『手当ては無駄です』
 ヤメテ。
『強く、なられましたね』
 誰カ助ケテ。
『嵯峨弥様』
 オ願イ。行ッテシマワナイデ。 
『どうか、御自身の道を』
「出雲っ!!」 

 夢。
 それは何度もオレのもとを訪れる。
 何度もオレに突き付けてゆく。
 自らが犯した、取り返しのつかない所業を。
 あの日のままに。




昏一族はぐれ人物語 青年編序章 
始まりの朝




「夢か・・・・」
 溜息と共にこぼれた。ゆっくりと起き上がる。気持ち悪い。じっとりと濡れた背中。
 もう何度見たかわからない夢を、オレは今夜も見てしまった。否、夢ではない。己の過去の記憶だ。
「本当に、夢ならよかったのにな」 
 明らかに泣き言にしか聞こえない言葉が、口より洩れてしまった。自嘲に唇を噛む。情けない。何を甘えたこと言っているんだ。その資格もないくせに。
 だめだ。しっかりしろ。
 頭を振り、オレは自分を叱咤した。いいかげんにしろ。現実を見るんだ。出雲はいない。四年前の冬、おまえがその手で殺した。子供の頃からずっと、仕えてくれた出雲を。
『やめてよ出雲!なんで戦うの!』
 あの日、オレは出雲と戦った。夏芽が出雲に拐われたのだ。漆原夏芽。オレの大切な少年。一緒にいたいと心から思った。その夏芽を、出雲は戦って取り返せと言った。そしてオレに攻撃してきた。
『防御だけでは、無理です』
『や、やだ!』
『でないと発狂しますよ』
『やめて、出雲!』
 出雲は本気だった。本気でオレに「昏」の力を向けた。思念で心をこじ開けて、中身を侵食しようと入り込む。だけど。
 すべてはオレの為だった。「昏」として生きることを拒んだオレには、同族との戦いが必要になるだろうと出雲は考えた。そして実戦を経験させる為に、その身を投じたのだ。
『嵯峨弥!』
『邪魔な』
『ヤメロ!』
 初めてだった同族との戦闘。夏芽への攻撃を止めようと必死だったオレには、加減などできるはずもなかった。全力をふりしぼった攻撃は出雲の身体を貫き、その命を奪った。
『どうか、御自身の道を』
 それが最後の言葉だった。出雲はオレに生きろと言った。自らの道を進めと。自分のことしか考えていなかったオレに、その身を犠牲にして告げたのだ。

 出雲。
 やっぱり悔やんでしまうよ。
 どうしてオレなんかの為に。
 
「だめだよ」
 声に我に返った。顔を上げる。開かれた襖の向こうには、友人、東洞院遥がいた。
「嵯峨弥、そんな顔をしてはいけない」
「遥」
「今のきみは、自分などいない方がいいって顔してるよ」
 部屋に入りながら遥が言った。気持ちを言い当てられて、オレは言葉がない。同時にここがどこかを思い出した。護国寺だ。任務帰りに寄ったのだ。
「汗かいてるだろ。はい」
「あ、ありがとう」
 差し出された器には、冷たい水が入っていた。渇いた喉を潤す。一息ついて。
「着替える?」
「え?あ、うん」
 笑顔で訊かれて、オレは慌てて頷いた。冷たい水に着替え。いたれりつくせりな手当て。
 オレ、そんなにうなされていたんだろうか。
 着替えながら不安になった。部屋の外に聞こえるぐらい、大きな声とか出していたのなら恥ずかしい。
「大丈夫だよ」
「えっ」
「みんな寝てるよ。ぼくが気づいたのは、たまたま起きていただけ。どうしても、読みたい書物があってね」
 小声で言って、友人はゆるやかに笑った。遥はオレが御影にいた時の同僚で、もともとは護国寺の出身だ。
 同族殺しの一件により、オレは護国寺に三年間幽閉された。幽閉時代、遥は時折護国寺を訪れては、オレを励まし叱咤して支えてくれた。そして今は御影への出向任務を終え、護国寺へと帰ってきている。
「暁はどう?」
「うん、御影宿舎には慣れたみたいだよ。みんなとは・・・・合ってないみたいだけど」
「だろうね」 
 暁とは四年前、オレが「昏」の力を使って「操作」した少年だ。彼は記憶を封印され、御影研究所で別の人格を植えつけられた。昨年春、すべての「洗脳」プログラムを終えた暁は御影に配属された。オレは彼の監視役となるために、護国寺での幽閉を解かれたのだ。
「彼のもともとの人格はどうだったか知らないけど、何度擦り込み直してもああなるらしいよ。とうとう、あの性格で決定されてしまった。みんな、もっとおとなしい性格にしたかっただろうにね」
 暁が御影研究所にいる間、監視役だった遥が言った。三年ぶりに会った暁は、まさに別人格になっていた。仲間を仲間とも思わず、邪魔になるものは容赦なく滅す。暁が御影に配属された当初、オレは御影宿舎に泊り込んで彼を見張った。己の存在を感じさせずに同調し、これを制御、フォローする。最初は抑えきれなくて、幾人か犠牲を出してしまった。やっと遠隔で制御ができるまでに、九ヶ月も掛かった。
「・・・・暁は、抵抗してるのかな」
「洗脳されているのに?今の暁には、以前の記憶はないだろう?」
 ぼそりと呟くオレに、遥が尋ねた。オレはそれに答える。
「確かに記憶はないだろうけど、もともとの人格を押し潰して、人工的に別の人格を植え付けるんだ。なんらかの歪みが出てもおかしくないと思うよ。そして、偽りの人格を変えてしまうくらい、本来の暁の思いは強かったんじゃないかな」
「かもね」
 思い出す。昏周を失って、周囲もろとも自分を焼き付くそうとしていた暁を。彼は自分から叔父を奪った全てが許せなかった。そして、叔父と共にいくことができなかった自分をも。 
「とにかく嵯峨弥、これからもきみはずっと暁を相手にするんだ。くれぐれも気をつけてね」
「うん」
 友人に心配そうに覗き込まれ、オレは笑顔を返した。「昏」に匹敵する力を持つ暁。彼をおれは監視し続ける。彼が、今の彼である限り。

 ふと思う。
 暁の心が安らぐ日は、訪れるのだろうか。
 遠い日の彼が思い出された。叔父のそばで、誇らしげに立っていた暁が。
 いつか、その日が来てくれればと思う。

 自然とオレは願っていた。現在の皮肉げに笑う暁が思い出される。彼の心の中はカラだ。いつも大きな「飢え」を抱えていて、自分ではそれに気づかない。だからいつまでも「渇き」は癒えない。手当たり次第に貪り続けている。今は、被害を最小限にするだけで精一杯だ。
「朝には発つの?」
 遥が尋ねた。
「ああ。そう長居しても悪いし」
「いいのに。うちのみんなは、嵯峨弥のこと歓迎してるよ」
「だめだよ。ここにいたら皆に甘えてしまう。全然償いにならないよ」
 償い。その言葉に大切な人を思い出した。出雲と暁とあと一人、オレが傷つけてしまった人を。

 夏芽。
 オレが心より償いたい人。

「そうだ。例の彼はどう?同じ兵部省にいるんだろう?」
 思い出したように遥が訊いた。オレは苦笑と共に答える。
「うん、そうなんだ。総務局で事務員してる」
「もう会って話した?」
「ううん。実はまだなんだ。頃合いを見てて・・・・」
 正月明けよりオレは、兵部省諜報局に席を置いていた。暁の遠隔操作ができるようになったから、都に帰ってこれたのだ。夏芽と同じ建物で働く。任務上オレは表にでないことが多いけど、それでもうれしい。
「まったく困ったね。嵯峨弥らしいけど」
「ごめん」
「ぼくに謝ることじゃないよ。もう」
 四年前のあの日、オレは誓った。必ず夏芽の前に立つと。立って、必ず自分の罪を償うと。
「ずっと考えてきたけど、まだ迷ってるんだ。何も知らずに平和に暮らしている夏芽に、真実を告げていいかを。それが、夏芽の今の生活を壊してしまわないかと」
「それは・・・・難しいね」
 伏せ目がちに遥が答えた。オレは言葉を継ぐ。
「できればオレは、夏芽にはずっと笑っていて欲しい。でも、どうすることが夏芽にとって、一番いいのかわからなくなってる。細かいこと考えてたら、始まんないって土岐津は怒るけど」
「土岐津らしいね。さぞ、きみと夏芽くんとの間でやきもきしてるんだろうな」
「・・・・たぶん」
 なんだか申し訳なくなってくるオレとは反対に、楽しそうな表情で遥は言った。
「そのうち、頃合をみて山を降りてみようかな。土岐津の苛立つ顔、見たいし」
「遥」
「ごめんごめん。でも会いたくなったのは本当だよ。夏芽くんの件を機に、彼は『御影』をやめちゃったから。きみも土岐津もいない御影宿舎は、それはさみしいものだったよ。潤いがなくてね」
 遥、それ、笑えないよ。本気か冗談かわからないようなことを、友人は言う。オレは苦笑いするしかなかった。
「ずいぶん話し込んじゃったね。もう寝ようか」
 短くなったロウソクを見ながら、遥が言う。オレは頷いた。
「おやすみ」
「うん、おやすみ」
 優雅な所作で遥が立ち上がる。見上げるオレに微笑みを残して、友人は部屋を去っていった。後にはオレ一人が残る。
 寝よう。
 オレは心の中で呟いて、布団を深く被った。

 
「道中、気を付けて」
 次の早朝。遥は護国寺の外門まで見送り来てくれた。
「ありがと。遥も元気でね」
 オレは手を上げる。見送る友人が小さくなってゆく。ついに見えなくなって。
 行かなきゃ。
 自分に言い聞かせた。
 さあ、行こう。
 不安に戦く自分を、精一杯奮い立たせる。
 たくさんの過ちを犯したオレ。どうしたら償えるかわからない。償いきれるのかも。でも。
 動き出さなければ、なにも始まらない。
「とりあえず、洗濯と買い出ししなくちゃ」
 ぼそりと呟く。都に家のなかったオレは、兵部省配属時より諜報局の資料庫に寝泊まりしていた。いつまでもそこに住むわけにはいかないとは思っている。そのうち家を探すつもりだ。
 ああでも、天気いいなぁ。
 晴れた空に思う。今日は気温も上がりそうだ。小春日、かな。
 そうだ。出雲のお墓参りに行こう。夢も見たし、出雲が呼んでるのかも。
 出雲は今、森のあの場所に眠っている。夏芽と特訓した場所。あの時、夏芽を家に運ぶ前にオレは出雲の墓を作った。小さな、名もない墓。オレだけの知ってる・・・・。
 出雲に会ったら、夏芽と知り合う方法を考えよう。とにかく夏芽の目の前に立つんだ。
 自信なんてどこにもない。けれど今のままじゃ同じだ。
 よし、がんばろう。
 心の中で決めて、オレは足を早めた。
 目の前には、針葉樹の森と空が広がっていた。

 
 動き出そう。
 始まりの朝がやってくる。
 項垂れても、膝を抱えていても変わらないから。
 顔を上げて。背筋を伸ばして。足を上げて。
 踏み出すんだ。一歩を。


終わり