| 夏芽が眠る。この腕の中で。 安らかな顔。深い息。 こんな夜がくるなんて、思いもしなかった。 昏一族はぐれ人物語 青年編終章 眠りの夜 by(宰相 連改め)みなひ 暗闇の中、ごく微弱な遠話が伝わる。よほどの術者でないとわからない、特殊な波長で。 『というわけで、御門は莫との国境地帯を固めるおつもりでいらっしゃいます』 遠話の主は桐野灯(きりの あかり)。御門が最も信頼する「手」の一人。彼は数ヵ月前より、御門とオレとの繋役となっている。 『つきましては、嵯峨弥殿には作戦に御同行頂くことになるかと思います』 作戦にオレが同行。ということは、御門は暁を使うということか。では、莫の国に対する進行もありえる。暁の存在を知らしめて、牽制するだけだといいけど。 『作戦はいつからだ?』 『詳しい打ち合わせは明後日の午後、奥殿にて。御門も御同席なさいます』 『わかった』 暁が御影に配属されてからというもの、オレはずっと彼を監視してきた。今の暁はボーダーだ。任務の成功率は高い。しかし、味方の犠牲が多すぎる。 仕方ないよな。 ぼんやりと思った。すべてがうまくいくはずがない。暁は人として大切なものを封じられたまま、偽りの自分を生かされているのだ。自らを失ったことさえ知らずに。 『報告は以上です。何か、お伝えすることはありますか?』 桐野が尋ねた。オレは少し考える。 『いや、ない』 『わかりました』 『桐野』 一つだけ思い出したことがあって、この「手」の名前を呼んだ。そうだ。あのことを確認しなくては。 『なんでしょう』 『夏芽に入れ知恵したのは、お前か?』 単刀直入に問う。思えば夏芽らしくなかった。オレと一緒に暮らすのは、ちゃんと償っていけるかどうかだなんて。 『おっしゃる意味が、わかりませんが・・・・』 夏芽をずっと監視してきた、「手」の男は答えた。 『ですが、友人として、漆原と話したのは事実です』 さらりと言われて苦笑した。あくまでも「手」としてではなく、「友人」として答えるつもりらしい。 『漆原は「理由」を探していました』 桐野灯は言った。言葉を継ぐ。 『残念ながら、あいつには無理です。理由付けで行動している奴ではありませんから。ですから、多少不格好でも、それらしいものをこじつけました』 淡々と告げられ完敗する。確かにそうだ。夏芽はいつでも言っていた。したいからする。好きだからすると。 『漆原は、先に進みたいのです』 桐野の意図とするものが、短い言葉の中で伝わった。内容はどうあれ「理由」は在る。だから進めと。 『友人としては、あいつには望む道を歩いて欲しいと思います』 御門の「手」ではない、夏芽の友人桐野灯が告げた。オレは頷く。 『よろしいでしょうか』 再び「手」に戻って、桐野が訊いた。 『ああ。桐野、ありがとう』 『なんのことでしょうか。それでは、失礼致します』 桐野は遠話を切った。気配が遠ざかってゆく。消えて。 ふう。 肩の荷が降りたような気がして、オレは大きく息をついた。隣を見やる。視線の先には、夏芽の寝顔。 眠れるかな。 息を殺しながら思った。 こわくて、眠れないや。 まだ信じられない。眠って目をさましたら、すべてが幻みたいに消えてしまいそうで。 ほんの数時間前、オレは夏芽を抱いた。 四年前とは違う、お互いの意志による交わりだった。 『あ!す、すみませんっ』 任務明けの夕方。出雲のお墓参りに行ったオレは、森で眠る夏芽を見つけた。心臓が止まるかと思った。誰かに襲われたのか?それとも凍死か?我を忘れて駆け寄った。まさかただの昼寝だなんて、まったく予測外だったけれど。 『すんません!今ハンカチをっ。拭きます!』 驚きと戸惑い。思わず退いてしまうオレに、夏芽はまっすぐな目をして迫ってきた。眩しい視線。過去の楽しかった日々が甦る。同時に自らの所業も突き付けられて、オレは逃げるように去ってしまった。後で後悔する。こんなことではだめだ。やっと会うって決めたのに。 『その、よく寝てたものだから。すみません』 温かい何かが瞼に触れて、目を覚ましたら夏芽がいた。それも至近距離に。オレは言葉を忘れた。 任務から帰ったら土岐津に相談しよう。そうもたもたしていたオレに、二度目の出会いはいきなり襲った。たしかに同じ兵部省で働いていることは知っていた。けれどまさか、夏芽が直接ここに来るなんて。 その日から夏芽とオレの二度目の交流は始まった。夏芽は足蹴く資料庫に通ってくれた。あまり外に姿を出したくないオレの代わりに、必要なものを調達してくれた。オレは嬉しかった。また夏芽と会える喜びを、噛みしめていた。 『いいえ!手品みたいでした!』 転移の術を見せたオレに、目を輝かせて告げた夏芽。 『嵯峨弥さんの好きな食べ物って、何です?』 握り飯が好きだと答えたら、目が点になった夏芽。夏芽が好きにさせてくれたんだよ。あの握り飯。 『嵯峨弥さんの楽しみって何ですか?』 今も十分楽しんでると告げたら、また驚いてた夏芽。オレには天国だった。夏芽に会える。それだけで。 昔も今も、夏芽はオレにたくさんのものをくれた。オレは少しでもそれに報いたかった。どんなことでもいい、何かを返したい。夏芽に喜んで欲しい。だけど。 夏芽から何かを求めてくれることはなかった。 当り前だよな。 まだ知り合って間もないのに、気を許してくれるはずない。 それより、あのことを言わなくては。 どう過去を告げよう。いや、もう少し親しくなってからと迷っているうちに、日々は過ぎていった。そして。 『嵯峨弥さん!』 遠くなる意識の中で、夏芽の声を聞いた。任務で負傷して、御影研究所で応急手当を終えて、資料庫にたどりついて・・・・。 『はあ?なに謝ってんですか!』 苛立ったように夏芽が言う。とにかく謝りたかった。告げたかった。一言、悔いていることを。 後で土岐津から聞いた話だが、彼が駆けつけた時、夏芽は意識を失ったオレを抱きしめ、ひどく取り乱していたらしい。心配させてしまって、申し訳ないと思った。 『何やってんですか!まだ立っちゃだめですよっ!』 『どーしておとなしく寝てられないんですっ!』 『また傷が開いたらどうするんですか!嵯峨弥さん死にかけたんですよ?!こんなじゃ、命がいくらあっても足んないです!』 意識を取り戻してからのオレを、夏芽は一生懸命看病してくれた。 『『すみません』より、『ありがとう』の方がいいです』 『どうか遠慮しないでください。あんたはケガ人です。なんでも必要なことは言えばいい。その為に、おれがいるんです』 『そんなのいいんです!おれが好きでやってるんですからっ!』 夏芽の言葉にはいつも、飾りがなかった。その分気持ちがダイレクトに伝わる。なんの見返りも求めず、オレを気に掛けてくれる。手をさしのべてくれる。 つらかった。 オレにはそんな資格はない。 夏芽に優しくしてもらう価値などない。けれど。 すべてを告げてしまったら、こんなふうに夏芽に見つめてもらえることはないんだ。 言い出せなかった。 どれだけ自分が卑怯かわかっている。何度も思い直して、真実を言おうと拳を握った。 だけど、次々と押し寄せてくる迷いに、オレは揺らいでしまう。 本当にそれでいいのか? 自分が救われたいだけではないのか? 平和に生きている夏芽の人生を、壊してしまうことにはならないのか?そして。 こう思ってしまうのも、オレ自身の「逃げ」ではないのか? 過去を告げることも告げないことも、どちらも間違いに思えてくる。そんなオレに、 『ごちそう、してくれるんでしょ?』 その言葉を聞いた時、正直安堵した。よかった。どんな形でもいい。夏芽がオレに求めてくれる。恩返しができる。少しでも、夏芽に返したい。 『嵯峨弥さんも食べてください!これも、これもうまいですよ』 土岐津に紹介してもらった料亭は、とても上品な味でおいしかった。夏芽も気に入ってくれたらしい。 『確かに興味がないと言えば嘘になります。でも、今日おれは、あんたともっと仲良くなりたくてここにいるんです。女と遊ぶ為じゃない』 もっともてなしをと考えて、遊廓に誘ったオレに夏芽は言った。オレは自分の考えなさを反省する。 『わかったなら、いいんです。今日はおれ、嵯峨弥さんと親密になる為来たんです。責める為に来たんじゃない。謝るのは、もう終わりにしましょう』 『それと『お礼』、こっちもやめましょう。何回か言ってるけど、おれは、なんでもやりたいからやってるんです。特に嵯峨弥さんに関しては、やっただけで満足なんです。だから、嵯峨弥さんも『お礼』ばっかり見てないで、おれを見てください。それが一番、おれにとっては嬉しいです』 夏芽が告げる。だめだ。そんなにオレに、優しくしないで。オレは、夏芽を・・・・。 喉元まで言葉がこみ上げた瞬間、夏芽は倒れた。酒量が限界だったらしい。オレは夏芽を夏芽の自宅まで運んだ。 『えーっ、もう遅いですよ。どうぞ泊まっていってください』 目を覚まし、薬湯とお茶を飲んだ夏芽は言った。オレは動揺する。泊まってしまったら、自信がない。 『前にも言ったでしょ、全然迷惑じゃないって。それに、まだ頭が痛いです』 迷うオレの背中を、夏芽の言葉が押した。自分に言い訳する。夏芽は頭が痛いんだ。一人にするわけにはいかない。 『好きです』 いきなりだったそれの後、顔を離した夏芽が言った。 『おれは、嵯峨弥さんが好きなんです』 唇に感じた熱。その時気づいた。今までのことは夏芽の優しさではない。夏芽は、オレを・・・・。 いけない。 それだけは許されないんだ。 遅すぎるけど、告げなければ。 オレは全部を伝えた。過去の過ちを。全部。 驚きながらも、夏芽は最後まで聞いてくれた。そして。 『嵯峨弥さんには悪いですが、おれ、どーしても嵯峨弥さんの言うことが信じられないです。だって、記憶にないし』 無理もないと思った。だからこそオレは夏芽に懇願した。記憶の修復を。 『わかりました。いいです』 夏芽は拒まなかった。 『記憶、戻してください』 未知のものを恐れない心。受け入れる強さ。オレは夏芽に感謝しながら、夏芽の記憶を修復した。護国寺で積んだ修行の甲斐もあり、完全とはいえないけれど、殆どの部分の記憶を修復することができた。 償おう。 遅すぎた覚悟を決める。 今こそ、夏芽に償うんだ。 『いらないです』 夏芽は言った。 『償いって、いきなり言われてもわかんないです。そりゃ、そういうことはありました。けれど、それは過去のことで・・・・・今は、実感がないです』 驚きよりも、深い不安に教われた。いらないって?オレには、その資格さえないの? 『だから、ないって!』 『いい加減にしろよ!だったらあんた、おれが言ったら何でもすんのかよ!なら、死ね!』 それを聞いた時、よかったと思った。これで夏芽に償える。夏芽が望むのなら、いいと。 オレに迷いはなかった。小刀を手に取り、それを果たそうとする。 『ふざけんな!』 小刀が叩き落とされた。 『冗談じゃねぇよ!』 『あんた何もわかってない!おれは、あんたが好きなんだ!』 夏芽の叫び。気づいた。オレはまた、自分の思いにとらわれていた。己の「償い」のみにこだわって、夏芽の気持ちを考えずに。けれど。 進めない。 このまま何もなかったことにして、生きてゆくことはできない。 だけど、どうすれば・・・。 『一週間ください!その間に、とびきりの『償い』を考えます。すっごいのを!』 驚くオレに、夏芽は言った。オレは混乱する。夏芽は「償い」はいらないと言った。考えてくれるの? 夏芽。 オレの心は決まった。 委ねようと思った。夏芽に。そして。 復帰後始めての任務を終え、オレは夏芽の決めた「償い」を聞いた。それは、一緒に暮らすことだった。 一緒に暮らす? だめだよ。オレは許されてはいけない。 「償うこと」なしには、夏芽といることはできない。 『おれといること。おれのために生きること。それが、おまえの”償い”だ。嵯峨弥』 「償い」の呪縛から逃れられないオレに、夏芽は言った。 『一生、一人の人間を思い続けること。その人間の為に生きること。容易いと思うなら証明しろ。おまえ自身で』 まっすぐな瞳が告げる。証明。オレ自身で。この先生きていく時間を、全てかけて。 わかった。 それが夏芽の「答え」なんだね。 そうして、オレをまた救ってくれるんだ。 あの遠い日みたいに。 それでも。 生きてゆこうと思った。 たとえ自分が夏芽に甘えたままで、夏芽と生きるには不相応だとしても。 生きてゆきたいと思った。 夏芽が望んでくれる限り、オレは一緒にいたい。そして少しでも返したい。たくさんのものをくれ続けている夏芽に。 「何見てるんだよ」 聞き慣れた声に我に返った。目をやれば、黒い瞳が見つめている。 「あ・・・・その、夏芽の寝顔を、見てた」 「やめろよー。恥ずかしいコトすんな」 正直に告白すれば、夏芽は露骨に眉をしかめた。 「あの、ごめん。夏芽よく寝てたし、つい見とれて・・・」 「そういうこと言うなよー。見とれるって、おまえ変だぞ」 必死に告げれば、思い人はぷいと背を向けてしまった。オレはおろおろする。どうしよう、夏芽を怒らせてしまった。 「夏芽、ごめんね」 「・・・・・」 「ごめん」 「・・・・・・・・」 「本当にごめんなさい」 謝るオレに、夏芽は何も言わない。ああ。ものすごく怒ってるんだ。オレは叱られた犬よろしく、夏芽の後ろで肩を落とす。しばらく沈黙。 「いーよ」 「えっ」 「もう、いーって!」 俯き固まるオレに、夏芽の声が聞こえた。オレは顔を上げる。くるり。夏芽がこちらを向いた。 「ほら」 ぐいと髪を引かれた。痛みに顔を顰めながら、オレは夏芽のもとに引っ張られる。 「いたたっ。な、夏芽っ」 「笑えよ」 「え?」 「そんな顔、するなよ。おまえのその顔、おれヤなんだ」 夏芽が告げた。イヤ。オレはまた、項垂れそうになる。 「おまえはさ、笑ってるほうがいいんだ。その方がきれいだ」 逸らさない瞳。オレは言いようのない気持ちになる。 「な?」 「そうだね」 夏芽の言うとおり、オレは微笑みを返した。同時に祈る。目の前の大切な人が、離れていかないように。 「来いよ」 再度髪が引かれた。オレは痛みに押されて、夏芽の隣に転がる。 「寝るぞ」 髪をつかんだままの夏芽が、出会った頃の笑顔で告げた。 「うん」 オレは泣きそうになる口元を結んで、そっと目を閉じた。 ごめんね。 オレはいつも、夏芽に甘えてばかりだ。それでも。 今度は逃げないから。 まだまだ全然だけど、一生かけてがんばるから。 だから、もう眠るよ。 夏芽との、明日のために。 おわり |