傀儡                 by つう







ACT2



 なんらかの術をかけられたのかもしれない。
 なにしろ、まったく見えないのだ。体を担ぎ上げられて、房から連れ出されたところまでは視力があったのだが、月明かりの中を飛ぶように移動するうちに、まるで濃霧に包まれたかのように視界がふさがってしまった。
 どこに連れていかれるのだろう。
 とても、助かったとは思えなかった。この男は、自分をどうするつもりなのか。
 ぎりぎりまで神経をはりつめていたが、先刻までの行為の疲れもあって、とうとうイルカは意識を失った。





 明るい、朝の光が室内に差し込んでいた。鳥の鳴き声や、ざわざわと人の動く音が聞こえる。
 ああ、ここは、人が生活しているんだな。
 イルカはぼんやりと、そんなことを考えた。
『イルカちゃん、筑前煮、食べる?』
 ふたつ隣のおかみさんは、煮物が得意だ。
『かぶの酢漬けを作ったんだけどねえ。うちの子供たちったら、箸もつけないんだよ』
 ななめ向かいのおばさんは子供の好き嫌いを克服すべく、いろいろと工夫をしているのだが、いまだにそれが報われていないらしい。
『よかったら、食べてね』
 イルカが早くに両親を亡くしたことは、みんな知っている。しかし、それをことさら憐れんだりしない。
 可哀想に。
 そう言われるのが、いちばん嫌だった。
 そして、そんなことを言う人間はイルカの周りにはいなかった。
『なにかあったら、いつでも言ってね』
『お互いさまよ』
 けらけらと、皆は言う。
 そういう人たちの、いわば、ざっくばらんな心遣いはイルカには有り難かった。
「黒髪さーん、朝だよーっ」
 ばん、とドアを蹴飛ばす音がした。
 途端にイルカは、現実に引き戻された。そうだ。自分は、どこに連れてこられたのだろう。
「あ、もう起きてた? メシ、持ってきたよん」
 赤毛の男は、側卓の上に盆を置いた。山菜粥と漬けものが乗っている。
「ちょっと、いま、食料難でねえ。今日、市に買い出しに行くから、いまはこれでガマンしといてねー」
 男はにこにこと、牀に腰掛けた。
「食べさせてあげよっか?」
「……結構です」
 イルカは上体を起こした。あらためて、男と向き合う。
 最初の印象とは違い、なにやら親しみすら感じる。それはおそらく、相手の気持ちが反映されているのだろう。値踏みをするような態度をとっていた昨夜とくらべて、いまは純粋な好奇心のようなものが窺える。
「いただきます」
 イルカは匙を取った。ほんの少し、口に含む。
 薬草が入っているようだ。が、導眠や幻覚作用のあるものではない。神経系に作用するものでなければ、問題はなかろう。もっとも、このごろは無味無臭の薬もあるので、安心はできないが。
「いやだねえ、もう。ヘンなものなんか、入れてないよー。ま、そーゆーとこが好きなんだけどさ」
 男がくすくすと笑いながら、言った。
「食べたら、体、拭いてあげるからね」
「自分でできます」
「わかってるよ、そんなこと。でも、オレがしたいの」
 男は、手水鉢に水を入れた。
「黒髪さんは、オレの戦利品だからね」
「戦利品?」
 人を物みたいに。
「そ。なんたって、思いっきり割りに合わない仕事だったからさあ。なんか、ご褒美がなくっちゃね」
「仕事って……」
「このオレに、ド素人の白髪首ひとつ獲れっていうのよ。もう、やってらんねえったら。でも、恩を売っとくのもいいかなーと思って、やっちゃった」
 どうやら、この男は昨夜、あの基地で人を殺してきたらしい。
 しかし、あの前線基地で「ド素人」などいたのだろうか。里人が住んでいるような様子はなかったが。
「あらあら、まーた難しい顔しちゃって。消化に悪いよ」
 男は布を水に浸して、イルカが食事を終えるのを待っている。
 どうしたものかな。
 イルカは考えた。たしかに、この男は自分を助けてくれた。しかし、ここがどこかも、この男が何者なのかも、いまだ謎のままである。堂勲と同じような下心があるにしても、この男はそれほど単純ではない。
 とりあえず、出方を見るか。この男の要求をできるだけ受け入れて、しかし、こちらの要求もきっちり伝える。それで、この男の人となりがいくらかはわかるはずだ。
 イルカは椀を空にして、盆に返した。
「ごちそうさまでした」
「はいはい。んじゃ、着替えようねー」
 嬉々として、男は新しい膚着を牀に置き、イルカの夜着に手をかけた。
「あの……」
「んー、なに?」
「自分で着替えたいんですけど」
「だーかーらー、オレがしたいんだってば。いいじゃん、べつに。朝っぱらから、取って食おうってわけじやないんだから」
 夜なら、食うのか?
 瞬時、そう考えた。まあ、それならそれで、対応できないことはないが。
「ぐずぐず言ってないで、オレの好きにさせてよ。傷の手当も、しなくちゃいけないでしょ」
 男はイルカの夜着を脱がせて、固くしぼった布で体を拭いた。擦傷や打撲の跡に、丹念に薬を塗り込む。
「きれいな体なのに、もったいないよねー。これが治るまでは、ここにいてよ。オレ、誠心誠意、看病したげるからさ」
「ここは、どこなんですか」
 とりあえず、訊いてみる。
「山ん中よ」
 箸にも棒にもかからない答え。
「でも、人の気配がしますけど」
「そりゃ、仲間がいるから」
「仲間?」
「うん。まあ、そうねー。人殺しと泥棒の巣、ってとこかな、ここは」
 にんまりと、男は言った。
 忍ではないのだろうか。いや、少なくとも、この男は相当レベルの高い忍のはずだ。もしかして、抜け忍なのかもしれない。
「セキヤ、いるかあ?」
 またしても、ばん、とドアを蹴飛ばす音がした。
 まったく、ここの者たちはドアは足で開けるものだとでも思っているのだろうか。立て付けが悪いにしても、もう少し静かに入ってきてもらいたい。
「あ、お取り込み中でしたかね」
 短い癖毛の、大柄な男が悪びれもせずに言った。
「取り込んでるよー。見りゃわかるでしょーが。これから、いいことしようと思ってたのに」
 朝っぱらから、食わないんじゃなかったのか?
 どこまでが冗談か、わかりにくい男だ。
「そりゃ悪かったな。でも、注文取らにゃならんもんで」
「ああ、市に行くんだよね。薬とお茶と、なにか滋養によさそうな食べもの、仕入れてきてよ」
「元気つけて、その坊やをいただこうってか?」
「ばーか。オレはいまでも十分、元気なの。けど、この子はぼろぼろだからねー。体力つけてもらわないと、楽しめないじゃん」
「はいはい。ごちそうさまなことで」
 男は肩をすくめながら、房を出ていった。
「とんだ邪魔が入っちゃったねえ」
 セキヤと呼ばれた男が、言った。
「醍醐のやつ、あんたの体を見にきたんだよ、きっと」
 あの大男は、醍醐というのか。
「オレのもんは、なんでも欲しがるからなー。もう、始末に負えないったら。黒髪さん、あいつには気をつけなよ。色白で、目のくりっとした子が好きなんだから」
 自分がいちばん物騒なくせに、ほかの者には気をつけろと言う。イルカは小さく笑った。
「あーっ、やっと笑ったね。うんうん。笑った顔も、いいよ。もろ、オレの好みー」
 セキヤはイルカの頬に口付けた。
「お、逃げないね。脈ありかな?」
 逃げる暇がなかっただけだ。この男が本気になったら、自分などどうとでもできるだろう。
「ないですよ」
 とりあえず、意志は伝える。セキヤは、くつくつと肩を震わせた。
「いやあ、楽しいねえ。当分、退屈しないで済みそうだわ」
 手水鉢と布を手に、セキヤは立ち上がった。
「あとで、みんなに紹介するよ。呼びにくるから、それまで休んでてねー」
 鼻唄を歌いながら、セキヤが出ていく。立て付けの悪いドアが、ガタンと大きな音をたてて閉まった。





 泥棒と人殺しの巣、とセキヤは言ったが、実際は拍子抜けするほどあっけらかんとした、明るい者たちが多かった。
「どーして、セキヤが独り占めすんだよ。戦利品は、平等に分ける決まりだろ」
 ひと通り自己紹介が終わったあと、東依と名乗った若い男がセキヤに食ってかかった。戦利品とは、要するにイルカのことである。
「カネはちゃんと、分けただろーが。実際に仕事したのは、オレなんだぞ」
「だからって、ぼったくりですよ。これは」
 そう言って、一重の目でちらりとセキヤをにらんだのは、加煎という名の男だ。
「同感だ」
 と、醍醐。市から帰ってきて、さっそくこの話の輪に加わった。
「ったく、なんで、てめーら、そんなにごねるんだよ。ゆうべはそんなこと、ひとっことも言わなかったじゃん」
「そりゃ、坊やを見てなかったからなあ」
 ふたたび、醍醐。
「捕虜を拾ってきたなんて、おかしいとは思ったんですけどね」
 加煎がため息をつく。
「そーだよ。こんな上物、釣り上げてきたなんて、知らなかったんだから」
 東依がふくれる。
 どうやら、セキヤを含めてこの四人がここの実力者であるらしい。ほかにも男ばかり二十人ほどいるのだが、あとの者は面白がってはやしたてるばかりで、実際の会話には参加していない。
「わかったよー、もう。オレの取り分、おまえらにやるよ」
 とうとう、セキヤが根負けした。
「まあ、それで手を打ちましょう」
 加煎が、重々しく言った。
「……けっ、オレ除けもんにして、つるみやがって」
「まあ、怒るなよ。そのかわり、おまえは坊やを煮るなり焼くなり売り飛ばすなり、好きにしていいんだからさ」
 醍醐がにんまりと笑った。東依がうんうんと頷きつつ、
「そうそう。火影のじいさんが、高く買ってくれるよー」
 火影だと?
 イルカは視線を東依に向けた。直後。
 ばきっ、と派手な音がして、東依は一間ばかり飛ばされた。
「無駄口、叩くんじゃねーよ」
 セキヤは右手をぶらぶらとさせながら、言った。
 東依の顔が、見事にゆがんでいる。どうやら、頬骨が折れたらしい。歯も何本かなくなったようで、口からだらだらと血が流れていた。
「命が惜しけりゃ、失せろ」
 セキヤは踵を返した。焦色の眼に、暗い光が宿っている。
「来い」
 セキヤはイルカの腕を掴んだ。
「いいこと、しようぜ」
 醍醐も加煎も、無言だった。むろん、ほかの者たちも。
 恐ろしいほどの沈黙の中、セキヤはイルカをひきずるようにして房にもどった。




ACT 3へ

ACT 1へ

戻る