味わいつくして、セキヤの唇は離れた。
「最高だね」
 至近距離で、セキヤは言った。
「なんか、訊きたいこと、ないの」
「訊いたら、教えてくれるんですか」
 火影との関係。ここにいる者たちの正体。そして、なにゆえ自分をここに連れてきたのか。
 自分は、重要な情報を持っている。自分など殺しても、その情報だけで火影に売るには十分だろう。
 もっとも、「草」からこの情報を入手して、すでに四日たっている。もしかしたら、べつのルートから火影に、同じ情報がもたらされているかもしれないのだが。
「教えてあげても、いいよ」
「……やめておきます」
「なんでよ」
「積極的に与えられる情報は、概して偽物であることが多いですから」
 セキヤは目を丸くした。
「……黒髪さん、あんた、ほんとはいくつなのさ」
「は?」
「いや、だからさー、年だよ、年」
「……十六ですけど」
「まんまだよな。それで、そんなこと言えるわけ」
 セキヤは火のように赤い髪を、がしがしとかいた。
「なんだかなー。まいるよな」
「なにがです」
「あんた、もしかして、捨て子かなんかで、ガキんときから学び舎育ちだったりする?」
「……いいえ」
 質問の意味を計りかね、イルカは首をかしげた。
「両親はしばらく前に亡くなりましたけど」
「んじゃあさ、そのふた親っつーのが、ひでえ奴だったり……」
「しませんよ。失礼な」
「あっちゃー。これもハズレなの? ほんと、まいったなあ」
 セキヤは心底、困った顔をした。
「あの、それがなにか」
「あ、いいのいいの。黒髪さんは気にしなくて。そっかー。なんだか、オレ、馬鹿みたい」
「はあ?」
「東依のやつをぶっとばす必要なんか、なかったんじゃんか。これじゃあさ。あーあ、悪いことしたなあ。あとで埋め合わせしなくっちゃ」
 心ならずもケンカをしてしまった少年のように、セキヤは言った。
 なるほど。あれは見せしめだったのか。自分という、いわば門外漢の前で軽はずみなことを言うなという。それとともに、イルカに対しても、余計なことは詮索するなという予防線だったのかもしれない。
「あの……ここに、医者はいるんですか」
「へ? ああ、まあ、ヤブだけど、いるよ。いまごろ、東依の顔、固めてるんじゃないの」
 それなら、いい。骨折は処置が遅れると、修整できなくなる。
「……心配なの」
「え……はい」
 自分が原因を作ったようなものだ。しなくていい怪我をしたのだから、やはり気にはなる。
「やさしいんだね、黒髪さん。けど、それって、すーっごく残酷になるときもあるんだよ」
 セキヤの手が、ふたたびイルカの顎にかかる。
「覚えといて。黒髪さんのこと、大好きだから、教えてあげる。ふたりっきりでいるときは、相手のことしか考えちゃダメだよ」
 唇が重なって、イルカは牀に押し倒された。
「仕事とかさ、いろいろ、考えたくなるよね。でも、ダメ。そーゆーのって、ほんとに好きな相手には、伝わるから」
 堂勲のように、相手がだれでもいいようなやつは論外だが。
 言外のメッセージを、イルカは読み取った。しかし……。
「すみません。おれ、あんたのことだけを考えるわけにはいかないんですよ」
 自分の死刑執行書に、サインしてしまったかもしれない。
 イルカは覚悟した。この男は、いつでも自分を殺せるのだ。
 忍としては、失格だ。つなぎ役として得た情報を、里に持ち帰らずに死んでしまうなんて。
 セキヤの手が止まった。
 ああ、もう、殺されるのかな。イルカがそう思ったとき、セキヤがけたけたと笑い出した。
「ほんっと、もう、さいこーじゃん。あんたの頭ん中、開いてみたいねえ」
 ひとしきり笑ってから、
「こーんな楽しいおもちゃ、オレが壊すわけにはいかないよね。よーし、思いっきり吹っかけてやろっと。ねえねえ、黒髪さん。あんた、火影のじいさんの弱みのひとつやふたつ、握ってないの?」
 焦色の瞳を、らんらんと輝かせて、セキヤは言った。
「儲けは折半。醍醐たちには渡さないからさあ」
「……おれ、一応、木の葉の忍ですよ」
「わかってるよー、そんなこと。だーかーらー、それはそれ、これはこれっつーことでさ。ねえねえ、オレとあんたの仲じゃないのー」
 ……どういう仲なんだ?
 まあ、助けてもらった恩義はあるにしても、それでひと儲けしようとしている相手に、加担していいのだろうか。
「悪徳商人からワイロもらってるとかさあ、愛人山ほど抱えてるとか……」
「そんなもの、弱みにならないですよ」
「……そうなの?」
「はい」
 至極真面目に答えたのだが、セキヤは思い切り脱力したようだった。
「くっそーっ、あのジジィ。いつか尻尾、掴んでやる」
 ぶつぶつと言うその姿がなにやら微笑ましくて、イルカは暫時、任務のことを忘れた。
 ああ、そうなのか。
 イルカは、目の前が急に明るくなったような気がした。
 いままで、自分は自分を閉じ込めていた。任務という籠の中に。
 もちろん、それが最優先されるものであることには違いない。しかし、それのみを見ていては、自分が置かれている状況を俯瞰することはできないのだ。
 セキヤは、自分をべつの場所に連れてきてくれた。傍目八目。これで、また自分は戦える。
 うれしかった。新しい視野を与えられて。
 イルカは、セキヤにこう告げた。
「ありますよ。高く売る方法」
 セキヤの目が、大きく見開いた。
「一緒に、やります?」
 ふたりでなければ、できないことを。
「……なんだか、楽しそうだねえ」
 イルカの言葉に、セキヤは大きく頷いた。
「やってやろーじゃん」
 そして、ふたりは互いのテリトリーを交換した。


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