光さす場所    
by(宰相 連改め)みなひ




ACT11

 いいのだ。
 手に負えないケモノは、殺すか檻に入れるしかない。
 だからもう、これでいいのだ。
 こうして繋がれていれば、あの人に迷惑を掛けなくて済む。
 これから、どうなるかわからない。だけど。
 水木さんがおれを、信じてくれた。
 それだけで十分だと思う。
 不甲斐ないおれは、恩を仇で返してしまったけれど。
 

 暗闇の中、おれはずっと待っていた。
 御影長はこれといった処罰を科さなかったが、味方を攻撃した者をただの拘束で済ませるとは思えない。追って、正式な沙汰が下されるだろう。
『水木さん、目を覚ましただろうか』
 自らの身に未練はなかった。どういうことになろうと、覚悟は決まっていた。
『もし目を、覚まさなかったら・・・・』 
 あの人に大きな外傷はないと、医療班の人から聞いていた。でも。
 それは身体のことであって、心のことではない。あんな仕打ちを受けた後も、水木さんは水木さんでいられるだろうか。それだけが心配だった。
『あの人はトップクラスの御影だ。きっと壊れてしまったりしない』
 そう願いたい自分がいる。
『何を言ってるんだ。おまえが原因のくせに』 
 もう一人の自分が己を苛む。二つの自分がせめぎ合い、おれの中で暴れていた。
「なあ、食べねぇの?」
 冷めた食事を片づけながら、閃という人が言った。おれの世話係を仰せつかった彼は、三度の食事をきっちりと運んで来てくれる。それに、食事のときには拘束まで解いてくれた。 
「食べないと、身体壊すよ」
 再度訊かれて、沈黙を返す。食べられるはずがなかった。おれは水木さんを貪った。あの人だけが聖域。人でいられる最後の砦だったのに。それを、おれは自らの手で壊してしまった。
「ともかく、水は飲んでおけよな。水木が起きる前にお前に死なれちゃあ、あいつに合わせる顔がないからさ」
 宥めるように言われた。おれは苦笑とも言えない顔を返す。目覚めたあの人はどうするだろうか。もしおれに会うとすれば、目的は一つしかないと思った。
『辛いだろうな』
 覚悟はしている。それでも辛いことは変わらない。憎しみを向けられることも。嫌悪の視線も。それがあの人であれば、尚の事だ。
『仕方がないよな』
 それだけのことを自分はしたのだ。暴走中で意識がなかったことなど、言い訳にしかならない。
 何度目かで自分に言い聞かせていた時、近づいてくる気配を感じだ。扉が開き、ここに繋がる階段を降りてくる。
 水木さんだった。


「来ないでください」
 震える声で言った。
「お願いです。来ないでください」
 耐えられなくて、言葉を重ねる。
「ここにいては・・・・・危険です。あなたも、わかっているはずです」
 自嘲しながら告げた。俯く。嘘つき。本当はおれが、水木さんに蔑まれることを怖がってるだけなのに。
「いいの?」
 目の前の人は尋ねた。おれには、その意味がわからなかった。
「オマエはそれでいいのかと訊いてんのよ。任務と拘束の繰り返し。ホントにそれでいいの?」
 低い声。その中に見える苛立ち。おれは目を見開いた。どうして。何故あなたがそんなこと言うんです。
「でも・・・・・でも、止められないんです。今度だって、水木さんにあんなこと・・・・・」
 狼狽えながら言葉を紡いだ。けれど。
「オレはいいのかって聞いてんの!」
 水木さんの叫びが耳を劈く。背が跳ねた。動けない。金縛りにあったように、身体が動かなくなった。
「止められないから、キケンだからって諦めんの?今までそうやって来たんでしょ?これからもずっとそうやってくの!」
 言い放った言葉。その意味が頭に染み渡るまで、ずいぶんな時間が掛かったと思う。図星だったから。
「オマエがいいんなら、これまでだな。ご希望通り放っといてやる。じゃあな」
 早口で言い捨てられる。水木さんが踵を返した。向けられる背中。 
 水木さんが、行ってしまう。
「いやです」
 口が勝手に動いていた。水木さんが振り向く。喉が、目の奥が熱い。何かが込み上げて来ていた。 
「おれだって・・・いやです。だけど、怖い。また自分が抑えられなくなったら。そう思うと・・・・・」
 正直に言う。もう隠す必要はなかった。おれは怖い。自分が怖い。
「オマエ、オレをなめてんの?」
 本心を紡ぐおれに、水木さんはそう言った。戸惑う間に印を組んでいる。砕破印だった。
 衝撃。 
 格子が砕け散る。水木さんが近づいて来た。目の前までやってくる。おれを見下ろした。
「オレはオマエの『水鏡』。止められないだって?その為にオレがいるんじゃないの。『水鏡』は『御影』の力を増幅もコントロールもする。そんなことも忘れた?」
 壊された格子。ぴしりと指された指。投げられた言葉。それらがおれの思考を奪う。何を言われているのか分からなかった。
「やかましい!」
 必死で整理しようとしていたおれの思考は、水木さんの一撃で弾けた。反動で身体が揺れる。頭が、真っ白になった。
「何か文句ある?」
 ぎろりと睨み付けられた。右頬にじんじんと痛み。切れただろう唇。呆然と目の前の人とを見つめる。どうしたらいいか、わからなかった。 
「だいたいねぇ、アンタはアタシのオトコになったのよ?自覚しなさい。それとも、責任とらないっての?」
 この人は、今、何を言った? 
「困るのよね」
 頬が両手に包まれた。おれの顔を引き上げながら、水木さんが言う。
「せっかくキレイになったのに、逃げられたら洒落になんないでしょ?」
 茶色の瞳が覗き込んでくる。唇に熱。水木さんの熱だった。
 滑り込んで来たものに、やっと事態が飲み込めてくる。まさか。でも、信じられなかった。
 いいんですか?
 確かめる為に舌を伸ばす。びくびくしながら応えた。受け止めるものが、答えを伝える。夢中で絡め合った。
「思いっきり、高いから」
 唇を離した思い人が、悪戯そうに囁いた。おれは首を傾げる。金が、いるのだろうか。
「この水木さんをヤッちゃったんだからね。覚悟しなさいよ、一生!」
 貯えの残金を思いだしていたおれに、水木さんはにやりと宣言した。空になった頭が、言葉の意味を理解してゆく。身体にそれが染み渡った時、熱いものが胸を打った。感情に浸る間もなく、水木さんが踵を返す。慌てて見つめた。
 やれやれ、手間が掛かってたまんないわ。
 向けられた背中が、そんな感じに揺れていた。出口へと歩いてゆく。

 水木さんの背中。ちょっとおっかなくて、温かい背中。
 あの背中は決別ではない。おれを、導いてくれるのだ。
 光さす、その場所へと。

 おれは置いて行かれないように、小走りに走り出した。





〜エピローグ〜

「どーして早く言わないのよッ!」
 隣の水木さんが言った。おれは叱られた犬宜しく、茶わんを置いて項垂れる。
「すみません。おれ・・・」
「さっさと食べなさい!これから後が使えてんのよっ!」
 きちんと謝ろうとするおれに、水木さんはぴしりと言い渡した。おれは少し戸惑いながらも、また箸と茶わんを手に取る。半分ほど残った白飯を、漬物と共に口に詰め込んだ。
 こんなことなら、ちゃんと食べておけばよかったな。
 もぐもぐと口を動かしながら思った。拘束室に入っていた三日間、食事を摂らなかったことを悔やむ。
 当時はそんな状態ではなかった。だけど、結果的にまた水木さんに迷惑をかけてしまった。
「ったく。ムードもへったくれもないわよねー。『いざ特訓よ』って押し倒した途端、『ぐうー』ってくんだもの。やってられないわ」
 ぶちぶちと思い人が零す。なんとも申し訳ない気になって、さっさと食事を済ませようと思った。無理に飲み込んだ飯が気道に入る。爆発するように咳。息が、出来なくなった。
「あー、何してんのよ!」
 咳き込むおれに、水木さんが気づいた。背中がバンバンと叩かれる。
「ほら」
 目の前に差し出された水を、目の端に涙で受け取った。飲み干し、やっと息が戻ってくる。
「ゲホ。申し訳ないで・・・ゲホ・・・す」
「しょーがないわねー。ちゃんと待っててあげるから、ゆっくり食べなさい」
 子供相手みたいに告げられた。それでもおれは、内心ホッとする。再び食べ始めた。
「アンタって、器用か不器用かわかんないわね」
 黙々と食べるおれに、苦笑しながら水木さんが言った。明るい茶色の瞳が、しっかりとおれを捕らえている。
「でも・・・・そこがアンタのいい所なのかもね」
 穏やかな眼差しの中に、自分がいる。心を映した目で、水木さんはおれを見てくれるのだ。
「水木さん・・・・」
「食べ終わった?次は風呂っ。さっさと片付けなさい」
 見入ってしまうおれを、思い人は威勢よく捲くし立てた。いつも通りの、挑戦的な顔。
「さあ、浴場にゴーよっ。ぼやぼやしないの、夜は短いんだから。隅々まで、キレーに洗うわよ!」
 食器を片付けたおれは、また水木さんに引きずられた。浴場へと向かう。水木さんとおれの噂を聞きつけた人たちが、食堂に群がっていた。
「どきなさいよっ!こちとら、風呂が終わったら特訓なのよ。邪魔しないでっ」
 張りのある水木さんの声が飛ぶ。おれはその声を心地よく聞きながら、長い通路を引きずられて行った。

 光さす場所を、光さす人と歩く。
 今は引きずられていても、いつかは並んで歩きたい。
 あなたと。


終わり