「来ないでください!」
 悲鳴に近い声で、斎は言った。
「今は、だめです。水木さんを傷つけてしまう」
 拘束室の片隅で、自らを抱いている。まるで、壊れてしまいそうになるのを必死で堪えているかのように。
「お願いです。朝までには何とかします。だから、今夜は部屋に帰ってください」
 硬く閉ざされた瞼。そこに、何を隠しているのか。
「開けろ」
 一歩を踏み出し、命じた。相棒がびくりと肩を揺らす。
「水木さん」
「目を開けろ、斎!」
 解き放たれた言葉に、相棒の身体が波打つ。おずおずと、斎の瞼が開けられた。
 やっと開いた相棒の瞳は、煌めく黄金の色をしていた。




猛獣を抱く夜  
by(宰相 連改め)みなひ




 イヤな予感はしていた。
 任務を終え、槐の国から帰る途中、遠話にて斎は御影長に呼ばれた。
『御影研究所にて、急を要す』
 短い言葉。指令はそれだけだった。
「とにかく行って参ります。長引かないと思いますし、先に御影宿舎に帰っていてください」
 同行しようかと言うアタシに、斎はそう言って返した。いつもの少し照れた、穏やかな笑みを浮かべて。
 思えばその時一緒に行っていればよかったのだ。たとえ何も出来なかったとしても、斎のそばにいればよかった。
 アイツに、あれほどの痛みを負わせるくらいなら。 
「それでは」 
 斎は御影研究所へと向かった。一晩で戻るだろうとふんでたアタシの予想は翌日、見事に覆された。
 斎は帰ってこなかった。
 御影研究所に向かって、二日目の夜を迎えても。


「・・・・あら」
 御影宿舎を包む結界が、ゆるく誰かに押された。滑り込むように入り込んできた気が、誰のものかわかってホッとする。
 斎だ。斎が、帰ってきたのね。
 安堵したのも束の間、アタシは眉を寄せた。斎の気がこちらに向かってこない。アタシのいるこの部屋へと斎が帰ってこない。おまけにこの斎の気、ひどく不安定だ。
 どうしたのよ。
 疑問を胸に、アタシは部屋を出た。確かめなければ。斎の向かう場所を。不安定な気の原因を。その時。
 斎の気が、完全に途絶えてしまった。
「・・・・えらく挑戦的なこと、するじゃない?」
 アタシはぼそりと呟き、両手で印を組みだした。気が消えたのはおそらく遮蔽結界。他の皆が気付かないということは、おそろしく複雑な波長を組んでいるはず。現役の「水鏡」に対抗出来るくらいの。
「でも、アタシはそうはいかないわよ」
 二、三口呪を唱えて、自分の気の波長を変えた。外行く虫のように微弱な波長で、消えた斎の気の軌跡を辿る。その延長に・・・・・いた。
「アイツ、どこ行ってんのよ」
 見つけ出した場所を確認し、アタシは独りごちた。斎のやつ、何で真っ先にアタシの所に帰ってこないの。それに、遮蔽結界が張れるなんて聞いてないわよ。どういう了見か、とっちめてやらなくちゃ。
 意気込んでアタシはその場所に向かった。御影長室の地下にある、拘束室へと。
「斎、どこなの?」
 暗闇の中、声を掛ける。拘束室。かつて斎が暴走した折、繋がれていた場所。
「斎!いるのはわかってるのよ」
 再度声を張り上げる。返事はない。押し隠した気配に確信した。何か、起こったと。
「甘いこと言ってちゃダメみたいね。剥ぐわよ!」
 言い捨て右手を真一文字に振った。攻撃結界。細かく張り巡らされた、遮蔽結界を切り裂く。
 ばしん。
 弾けた音と共に、ゆらりと視界が歪む。その奥より、本当の拘束室の風景が現われた。
「火術」
 ぱちんと指を鳴らして、小さな炎を生み出す。僅かな灯の中、うずくまる影を見つけた。
「・・・・・斎」
 それは紛れもなく、斎だった。憔悴した頬。目の下にうっすらと浮かぶ隈。細かく震える身体。
「どうしたの?」
 尋ねるアタシに、相棒は叫んだ。「来ないでください!」と。


「何があったの。答えなさい」
 見開かれた金眼に訊いた。遮蔽結界うんぬんでとっちめる気持ちは、頭の中から消し飛んでいた。
「結界を解くのよ。解きなさい」
 斎は自らに結界を張っていた。強固な封印結界とゆるい攻撃結界。まるで自分自身を封じるような。その上に遮蔽結界を乗せて、拘束室に潜んでいた。
「後生です。今のおれは、あなたに何をするかわからない。自分でも止められないんです」
 言ってすぐ、目を閉じようとする。
「閉じるな!」
 反射的に命じた。斎は今、何かに囚われている。目を閉じてしまったら、それに引きずり込まれてしまうと思った。
「水木さん・・・・」
「早く、この結界を解け」
「でも」
「解け!」
 ふいに周りの気が変わった。斎が、結界を解いた為だった。
 うわ、何よこれ。
 その場に渦まくものに、オレは息をのんだ。
 怒り。悲しみ。憎悪。喪失感。後悔。そして、無力感。
 全てがごちゃまぜになっていた。全部、斎が放っている。
「だめ、です・・・・」
 斎の見開かれたままの瞳に、オレが映っている。震える唇。助けを呼んでいるはずなのに、別の言葉を紡ぎだす。
「今からそこへ行く」
 拳を握って宣言した。斎が首を振る。『逃げて』と、二つの黒曜石が言ってる。
「信じろ」
 オレは逃げない。お前の相棒だから。お前を止められるのは、オレしかいないから。
「オレを信じろ!」
 腹の底から絞り出す。途中で逃げ出す位なら、お前を選んだりしない。お前だからオレは選んだ。お前だから、オレは求めた。
「・・・・はい」
 震える声で、斎が応える。身体がガタガタと震えた。必死で抑えている。崩れてしまわないように。 
「行くぞ」
 一歩。一歩。踏みしめながら近づいた。凄まじい圧力。ちょっと気を許せば、巻き込まれてしまいそうな。
 こんな重圧、あの任務以来ね。
 斎と初めて組んだ任務を思いだす。人の血と断末魔を吸った禍々しい若木。それがふりまくどす黒い気に、斎は暴走した。
「オレが受け止める。いいか、抵抗するなよ」
 もう少しで斎に手が届く。震える肩を抱きしめることができる。この身で、苛む寒さを吸い取って。
「水木・・・さん」
「ようし、いい子だ」
 指先が触れた。流れ込む。斎の心が。力一杯、抱きしめて・・・・。
 ぴぃーん。
 張り詰めたものが、急速に弛んでいった。同時に流れる、斎の涙。
「小さな女の子、だったんです」
 聞こえるか聞こえないかの声で、斎は言った。
「おれと同じ眼が出て、能力に振り回されていて・・・・おれが研究所に駆けつけた時には、誰も手がつけられない状態になっていました」
 斎の涙は止めどなく流れた。まるで、全ての怒りを洗い流すみたいに。
「なんとか気を誘導して、抑えられるようになった時には、身体がもう、もたなくて・・・」
 ぐっと斎が息を詰めた。くいしばる奥歯。漏れだす嗚咽。
「泣けよ」
 言葉を落とした。
「泣け。叫べばいいんだ。ここには、おまえとオレしかいない」
「水木さんっ!」
 腕に斎の手が掛かった。爪が突き刺さる。同時に、悲痛な声が耳を打った。
 慟哭。
 血を吐くように思える。喉を破り、斎の悲しみが流れてゆく。

 抱きしめるしかなかった。
 どんな言葉も無意味だった。その叫びの前では。
 オレは相棒を抱きしめ続けた。渾身の力を込めて。斎が、壊れてしまわないように。

 相棒が小さな嗚咽だけを漏らすようになったのは、夜も白み始める時間だった。
「・・・・すみませんでした」
 オレの腕の中で、斎が呟く。顎を取り、顔を上げさせた。黒目がちに戻った目が、真っ赤に充血している。
「いいんだよ。泣きたい時は、泣くほうがいい」
 泣いても何もならないかもしれない。それでも、悲しみをなんらかの形で昇華することはできる。消し去ることは出来ないけれど、流す涙が、慟哭が、悲しみを「分かり」やすい形にしてくれる。
 受け止める胸があるなら、泣いちまったほうがいいんだよ。
 オレの涙は、流れる前に乾いてしまった。受け止める者など、いなかったから。
「それに。オマエの涙は、きれいで好きよ」  
 流れ落ちる涙を、美しいと思った。純粋で、真っ白な斎の心の悲しみ。
「誰にも見せるな」
 独り占めしたい。斎の心が流すものを。オレだけが知って。オレだけが見つめて。オレだけが、受け止める。
「来いよ」
 両手で頬を囲み、斎を目の前に引き上げた。オレは微笑みを浮かべる。頬の手を肩に滑らせ、首に絡みつけた。
「・・・・いいんですか」
 斎の両目が戸惑いに揺れる。
「怒るよ?二日もお預けしといて、暴走のお守りだけなんて」
 伺う斎に、意地悪く言った。首の腕に力をかけて。床に二人、沈んで。
「その、部屋に戻ったほうが・・・」
「待てない。今じゃなきゃダメ」
 言ってすぐ、斎の唇を塞いだ。この余計なことを言う口を、おとなしくさせなきゃ。
 濡れた音が響く。息づかいも。小さく漏れる、声も。
 斎の熱さを感じながら、オレは大きく息をついた。


 真っ白な心の猛獣が、アタシに抱かれて眠ってる。
 寝息も。吐息も。囁きも。
 全部アタシが抱きしめる。
 全部アタシが独占する。
 それが、猛獣使いの特権だから。
 未来永劫、誰にもやらない。


おわり


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