天の頂




ACT4

 なれるだろうか。
 「昏」になれないオレでも、他の何かに。
 もういやだ。
 いやなのだ。
 何も成すことができない、守られるだけの存在は。

「俺は、お前の父に借りがあった」
 まだ真新しい父母の位牌に手を合わせて、帥という御影は言った。
「『御影』となってまだ間もない頃、俺は昏近江に命を救われたのだ」
 深追いが仇となり、もう助からぬと諦めたこの人を、父さんは捜し当てて助けたという。
「昏近江という男は、不思議な程無欲な男だった。俺を助けたこと全く恩に着せずに、かえって御影と昏は不仲故、自分が助けたことは御内密にとまで言ったのだ。俺はこたびのことで、その恩を少しでも返せるとやってきたのだが、間に合わなかったのだな」
 幾分落胆したように帥という人は告げた。オレはただ項垂れる。父の話を聞けたのはよかった。しかし、母はもう戻らない。
「昏近江の息子、すまなかった」
 面と向かって告げられ、オレは顔を上げた。ただ首を振る。違う。あなたの所為ではない。あなたはここに来てくれた。ここがどういう所かも分かった上で。
「いいえ」
 声を絞り出す。
「父も母も・・・喜んでいると思います。そして、オレも。ありがとうございました」
 畳に手をつき頭を下げた。できるだけの感謝を表す。心から。
「不甲斐ない結果に感謝されても、困るのだがな」
 ぼそり。オレの言葉を受けて、帥と言う人が呟いた。
「ではせめて、お前に報いるとしよう。何かあれば『御影』を頼ってくればいい。力になれることもあるだろう」
「『御影』とは、どういう所ですか?」
「そうだな。御門の世の為に、あらゆる仕事を引き受ける所とでも言っておこうか。だから、生き残れば大抵どんなことでもできるようになる。できない即ち死を表すからな」
 あらゆる仕事。どんなことでも。そこに行けば、オレも何かになれるだろうか。「昏」にはなれないオレにも。
「ではな」
 言い置き、御影の男は去っていった。後には、オレ一人が残される。
 変わりたい。何かになりたい。今のままでは・・・・いやだ。
 暗い部屋に一人、オレは考えつづけていた。


「嵯峨弥様、只今戻りました」
 出雲が家に帰ってきたのは、その日の夜遅くのことだった。
「遅くなってしまって、申し訳ありません」
 出雲はオレに謝る。別に夜遅くなってしまったのは、自分の所為ではないのに。
「ごはん、まだだろ?簡単なのしか作ってないけど・・・」
「もったいない。ありがとうございます。頂きます」
 いつものように微笑み、出雲はオレの用意した食事を食べ始めた。オレはぼんやりとその姿を見つめる。
 出雲は昼間見たときより、かなり憔悴しきった姿で帰ってきた。動きからして、体にどうこうされたものではないようだったが。きっと、精神的に追い詰めるのだろうと思う。人の頭を覗き込める「昏」だから。
 ごめんね。
 オレはひどく情けなくなった。
 ごめん。出雲は何も悪いことしてないのに。
 ただ病気の母を、出雲は助けようと動いただけなのに。
 オレなんかの為に、そんなに辛い思いをさせて。
 そうまでしてくれる出雲に、オレは何も返せない。それどころか、オレは出雲の足を引っ張るかりだ。今度の事だって・・・。
 つくづく、情けなかった。同時に思い知らされる。自分が「違う」ことを。オレは「昏」にはなれない。出雲や、皆の求める存在にはなれない。
「おやめください」
 声に我に返った。気がつけば、食事を食べ終わった出雲がこちらを見ている。いつになく厳しい目で。
「自らを卑下なさってはいけないと、前に申しましたはずです」
「出雲」
「お許しを」
 がたり。二人の間にあった膳が音をたてて動いた。次の瞬間包まれる。出雲の腕に。
「出雲がおります」
 押し殺したような声が、耳に響いた。
「出雲が、お守りいたします」
 温かい腕が、体を囲む。しっかりと。
「嵯峨弥様は、お一人ではありません」
 出雲の全部が伝えていた。「昏」ではなくとも、気持ちが心に伝わる。

 そうだね出雲。
 オレは一人じゃないんだ。
 オレには、出雲がいてくれる。
 
 目を閉じて温もりを感じる。けれど分かっていた。オレには、この出雲の気持ちに報いる術すらない。それでも出雲はオレと居続けてくれるのだろう。だからこそオレは、ここにはいられない。
「出雲」
「はい」
「少しだけ、泣いていい?」
「嵯峨弥様」
「今だけだから。明日には、きっと・・・・・」
「・・・・・・・・・」
 体を囲む腕の力が、急に強くなった。まるで、それが返事だでも言うように。
 オレは出雲の腕で泣いた。今まで胸にため込んだものを全部、吐き出した。
 全てを出し尽くした後、オレは眠ってしまっていた。翌朝まで眠り続けていた。
 出雲の腕の中で。


 天を仰ぐ。今日の空も高い。
 こんなに空の高い日は、見えるかもしれないと思ってしまう。
 この世を去った人々が暮らすという、天の頂が。
 そこには、皆いるのだろうか。
 父も。母も。叔父も。
 そこで、見ていてくれるのだろうか。
 残された者たちを。


 しばらくして、オレは自らの生家を後にした。「昏」の村を脱走したのだ。
 行く先は決まっていた。「御影」へ、あの帥という人を頼るつもりでいた。
 村を脱走したオレに、「昏」より追手が掛かるかもと思っていたのが、それは無用な心配に終わった。
 「昏」ではないオレには追手を掛ける価値もないと思われたのか、果ては出雲がうまく追手を止めてくれたのか、はっきりしたことはわからない。でも。
 ただ事実として言えるのは、三日後、オレは難なく御影宿舎にたどり着けたということ。
 そして帥の計らいにより、これから「御影」として生きてゆくことが許されたということ。
 それだけである。


終わり