傀儡 by つう ACT4 イルカがセキヤとともに房に消えて、三時間後。 上半身をあらわにした赤毛の男が、ドアを蹴破るようにして外に出てきた。 「いやあ、もう、最高だねっ」 三時間前とは、打って変わって機嫌がいい。 「……よっぽど、よかったのかな」 頬を石膏で固定した東依が、ぼそっと言った。 「みたいですねえ」 しれっとして、加煎。 「きれいな体してたもんなあ。青タン、山ほど作ってたけど」 しみじみと、醍醐は言った。 「けっ。てめえだけ、ずるいじゃん」 まともに口も動かせないのに、文句だけは一人前だ。 「なに言ってんだよ、東依。セキヤに買い出しの注文とりに行けって言ったら、尻込みしやがったくせに」 「あったりまえだろ。あのセキヤが、メシ運んでいったんだぜ? メシのあとに、一戦始まってたらどうするよ」 「ありえない話じゃないですからねえ」 加煎は、過去のあれこれを思い出しているようだ。 「そんなときに声なんぞかけてみろよ。首が飛ぶぞ」 「神はわれを見放さず」 芝居がかった声で、醍醐は言った。 「神サマが、どうしたって?」 セキヤはにんまり笑って、醍醐の横に立った。 「いやいや、おまえみたいな頼り甲斐のある仲間を与えてくれて、神はおれたちを見放してないな、と……」 しらじらしく、言葉を繋ぐ。 「そうよー、感謝してね。神サマじゃなくって、オレに」 もう、いつものセキヤだった。 「あー、東依。ごめんなー。オレ、理性ぶっとんじゃってさあ。次の仕事の取り分、おまえにやるから、勘弁な」 「へっ?」 東依は、のどに引っかかったような声を出した。 「……いいよ。気色の悪い。それより、しばらくおれに仕事回すなよな」 「わかってるって。治るまで、お客さんでいてねー」 セキヤは東依の肩を叩いて、くるりと向き直った。 「醍醐」 「あん?」 「高坂のお城、いただいちゃおっか」 「はあ?」 「黒髪さんも、例のネタ拾ったらしいからね。ったく、垂れ流しすぎなんだよなあ。これだから、頭の悪いやつは嫌なんだよ」 セキヤは、ふん、と鼻を鳴らした。 「そーゆーことは、肝心なとこにだけ、ちらっと漏れるぐらいにしとかなきゃいけないのにさあ。無礼講の大盤振舞いぐらい、あちこち流しやがって」 「けどよ、んなことしたら、雲との関係、悪くなんねえか」 「知ったこっちゃないね。あっちだって、オレらをうまく使ってラクしようと思ってたんじゃん。ちったあ、痛い目に遭えっつーの」 「カネ、貰ってんだぜ」 「あ、それは、オレが返しにいく」 「……高坂の城へか? そりゃ、無茶だろう」 「カネ返して、ケリつけてくるわ」 にんまりと、セキヤは笑った。 「黒髪さんがねえ、オレのために一肌脱いでくれんのよ。もう、かわいいったらないねー」 「……コトの最中に、脅したんじゃないだろうな」 じろり、と醍醐。 「ばーか。んなことしなくても、黒髪さんはオレの言うこと、きいてくれるのよん」 「よほど変わった御仁なのだな」 加煎が、淡々と意見を述べた。東依は、もうなにも言う気力がないらしい。 「てなわけで、加煎。おつかいに、行ってきてくんない?」 「どこへ」 「木の葉の里」 「まっとうに、行ってもよいので?」 「うんうん。もう、これ以上はないってぐらい、まっとうに行ってよ。これ、書状ね。黒髪さん、直筆よん」 加煎は目を見張った。 「きのうの今日とは思えませんねぇ」 「おまえ、なんか術、使ったのか?」 「ふっふっふー。それは内緒。ふたりだけの秘密よー」 セキヤは片目をつむった。 「日没までに、届けてね。オレたち、夜中に城に入るつもりだから」 「おれたち?」 醍醐が、おそるおそる訊く。 「そ。オレと黒髪さん」 「げ……まじかよ」 東依が、天を仰ぐ。 「一刻以内に、高坂から兵を出させる。あとに残るのは、雑魚ばっかのはずだから、オレたちだけで十分、ぶんどれるでしょ」 「で、そのあとはどうするよ」 「決まってるじゃん。火影のじいさんに、援軍送ってもらうのよー。黒髪さん、人質になってるし」 「中忍ひとりで、あのじいさんが動くかよ」 「今回は、もれなく高坂の城も付いてきまーす」 醍醐は、がっくりと肩を落とした。 「……なんだよ、そりゃ。採算、度外視しすぎじゃねえか」 「はは。まあ、楽しいから、いいじゃん」 セキヤの行動の基準は、とことんそこにある。 「おまえのその性格のおかげで、おれたちゃいつも、綱渡りしてるみたいなもんだぜ」 「綱渡り? うーん、スリリンクで楽しいねえ」 もう、だれも言い返さない。加煎が、封蝋で閉じられた書状をそっと懐に仕舞った。 「……じゃ、そろそろ行きますかね」 言いながら、髪を頭巾で束ねる。いかにも文官然とした風体が出来上がった。 「頼むよん。できるだけ、たーっくさん連れて帰ってきてねー」 セキヤがそう言ったとき、房からイルカが出てきた。 一同の目が、黒髪の少年に集まる。 「なんか、ふらついてねえか?」 「まあ、三時間ですからねえ」 「……鬼」 だれがどの台詞を言ったかは、この際、どうでもいい。 「だいたい、こんなもんでいいと思うんですけど」 イルカはセキヤに、地図を見せた。何か所かに印しをつけつつ、 「機動部隊が、ここ。水路から入って、地下で待機する部隊はこっちで、万一、出陣した兵がもどってきた場合の攪乱部隊はこのあたりでどうでしょう。ここの人たちだけでは、数が足りないのが難点といえば難点ですが、短期決戦ですし、大丈夫ですよね」 すらすらと、布陣を説明する。面々は目を丸くした。 「あのー、まさかとは思うんだけどさあ」 醍醐が、口をはさむ。 「それ考えたの、あんた?」 イルカはふっと顔を上げた。 「理論だけは。実行できるかどうかは、あなたがたの判断に任せます」 「できるよん。なあ?」 イルカの肩を抱いて、セキヤは一同を見回した。焦色の瞳が、意志を持つ。 「細かい話、するからよ。みんなを集めな」 その日の夕刻。 火影は森の国の使者だという青年の訪問を受けた。森の国は雲の国の属国のひとつで、現在、緊張関係にある国境地帯にある小国であった。 青年は加煎と名乗り、木の葉の国の客人をお預かりしていると告げた。 「まずは、これをごらんくださいますように」 加煎は書状を奉じた。火影はその手蹟を見るやいなや、人払いをした。 中を見る顔が、厳しい。二度、読んでから、火影は書状を灯明にかざした。めらめらと炎が上がる。卓上の皿にそれを捨てて、火影は使者に向き直った。 「立ってる者は年寄りでも使え、とな」 加煎は、返答しなかった。火影が鈴を鳴らすと、側仕えの忍が入り口に現れた。 「高坂の城を落とす。出立の準備をせい」 張りのある声が、高い天井に響いた。 小数精鋭とは、こういうことを言うのだろうな。 イルカは高坂の城の中に設けた本陣で、そう思った。皆、まったく無駄のない動きをしている。 城内に残っていた兵は、子供と年寄りばかりだった。卑女や雑色などは早々に逃がし、兵は一カ所に閉じ込めて、とりあえず城は占拠した。 一旦、出陣した兵たちが引き返してくるのと、火影から援軍が到着するのとどちらが早いか。微妙なところではあるが、彼らがいれば大丈夫だろう。 「だいたい、終わったよねー」 セキヤが幕の中に入ってきた。 「頭の悪いやつが、情報戦なんかしようとするから、こーゆーことになんのよ。ま、もう悪さなんか、できないようにしちゃったけどねー」 イルカは目を見開いた。 「それは……」 セキヤは弼をぶらぶらと揺らしていた。 「あ、ごめーん。血抜き、してなかったわ」 弼から、ぽたぽたと赤いものが落ちている。 中は、おそらく高坂卿の首級であろう。イルカはため息をついた。 「もしかして、すでに計画はできてたんですか」 高坂の城攻め。ほかの者はともかく、セキヤの中ではそれは、既成のものとして存在していたようだ。 「んー、まあね。でも、黒髪さんのおかげで、早く方がついたよ」 「ちょっと、悔しいですね」 「初仕事なんだからさあ。上出来だよ」 セキヤはイルカに口付けた。 「……それ、置いてもらえませんか」 弼を指さして、言う。 「ごめんごめん。血、ついちゃうよな。はい、これでいいでしょ」 うしろの台に弼を乗せて、セキヤはふたたび、イルカを抱き寄せた。 「んじゃ、作戦成功を祝って、打ち上げといきましょーか」 「まだ、完了したわけじゃありませんよ」 「固いこと言わないの。ここ、部屋だけはたっくさんあるし、蒲団だってふかふかだよん」 なにかと世話になったので、それはべつにかまわないのだが、ほかの者たちがまだ働いているうちに、そういう気分にはなれない。 「ふかふかの蒲団がいいなら、何組か貰って帰ったらどうです」 「あー、それ、いいかも」 セキヤが大袈裟に納得したとき、幕を開けて醍醐が現れた。 「……また取り込み中かよ」 「あ、いいのいいの。ここの蒲団、持って帰ってからすることにしたからー。で、なに?」 「木の葉の里ご一行さまがお着きだぜ」 間に合った。 イルカは、ほっと胸を撫で下ろした。 「えーっ、なんでよ、じいさん。ちょっとぐらい、貸してくれたっていいじゃんかー」 セキヤは、火影に食ってかかった。 むろん人払いはしてあるが、火影にこのような態度をとる人間を、イルカははじめて見た。 「黒髪さん、いろいろたいへんだったんだよー。休暇、やってよ。んで、オレんちに泊まってもらうの」 「休暇、のう」 くつくつと、火影は笑った。 「休暇中では、この者は御身のもとへ行かぬと思うぞ」 見抜かれている。イルカは心の中で、苦笑した。さすがに火影だ。自分の気性をよく知っている。 「えーっ、なんでよ」 「この者は、忍であるがゆえに御身と行動を共にした。個人としてではない」 セキヤはぐっと、声をつまらせた。 「それでよしと、してくれぬか」 火影は、このままイルカを木の葉の里へ連れ帰るつもりらしい。 セキヤはじっと、イルカを見た。やっぱりね。そういうことか。 そんな声が、聞こえたような気がした。 「……わかったよ。ったく、もう、せっかく楽しく仕事ができたのになー」 「それは、祝着じゃな」 「んじゃ、カネ、貰うよ」 セキヤは卓の上に置いてあった重そうな巾着を手に取った。 「黒髪さん」 「はい?」 「いまはまだ、任務中だよな」 「え……」 イルカが答えるのを待たずに、セキヤは唇を重ねた。息苦しいほど、長い口付け。 火影はため息まじりに、横を向いた。 「こんなことなら、あんとき、いただいときゃよかったなー」 唇をはなして、セキヤは言った。昨日、東依の顔を殴ったあとのことだ。 「ま、いっか。楽しかったし。こっち方面の任務、これからもばんばん受けてよねー。そしたら、また会えるから」 「そうですね。約束はできませんが」 にっこりと、イルカは笑った。 「もー、最後まで、つれないったら」 くすくすと、セキヤは言った。 「じゃあ、またねーっ」 素早く、印を結ぶ。 空気に溶け込むように、セキヤの姿は消えた。 イルカはしばらく、セキヤの気配の残った空間にいた。あの男の体温が、まだかすかに漂っている。 「ご苦労であった」 重々しく、火影は言った。イルカはひざを折った。 「帰還する」 「承知」 夜明けとともに、火影は高坂の城をあとにした。イルカもそれに付き従う。 山の端が日の光に照らされて白く変わるころ、彼らの住むあたりに目を向けて、イルカは小さく、別れの言葉をつぶやいた。 (了) |