『狂える椿』


byつう

十五
の章

 眩しい。
 まぶたを閉じていても、光の多さを感じる。イルカはゆっくりと目を開けた。
 予想を上回る光量。思わず、まばたきをした。徐々に色が戻ってくる。
 見覚えのある天井と欄間、襖に床の間。
 幾度、ここで朝を迎えただろう。あの男の腕の中で。求めて、満たされて、安心して。目覚めると、すぐ側にあたたかい体温があった。
 ふと横を見遣る。当然のことながら、そこにはだれもいなかった。
 馬鹿な。なにを期待しているんだ。自嘲ぎみに口元を歪める。
 イルカはそろそろと起き上がった。体のあちこちが痛い。深手はないようだったが、まさに満身創痍の状態だ。
 当たり前か。上忍と中忍。力の差は歴然としていた。最後の反結界が失敗していたら、命はなかったかもしれない。
 カカシの次の任務というのは、いつからだろう。それまでに傷を治して、随身しなければ。
 側にいたいと願った。ずっと、一緒にいたいと。それが叶うのだ。どんな形にしても。
「起きたんですか」
 うしろから声がした。
「ちょうどよかった。朝飯ですよ」
 カカシが土鍋を盆に乗せて入ってきた。枕元に置いて、椀を差し出す。
「残さないでくださいね」
 強烈な、薬草の匂い。
「これは……」
「前にも説明したでしょ。どんなに体調が悪いときでも、たちどころに回復するっていうスグレモノ。チャクラがゼロになるまで戦うような無謀なことをしたんだから、今日はこの粥で我慢してもらいますよ」
 正論だ。
「……いただきます」
 椀に粥をよそい、匙を手にした。灰色の、泥のようなそれを口に運ぶ。
 やはり、不味い。苦みと渋味と腐ったような酸味。いわく言いがたい味である。戻しそうになりながらも、なんとか嚥下した。それを何度か続けていると、
「そうそう。しっかり食べてくださいよー」
 面白そうに、カカシは言った。自分のぶんを椀に取り、揚げたはるさめをぱらぱらと散らす。それを匙で混ぜつつ、
「きのう、あんた、少なく見積もっても二回は死にましたよね」
 にんまりと、カカシは笑った。
「現場で、あんな無様な真似はしないでくださいよ。一応、合格は出しましたけど、及第点ぎりぎりなんだから」
 追い討ちをかけるように、言が続く。匙を持つ手が震えた。のどの奥がどよもす。吐きそうになって、慌ててイルカは口を押さえた。
 どうして。
 どうして、そんなことを言うんだ。わかっているのに。
 自分の力がいかほどのものか、だれに言われるまでもなく承知している。だから、あなたの副官として、恥ずかしくないようにしなければと思っているのに。
「年明けには、森の国に入ります。それまでに、その軟弱な体をなんとかしておいてください」
 感情のかけらも窺えない。言葉は矢のように、イルカに突き刺さった。
 苦しかった。息もできないほどに。
 ある意味、拷問に匹敵するような食事のあと、カカシは「今日一日、休養するように」と言い置いて出ていった。
「休息も任務のうちですからね」
 任務。
 あの男と自分のあいだには、もはやそれしか存在しないのだろうか。
 カカシの真意がわからない。雨の国に出かける前は、それまでと変わらぬ夜を過ごしたのに。
 心を乱して、ほかの腕にすがったからだろうか。だれでもいいのなら、もう要らないと思われたのか。
 罰かもしれない。求めすぎたことへの。
 だからいまになって、あの男のもっとも近くに置かれたのだ。もっとも近くて、同時にもっとも遠い場所に。
 明るすぎる部屋の中。イルカはカカシへの想いを抱きしめて、嗚咽した。




 その後も、イルカはカカシの家にいた。
 命じられるままに食事を摂り、傷の手当てをし、徐々に鍛練などもして。
 暮れもおしせまったある日、局長の政城から呼び出しを受け、イルカはしばらくぶりに事務局に顔を出した。急な辞令でカカシの副官になったあと、事務の引き継ぎができていなかったのだ。
「受付業務は、なんとか回ってるんですがね。諜報局や経理課とのかねあいが厄介で」
 政城は、何人かの職員にイルカの受け持っていた業務を分担させていたらしい。
「やはり、これはだれかひとりが担当した方がいいでしょう」
 そう言って、イルカは同僚を名指しした。自分とともに、いろいろな企画の立案や書類作成に携わってきた男だ。ほかの業務を少なくすれば、十分にこなせるだろう。
「へっ、おれが?」
 同僚は、頭をかいた。
「そりゃたいへんだな。春にゃ子供も生まれるってえのに、また残業の嵐かも」
 冗談まじりに愚痴を言いつつも、同僚はそれを承諾した。
「うみのの頼みじゃ仕方ないよなー。ま、出産祝い、はりこんでくれよ」
 イルカの肩を盛大に叩いて、同僚は笑った。




 引き継ぎを終えて、イルカは事務局を出た。夕刻。裸木の向こうに、妙に大きな銀朱の太陽が見える。
 年が変われば、すぐに森の国へ行く。独立反対派の排除。それがおもな任務内容だと聞いた。
 期間はおよそ三カ月。その間、ナルトたち七班の子供たちは、また指導教官なしで任務をこなさねばならない。アスマや紅がふだんの訓練をフォローしているとはいっても、やはりなにかとデメリットは大きいだろう。
 行ってみるか。
 ふと思いついて、踵を返す。ナルトのアパートは、この近くだ。
 木造の古いアパート。そこに、ナルトはひとりで暮らしていた。
 あいつがアカデミーを卒業するまでは、よく来たっけ。暴走ぎみのナルトの監視もかねて。でも、生き生きとしたナルトを見るのは楽しかった。失った自分を見ているようで。
「先生!」
 ドアを開けるなり、ナルトは叫んだ。
「うわーっ、ほんとに、イルカ先生だってばよ」
 いつものように、抱きついてくる。
「あっ、いけね。イルカ先生、ケガしたんだったっけ」
「え?」
「今度、カカシ先生と一緒に任務に行くんだろ。で、カカシ先生んちで特訓してるって……」
「カカシ先生が、そう言ったのか」
「うん。なんか、たいへんな任務なんだってなー。イルカ先生、大丈夫かよ」
 心配そうに、ナルト。
 人を困らせてばかりだったのに。それが、人を思い遣るようになった。それはそうか。ナルトとて、もう立派な忍なのだ。
 すすめられるままに、中に入った。あいかわらず足の踏み場もないほどに散らかっている。
「いま、お湯わかすから待っててくれよな」
 ナルトはそう言って、台所に立った。
「ちょうどよかったってば。お茶っ葉、買ったとこなんだ。イルカ先生、ほうじ茶、飲むだろ」
 イルカは少なからず驚いた。飲物といえば一年中、麦茶か牛乳だったやつが。
 湯が沸くまでのあいだに、ナルトはいろいろと近況を話してくれた。日々の任務や、訓練のことなどを。
「またカカシ先生抜きの任務になるけど、がんばんないとなー。ここんとこ、Cランクの仕事も増えたんだぜ」
 それは知っていた。本当に、彼らの成長は目を見張るばかりだ。
「そうか。みんなとも、うまくやってるみたいだな」
「あったりまえじゃん」
 ナルトが自信満々に言い切ったとき、やかんがしゅんしゅんと音をたてはじめた。
「あ、沸いた沸いた」
 ひょいと立ち上がり、やかんの湯を急須に注ぐ。ほうじ茶の香ばしい匂いが部屋に漂った。
「はい、どーぞ」
 ことり、と、テーブルに湯飲みが置かれた。湯気の向こうに、以前より少しだけ大人になったナルトがいる。
 自分などが心配する必要は、もうないのかもしれない。子供はいつまでも子供ではないのだから。
 ゆっくりとほうじ茶を飲み干し、イルカは席を立った。
「おいしかったよ」
 心をこめて、言う。ナルトはそれに、最上級の笑顔で答えた。



 里のはずれの家に向かいつつ、イルカは自分がひとり、取り残されているような気がしていた。周りはすべて動いているのに、なにも変わらぬ自分。いや、むしろ後退さえしている。
 このままではいけない。せめて、あの男の足手まといにならぬようにしなければ。
 冬の星々が夜空を飾る。イルカは拳を握り締めて、歩を早めた。







十六の章へ続く


サスナル連動作『揺らぎ』3へ

戻る