「愛のもしも??劇場 -榊剛の場合-」
by近衛 遼
ACT17 榊剛は、はっきり言って納豆が苦手である。 和の国の伝統食であり保存食であり健康食であることは重々承知しているが、それでも人間、だれにでも得手不得手といものはあるのだ。もっとも、たとえば任務先で食料が底をつき、ミミズやイモムシを食べなければならなくなったときならば喜んで納豆の方を選ぶかもしれないが、逆に言うと、そういう極限の状況下でなければ口にしたくないもののひとつであった。 「『豆の屋』で買ってきたんです」 夕餉の席で、元「御影」の少年は言った。 「剛さんが納豆をお嫌いなのは知っていますけど、『豆の屋』のご主人が長年いろいろ試行錯誤して作ったものだそうで……。独特の匂いと粘り気を抑えて、豆本来の味を感じられるように仕上げたと言っておられました。おれも以前に食べてみたんですけど、ほんとにこれが納豆かとびっくりするほどで、剛さんにも食べていただきたくて」 申し訳なさそうに、でも懸命な様子で言う。 前に来たときに、定期健診に引っかかった話をしたのがマズかったかな。 剛はつらつらと思った。御影本部に所属している者は、「御影」や「水鏡」だけでなく事務職に就いている者まで、年に一度の健康診断が義務付けられている。東館以上のベテランで危険率の高い任務を重点的に行なっている者たちは、そのほかにも御影研究所において様々な検査が行なわれることもあった。 先月の健診で血圧とコレステロール値が少々標準値を上回っていたため、再検査を受けることになったのだが、少年はそれを聞いて、食事に気を遣わなくてはいけないと思ったらしい。 膳の上には、納豆のほかに根菜類の煮物やイワシの酢漬け、蛸と海草のサラダ、鶏肉の味噌焼き。湯豆腐の中には鱈も入っている。 もともと料理の上手な少年だが、今日はまたとくに品数が多い。部屋の隅にある文机の上に見慣れない本があったが、どうやらそれは料理のレシピ本であるようだった。 ほかのものに手をつけて、納豆だけ残すわけにもいくまい。剛は心の中でため息をつきつつも、その小鉢に手を伸ばした。 嫌いなものは、最初に片づけるに限る。その納豆には大根おろしが乗っていて、大葉やちりめんじゃこがトッピングされていた。さらに、どうやらポン酢がかかっているらしい。 これなら、あの吐き気がするような匂いはごまかせるかも。 剛は、納豆の匂いが苦手だった。粘り気はさして気にならない。もっとも、大根おろしと混ぜると納豆はあまり糸を引かないが。 何回か混ぜてから、剛は勢いよく納豆をかっ込んだ。 「へえ、わりとイケるじゃねえか」 食べてみて、思わず声が出た。たしかに大嫌いな納豆なのだが、剛の頭にインプットされたそれとは明らかに違う。小粒で香りがまろやかで、あとに残るしつこさがない。 さすがは「豆の屋」だ。まあ、こいつの調理方法も良かったんだろうな。 しみじみそう思っていると、 「剛さん」 少年が、小鉢を下げて言った。 「ありがとうございます。食べてくださって……おれ、すごくうれしいです」 黒目がちの双眸が潤んでいる。 「おまえ……」 やばいな。んな目で見られたら……。 いくぶん落ち着きのなくなった部分を意識する。が、さすがにいますぐ、ここでどうこうというのはいただけない。 剛は鶏肉に手を伸ばした。 「酒はもういいから、メシにしてくれ」 「はいっ。お味噌汁も持ってきますね」 にっこりと笑って、少年は台所へと入っていった。 よし。とにかく、さっさと食っちまおう。こいつの心づくしの料理を。 黙々と箸を動かしながら、このあとのあれこれと考える榊剛であった。 おしまい。 |