| その日も特務三課では、男二人の不毛な争いが繰り広げられていた。 愛?のステッパー by(宰相 連改め)みなひ 「よこしなさい」 「ダメです」 「終業時間まで、それを金庫に保管します」 「イヤです。この明太マヨネーズ煎餅、一文字屋の期間限定商品なんですよ?」 「勤務中に間食は厳禁です!」 「ええ〜。この前、藍さんいいって言ったじゃないですかぁ」 「何年何月何日ですかっ!いい加減にしなさいっ!」 藍が煎餅をもぎ取ろうとする。ひょいと銀生が身を躱す。たちまちバタバタと追いかけっこが始まった。三分後。 「もらいますよ」 「ああっ、足引っかけて緊縛術なんて。藍さんひどいですようっ!」 「観念しなさい」 明太マヨネーズ煎餅争奪戦は、あっけなく藍の勝利に終った。勝者桐野藍は、意気揚々と煎餅を金庫になおす。その時彼の義弟、桐野碧が言った。 「あのさあ」 「なんだ?」 「藍兄ちゃん、ひょっとして鈍った?」 「はあ?」 桐野藍は絶句した。思いっきり目と口を開いて。鈍った?おれが?冗談じゃない。 「馬鹿な。そんなことはない」 「でもさ、息、きれてるけど」 「ぐっ」 否定する藍に、義弟の指摘は的確だった。客観的に見ても、現在藍は息が切れている。 フッ。 ごく微かな鼻息が聞こえた。藍はぎろりと目を向ける。その先では、黒髪の部下が出納帳を記入していた。 「昏」 藍が睨み付ける。 「なんだ」 部下は無表情に返した。 「今、何か聞こえたようだが」 「幻聴だ」 昏は僅かに口元を引きあげた。整い過ぎた面で、憐憫の笑みを浮かべる。 「哀れだな。落ちたのは運動能力だけではないようだ」 「何っ」 「いけませんねぇ〜」 危うく長年の怨恨対決かと思いきや、この課のトップが割って入った。いつのまにか緊縛術を解き、ダメージもなくひょうひょうとしている。どうも、わざと術にかかった気がしてならない。 「一流のエージェントとして、いつ何時にも備えておかなければ」 桐野藍は感心した。たまに、まともなことも言うんだな。 「社課長」 「大丈夫です!藍さん、俺にお任せください!」 力強く宣言する銀生の左手には、月刊誌『健康スクラム 通販号』が握られていた。 「宅配です」 社邱にそのダンボールが届いたのは、世帯主が宣言して五日後のことだった。 「代引きなんで。これ、お願いします」 配達員は伝票を藍に掲げた。代引きだと?おれが払うのか? 必ず後で請求してやるぞと思いながら、渋々藍は料金を支払った。伝票に印鑑をもらい、配達員が去ってゆく。ガラガラと戸を閉め、桐野藍は溜め息をついた。 なんだよ、これ。 両手でやっと抱え込めるくらいの、ダンボールの箱を見下ろす。いったい、何が入ってるのだろうか。 代引きで注文したなら、ちゃんと金ぐらい置いていけ。 自分が払わされた事実を思いだす。畜生。多めに請求してやろうか。 「よいしょっと」 奥へ運ぼうとダンボールを抱えた。結構重い。ブツブツと文句を言いながら、桐野藍は座敷へとそれを運んだ。 「ただいまです〜」 荷物が届いて二時間後、依頼主社銀生が家に帰ってきた。藍は玄関に仁王立ちする。 「あれ?藍さんお出迎えですか?嬉しいですねぇ」 「違います。立て替えた荷物の代引き料金、返してください」 ずいと右手を出す藍に、へらりと銀生は笑った。左手をポケットに突っ込む。 「そうですか。あれ、届いたんですね?」 「届きました。結構なお荷物ですね」 「そうでしょ。『健康スクラム 通販号』で、超特価商品だったんですよ」 全く噛み合ってない会話を交わしながら、銀生は藍の請求する金額を支払った。 「さてさて〜、楽しみだなぁ」 ガサガサと鼻歌交じりに銀生が荷物を開ける。藍はそれを眉間にシワで見ていた。まったくこの男、安いだかなんだか知らないけれど、いったいいくつ通販でものを買うんだ。 「じゃーん!登場しましたー!」 箱から黒い物体を取り出し、銀生は床に置いた。藍は凝視する。半切り卵の一端から、二本の踏み板状のものが出ている。なんとなくウサギみたいな形。なんだ?これは。 「あの」 「いいでしょー?都で大流行の、『ミラクル・ラン・ステッパー』です!」 パンパカパーンとファンファーレがなりそうな勢いで、銀生がそれを紹介した。藍は冷たい視線をやる。また、くだらぬものに金を使って・・・。 「これはね、特殊な動きでダイエットと筋力トレーニング両方ができるんですよ。これで下半身、ばっちり引き締められるんです!」 「よかったですね」 「まず俺がお手本見せますね。よいしょ、よいしょって踏むだけなんですよ」 ひらりと銀生がステッパーに乗った。足を交互に動かし、ステッパーを踏んでゆく。 「毎日二、三十分ふむだけで、確実に引き締めてくれるらしいですよ。簡単でしょう〜?」 意気揚々と銀生は語り出した。おそらくカタログに掲載されていただろう内容を滔々と。そして五分後。 「ああーっ、いい汗かきました〜」 ひょいとステッパーから飛び降り、銀生はごろりと寝転んだ。藍は眉をぴくりと震わす。おいおい、お前が語った内容は? 「社課長」 「なんです?」 「それで、いいので?」 「なにが?」 「毎日二、三十分とおっしゃっていたようですが」 ちゃんと実行しろよと思う藍に、銀生は明るく答えた。 「あー、いいんですいいんです。ちゃんと汗出ましたから」 そうじゃないだろ。藍の中で何かが切れる。桐野藍はくるりと背を向けた。 「あれ?藍さんやらないんですか?」 「おやすみなさい」 「へ?」 「おれは風呂に入って、寝ます」 「ええ〜っ!」 藍の言葉に、銀生が抗議の声を上げた。無視して前に進む。ずんずん、ずんずん。部屋の出口に立った瞬間、銀生がぼそりと言った。 「もう、藍さんったら出来ないからって・・・」 びきり。藍の地獄耳はそれを聞き逃さなかった。ギギギと銀生の方へ向き直る。 「なにか、おっしゃいました?」 「いいえ?ちょっと独り言です〜」 「嘘つけ!出来ないって言ったでしょうっ!」 桐野藍はずかずかと歩いた。目指すはなんとかステッパー!がしゃりと踏み板に足を掛けた。 「三十分、できたら食事当番三日交代。いいですね?」 じろりと睨み据えて言う。 「いいですよ〜」 にこにこと銀生が応じた。 「見てなさい」 桐野藍は、大きくステッパーを踏み出した。 なんだ。たいしたことないじゃないか。 黙々とステッパーを踏みながら、桐野藍は思った。別段すごく力を使うわけでもない。ステッパーはごく軽い力で踏み込むことが出来た。 汗が、出てきたな。 開始して五分足らず、確かに銀生が言ったとおり汗が出てきた。でも、まだまだ続けられる。というか、三十分くらいあっという間に過ぎそうだ。 この程度でトレーニングなど、怪しいな。 そう思ってみないでもなかったが、藍はステッパーを踏み続けた。三十分こなせたら家の雑事を三日間もこいつに押しつけることができる。それは藍にとって、十分やる価値のある内容だった。 結構汗がでるものだな。 開始して十五分。全身汗まみれの状態だがまだまだ余裕で続けられる。あと十五分。ざまあみろと藍は銀生を見た。銀生は「いや〜、藍さんすごいですねぇ〜」と、感心している。 当たり前だ。おまえとは鍛え方が違うんだよ。 ちょっと優越感に浸りながら、桐野藍はステッパーを踏み続けた。そして三十分後。 「はーい、時間でーす」 時計を片手に、銀生が宣言した。やった、これで当番三日押しつけだ。 「約束、守ってくださいね」 藍はステッパーから足を降ろした。風呂に入ろうと歩き出そうとする。その瞬間。 かくり。 視界が急に揺らいだ。なんだろうと思ってる間に、藍は畳の上へとへたり込んでいた。 なぜだ。足に、力が入らない。 も一度立ち上がろうと試みて、桐野藍はそれに気づいた。立てない。太ももとふくらはぎがピクピクいってる。無理に力を入れようとすると、膝がガクガク震えてしまう。 「どうしたんですか〜」 ふいに影になった。ハッと藍は見上げる。目の前すぐ上に、彼の上司の顔。まずい。こいつに気づかれてはいけない。 「なんでも、ありません」 平静を装い、藍は返した。 「藍さん、汗だくですよ。風呂に入って来たらどうです?」 にっこりと微笑み、銀生が言う。 「後で、入ります」 「またまた〜、そのままじゃ気持ち悪いでしょ?」 「・・・・いいです」 向こうへ行けと思う藍に、銀生は微動だにしない。 「藍さん」 「なんです」 「動けないんでしょ」 ぼそりと落とされた言葉に、桐野藍はぎくりとした。やばい。気づいてる。 「おれ、そんなことは・・・」 「隠さなくていいですよ〜。もう、藍さんたらシャイなんだから」 「いえ、あの・・・・」 「大丈夫です。俺が、風呂場に連れていってあげますね」 ふわりと身体が浮いた。バランスを失い何かを掴む。げげ、これは銀生の服だ。 「行きますよ」 ひそりと耳に囁かれる。藍は自分が俗に言う「お姫様だっこ」の状態になっていることに気づいた。もがいておりようとする。しかし、万事窮ず。 フンフンと鼻歌を歌いながら、社銀生は風呂場へと向かった。時折上半身だけモガモガと暴れる桐野藍をがっちり抑え込みながら。 ぱたり。座敷の障子が、銀生の左足で閉められた。 結局。 約束通り、社銀生は三日間の当番交代をこなした。常時上機嫌での当番だった。そして、藍はというと・・・・。 桐野藍は三日の有給休暇をとったらしい。書類は銀生が早々に処理した為、理由は依然として不明である。 ただ一つ確かなことは、桐野藍は休暇明けの日から現在に至るまで、毎日十五分「ミラクル・ラン・ステッパー」を踏みつづけている。 ああ、愛?のステッパー。 調子にのったら、筋肉痛よと。 おわった 続・愛?のステッパーへ |