残像 みなひ ACT7 楔がいる。 この腕の中に、楔がいる。 深く眠るその顔は、喜びと安堵に満ちていて。 このひとときを重ねてゆけば、おれは消せるのだろうか。 脳裏に焼きついてしまった、あの日の残像を。 まどろみから目が覚めた。慌てて隣を探る。冷えた敷布に蒼白になった。夢か?夢なのか?夢だったらあまりにもひどい。せっかく思いを遂げたのに。 「どうしたの?」 動揺しているおれに、探ってた反対の方から声が聞こえた。一気に力が抜ける。楔だ。 「そっち、水こぼしたんだ」 「あ?ああ」 いきなり言われて混乱する。しかしすぐに合点がいった。そうか。それでこっちにいないのか。 「水さしの水とろうとしたら、力が入らなかったんだ。結構、堪えたみたい」 苦笑しながら楔が言う。急に頭が沸きそうになってしまった。恥ずかしいような、申し訳ないような・・・・。 「・・・・ごめん」 「え?なんで謝るの?」 「いや、なんとなく」 「へんなの」 罪悪感に負けて告げたら、首を傾げられてしまった。いろいろ思いだす。勢いと、それまでの我慢が長すぎて、楔にいろんなことをしてしまった。頭の中でしてたこと、全部。 「その、楔・・・」 「千早の身体、温かいね」 何を話そうかと思ってたら、ぴたりと身体を押しつけられた。少し冷たい、滑らかな肌。ぐりぐりと肩の辺りに額をつける。なんだか猫を思わせるしぐさに、身体が変化し始めた。まずい。これ、まずいぞ。 「やめろよ」 「なんで?」 「恥ずかしい」 「どうして恥ずかしいの?」 不思議そうに見つめられて、理性が消し飛びそうになった。おい、そんな目で見るなよ。抑え、きかなくなる。 「なんか、ヘンだね・・・・」 するりと楔の手が伸びてきた。左腕に絡みつく。肘の辺りを撫でて。 「どっちかというと、ぼくが千早をやっちゃったって感じ」 楔の指が、掌まで滑ってきた。指を絡める。混じり合う熱。 「・・・・肘、ちょっと曲がって付いちゃってるね」 左肘に、楔のもう一方の手が伸びていた。指先が愛おしげに触れる。 「仕方がないよ。骨折した後動かしちゃったし。結構たってから治療受けたし。でも、全然普通に動くから、いいんだ」 骨折した後すぐに治療を受けていれば、もう少しマシだったのかもしれない。ちゃんと安静にしていれば。けれどあの時はそんなことどうでもよかった。楔が、大切だったから。 「な?」 首を向け、顔を覗きこむようにして訊いた。楔は黙り込んでいる。 「楔?」 「ぼく・・・・千早の腕が、好きだったんだ。長くて、きれいで・・・・」 楔は泣きそうになっていた。たまらなくなって右手を伸ばす。小さな頭を抱えこんで。 「・・・・そうか」 やわらかな髪を撫でながら、おれは言葉を落とした。 「おーい!起きてるかー?」 羅垓さんの声で目が覚めた。がばりと起き上がる。ここはどこだ?朝か?いや、昼だ! 「入れてくれよー。もう夕方だぞ」 「は、はいっ!もうちょっとお待ちくださいっ!」 寝台を降り、慌てて衣服をかき集めた。オタオタともどかしい手で身につける。楔を、起こさなきゃ! 「楔っ!って・・・・あ・・・」 寝台に戻って楔を見た。楔はくうくうと眠っている。手足を丸めて、小さくなって。 「・・・・ま、いっか」 ガリガリと頭を掻きながら思った。こんなにぐっすりと眠ってるんだ。昨夜のこともあるし、寝かせておこう。 やすらかな寝顔を目に、おれは微笑んだ。食事はおれが作ればいい。羅垓さんも許してくれるだろう。 「千早ー?楔ー?おい、どっちか起きてないのかよ!」 羅垓さんの声には情けない響きが混じり始めていた。おれは肩を竦める。 「はーい!今行きますー!」 楔のズレた毛布を引き上げ、おれは戸口へと急いだ。 羅垓さんとおれはそれから二月の間、二人で異国をまわった。様々な人と知り合い、顔見せと引き継ぎを済ませたのだ。 帰りには楔のいるあの場所に立ち寄り、いろんな話をした。楔は訓練を始めたらしい。体力が落ちてしまったから、鍛え直すのだと言う。 「細かいことは楔に教えてある。後は、二人でやってりゃなんとかなるだろ」 そう言って羅垓さんは笑った。不安はあるけど、おれもそう思う。 「人間なんて、たくさん持ってても仕方ねぇんだよ。大切なものが、いっこありゃいい」 この旅が終わったら、羅垓さんは正式に「御影」を去る。去って、故郷に帰るのだと言う。 「なんでも考え様ってやつだ。お前達は大切なものがわかった。大切なものを大切にするってことがわかった。ラッキーじゃねぇか」 おれは早く仕事をこなせるようになりたい。そして。 もう少し実績が伴ったら、御影長に楔を助手として採用してもらえるよう、申請してみようと思っている。 たとえ「水鏡」でなくとも、おれの「対」は楔だから。 楔だけだから。 終わり |