傀儡                 by つう







ACT1



 捕虜を収容する独房にしては、妙に広い。
 牀もしつらえてあるし、卓や文机なども置いてある。これは、どう見ても宿直(とのい)の兵の仮眠室といった感じだった。
 うまく、いったな。
 イルカは牀に横たわって、気力と体力の回復に努めた。
 あの尋問官は、自分に興味を持ったらしい。ほんの少し餌をちらつかせただけで、見事に食らいついてくれたのだから。
 もっとも、そこに至るまではたいへんだった。機密文書や武器を体内に隠しているのではないかと、胃の洗浄やら腸の触診やら、やたらと内部を調べられた。自白剤も投与されたが、幸い自分には効かない種類のものだったので、なんとかごまかすことができた。
「苦しいか」
 尋問官は、訊いた。
 苦しいと、言ってほしいわけだ。
 イルカは弱々しく頷いた。
「そろそろ、楽になりたいだろう」
 そうですね。早く休みたいですよ。
「だったら、早く吐いてしまえ」
 そういうわけにも、いかないでしょうが。
「……ほんとに……知らないんです」
 途切れ途切れに、言う。
「それは、気の毒に」
 尋問官は、下卑た笑みを浮かべた。
「しかし、だからといって見逃すわけにもいかないのでね」
 わかってるよ。だから、どうにかして時間をかせごうと思ってるんじゃないか。
「……もう……だめなんですね」
 ここがポイント。
 あきらめの表情は、相手の保護欲をそそる。
「それは、おまえ次第だ」
 よし。チェックメイト。
「……なにを……すれば……」
「助かりたいか?」
「……はい」
 尋問官の手が、下肢に伸びる。
 先刻、さんざん調べられた内部に指が入り込み、かき回し始めた。
 そんなことしなくても、大丈夫だよ。ばかばかしいほど、いろんなもの入れられたんだから。
 イルカはきつく目を閉じた。
 ほら、あんたの獲物だよ。好きにして、いいんだよ。上官の色子になっていた同僚がしていたように、イルカは脚を開いた。
 まったく、この状況が、うますぎると思わないのかな。
 イルカの顔に浮かんだ蔑みの表情に、尋問官は気づく様子もなかった。





 そして。
 連行されたのが、この部屋である。
 しばらくは、あの男にいいようにされるんだろうな。
 イルカは牀の上でそう思った。まあ、それも仕方ない。せっかく手に入れた情報を、敵方に渡すわけにもいかないのだから。
 とりあえずはうまくいったが、この状況はそう長くは続くまい。いずれは雲の国の本部に身柄を移されるはずだ。そうなっては、脱出の機会は激減する。
 ここにいられるうちに、なんとか糸口を掴まなくては。
 連絡を断って、二日たてば木の葉の里でもなんらかの動きがあるはず。ということは、ここ四、五日が勝負だ。
 移送の折が、好機かもしれない。それまでは、あの男にせいぜい奉仕しておこう。そうすれば、移送の際の警戒がゆるむ。
 ここは雲の国と木の葉の国の国境地帯。うまくすれば、一刻とかからずに木の葉の息のかかった里に逃げ込める。
 その機会を待つのだ。いまは。
 イルカは、ひたすら休息を取ることに努めた。




 それにしても、中忍になってはじめての任務で、こんなことになろうとは思ってもみなかった。
 雲の国に潜入している「草」との連絡役。それが新米の中忍であるイルカに与えられた最初の仕事だった。
 草とは、市井にまぎれて情報収集に当たっている忍のことである。
 大半は、高齢になって現役を引退した者か、怪我などによって一線を退いた者がその任に当たる。正式に里に属しているわけではないが、「草」の生活は里が保障していて、任務上での怪我や死亡に関しては、相当の手当をするのが常であった。
 雲の国は、いま、木の葉の国と緊張関係にある。木の葉の国の四代目火影が殉職して、いわゆる「英雄」となったあと、雲の国の上層部は木の葉の国の国境地帯をじりじりと侵食しつつあった。
 木の葉の国と雲の国は、厳密には直に国境を接しているわけではない。それぞれの属国ともいえる小国をはさんで、いわばにらみ合いの状態である。
 その小国には、またそれぞれ自治を目指す組織があって、なにかと紛争が絶えないのだが。
 イルカが接触した「草」は、齢八十にもなろうかという媼であった。
「ほほ。おまえさんが、つなぎかえ」
 虫の息だというのに、媼は面白げにそう言った。
「なんとも、まあ、かわいい坊やだこと。おまえさんみたいな子が、忍だなんてねえ」
 媼は、イルカの手を取った。胸部からの出血が多い。おそらく、もう助かるまい。
 イルカがこの家に着いたときには、すでに老婆は土間に倒れていた。抱え起こしてみたが、襲撃を受けてからかなりの時間がたっていたらしい。土間に流れた血は、すっかり変色していた。
「高坂卿が、城を抜けた」
 媼は低い声で、言った。
 高坂卿とは、雲の国の属国の領主である。代々、雲の国の君主と縁戚関係にあり、国境警備の一翼を担う最右翼のひとりであった。
 その高坂卿が、居城から姿を消した。それはすなわち、雲の国にとって国境の重要な要をひとつ、失うに等しい。
「して、卿の行方は」
 媼は首を振った。そこまでは、わからぬらしい。
 雲の国に造反するつもりなのか、それとも、城を捨てて雲の国の都まで逃げたのか。いずれにしても、国境地帯の布陣を左右する情報には違いない。
 初仕事にしては、重い情報だった。この媼が襲われたということは、雲の国もなんらかの動きがあると察しているのだろう。
 一刻も早く、木の葉の里にもどらなければ。
 イルカは媼の耳に口を近づけ、永遠の別れを告げた。忍にしか聞こえぬほどの小さな声で。
「ご安心を。たしかに、承りました」
 媼は薄く笑うと、眠るように事切れた。





 その夜のうちに国境を越えて、木の葉の勢力下にある森の国に入れるはずだった。が、あと少しというところで雲の忍に取り囲まれて、イルカは捕縛されてしまった。
 あとは、お決まりの拷問である。
 国境の最前線を任されているのは堂勲という雲の国の中忍で、イルカの尋問にもこの男があたった。もっとも、最初は名前などわからなかったのだが。
「変わりはないか」
 房の外で、声がした。件の尋問官の声だ。
「は、異状ございません」
「下がっていろ」
「え、しかし、堂勲さま、それは……」
「よい。下がれ。わしが呼ぶまで、だれも近づくでないぞ」
 そそくさと、遠ざかる足音。気紛れな上官を持つと、部下は苦労する。
 カチャリと、鍵の開く音がした。さて、仕事だ。
 イルカは、牀の上にぐったりと伏した。
 ドアが閉まる。堂勲はすっかり気をゆるめているらしく、上衣を脱ぎながら牀に近づいてきた。
 肩に手がかかる。びくりと体を震わせて、イルカは顔を上げた。焦点の合わぬ目で、侵入者を見る。
「だいぶ、腫れは引いたな」
 イルカの顎を掴んで、堂勲は言った。
 おかげさまで。化膿止めやら湿布やら、やたらと丁寧な手当をしていただきましたからね。
 心の中でそうつぶやいて、イルカは視線をそらした。
 堂勲が牀の上に腰をおろした。年若い俘虜の衣服を、手早くはぎとっていく。暴行の跡が残るその体に、堂勲はのしかかった。





 そんなに、いいものなのだろうか。こんな体が。
 荒い息遣いを聞きながら、イルカは考えた。まあ、そう思ってもらわないと、こっちも困るのだが。
 ときおり哀願の声をあげると、ますます興奮するらしく、動きも激しくなる。体力的に結構きついので、できるだけ短くすませたい。イルカは相手の望む通りの態勢をとり、頂点に導いた。





 ドアが閉まるまで、イルカは牀に突っ伏していた。
 鍵のかかる音がして、足音が遠ざかっていく。イルカは小さく、ため息をついた。とりあえず、本日の任務終了。
 その日一日を生き延びることが、いまの自分の任務なのだから。
 体を拭かなくては。そう思って、身を起こそうとしたとき。
 牀の側に、人影が現れた。
「まーったく、なにやってんのかねえ」
 あきれたような声が降ってきた。
 イルカは動くことができなかった。何者だ。こいつは。いまのいままで、まったく気配すら感じなかったのに。
「あれえ、もしかして、驚かせちゃったかな」
 この状況で、驚かない方がおかしいだろうが。
 イルカは、ゆるゆると顔を上げた。
 窓から差し込む月明りに浮かび上がったその姿は、まだ二十歳になるやならずの青年のものだった。緋色の髪が、ゆらゆらとゆれている。
 男は、ずいっと顔を近づけてきた。
「あらら、だいぶ、いじめられちゃったのねー。ええと、オレの言ってること、わかるよね。まだ狂ってないでしょ、黒髪さん」
「……あんた、だれ」
 ひっそりと、イルカは訊いた。
「うわー、いい声してんのね。こりゃ、あのスケベおやじじゃなくても、そそられるわ」
 にんまりと、男は笑った。
「ねえねえ、黒髪さん。オレさあ、あんたのこと、気に入っちゃったんだけど、オレにも、させてくんない?」
 あっけらかんと、男は言った。イルカはじろりと、男をにらんだ。
「断る」
「えーっ、どうしてよ。あーんな変態おやじに好き勝手させてるくせにさあ。オレの方が、ずっといいよ。させてくれたら、ここから連れ出してあげてもいいんだけどな」
 信用できるか。そんなこと。
 堂勲は、自分に興味を持っている。職権濫用をしてまで、こうして捕虜を個人的に囲っているのだ。今後の情勢によって、どう変わるかは定かではないが、少なくともいまは命を取られる危険はない。
 しかし。
 いきなり目の前に現れたこの男は、得体が知れなかった。気配の消し方から察するに上忍レベルの力の持ち主だろう。
 敵か、味方か。あるいはその、いずれでもないのか。
 素性の知れぬ者に、命を預けるわけにはいかない。だいいち、「連れ出す」と言っているだけで「助ける」とは言っていないところが曲ものだ。
「……ふーん。馬鹿じゃないんだね」
 男の声音が、変わった。
「よーし、わかった。オレ、お利口さんは大好きなのよ。出血大サービスで、助けちゃおっと」
 言うが早いか、男はイルカを抱え上げた。
「……!」
 声を上げる間もなかった。男が素早く印を結ぶ。
 一瞬ののち、ふたりの姿はその場から消えていた。




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