「見るなぁああっ!」 身を裂かれんばかりの声で、あいつが叫んだ。 翡翠のような瞳から、ボロボロと涙が零れ落ちる。 震える肩。しがみ付くように自分を抱く指。揺れる栗色の髪。 痛みを訴えるあいつの顔が、この目に焼きついて離れない。 残像 みなひ ACT1 それは、忘れることなどできない記憶。 たった二年しか経ってない、生々しく血を流したままの傷。 「よいしょっと」 大きな荷物をどさりと置いた。細かい砂がふわりと舞う。 ここは和の国から遙か西、台の国を貫き更に西へと伸びた街道。その上に、ひっそりと在る町。目の前に広がる異国の風景。明るい髪と目をした人々。全てが目に新しい。 「あー疲れた」 額の汗を拭った。隣を見る。隣のここにおれを連れてきた人物は、バシバシと身体に付いた砂を叩き落としていた。 「よーし、思ったより早くついたな」 にやりと笑って言った。赤銅色の髪と瞳。まるでここの風景に溶け込んだかのようなこの人は、羅垓(らがい)さんという。 「今日も野宿かと思ってたけどよ、何とかなるもんだな」 「途中結構飛ばしましたもん。あれじゃあ、ホントの『御影』の任務ですよ」 正直な感想を述べれば、羅垓さんは苦笑いを零した。何を隠そう、この人だって正真正銘の「御影」だ。「御影」ではあるが、羅垓さんはずっと一人で行動してきた。和の国より西の情報収集を、一手に引き受けてきたのだ。 「お前、ホントの『御影』ってなぁ・・・。そりゃあ、俺は『対』組んでないけどよ。だが、そいつはお前も同じだろ? 千早(ちはや)」 「まあ・・・そですね」 ちらりと視線をやられ、今度はこっちが苦笑する。千早と呼ばれたおれは、土岐津千早(ときつ ちはや)と言う。おれは二年と少し前に御影宿舎に配属された「御影」だ。「御影」といっても「対」は組んでいない。決まった「水鏡」のいない、いわゆる半端者だ。 「しかしアレだな。御影本部もあんだけ『水鏡』がいんだから、一人くらいお前に合った奴がいたらよかったのにな」 羅垓さん言葉に、おれの苦笑は深くなった。困ったことにおれの気は、波長が人より特殊らしい。「対」としておれに完全に同調するには、「水鏡」側にかなり能力が必要なんだそうだ。 「んー、仕方ないですよ。縁がなかったって言うか・・・」 おれと「対」になり得る「水鏡」。それが可能な人物は、今の御影宿舎に全くいないわけではなかった。実は何人かはいる。けれど彼らはどれも既に「対」の決まった上位の「水鏡」で、自分の現在の「対」を解消して、御影三年目の若造と組んでくれるはずもなかった。故におれは今まで任務の度に「水鏡」を換え、もしくは他の「対」のフォロー役をやって過ごしてきた。残念ながらおれには、それしかできなかったのだ。 『お前、一人でやってゆく気ねぇか?そりゃ、御影としての任務はできなくなるけど、これはこれでいいもんだぜ?』 半端者暦二年と少し。そろそろ今後の自分に不安を抱いていたおれに、声をかけた人がいた。それが羅垓さんだった。 羅垓さんの誘いに、おれは一も二もなく飛びついた。「対」を組むということに、なんの未練もなかった。もともと何でも一人でやる方が、性にあっていた。 ま、いっか。 なんとかなるさ。 母方の千秋じいさんのいた時代には、御影に「対」なんてなかったらしいし。 そういったわけで、おれは羅垓さんに弟子入りした。羅垓さんは近々、「御影」をやめるらしい。この人は自分の後がまとして、おれを選んだのだ。 「どうしますー?取り敢えず、どっか宿探しますか?」 傾きかけてきた太陽に、おれは羅垓さんに尋ねた。羅垓さんが口を開く。 「ああ、それはいらねぇ」 「へ?」 「この町には、現地担当の奴がいるんだ」 ぼそりと告げられ、おれは目をぱちくりさせた。現地担当。そういう役割があったのか。ふーん。これは「御影」っていうより、情報部の仕事に近いな。 「へー、じゃあ、あちこちにいるわけですか?その、現地担当の人」 「いいや。ここだけだ」 「は?」 「任務上、あちこちに知り合いはいる。けれど、ちゃんとした役割をあたえているのは、あいつだけだよ」 「・・・・はあ」 間の抜けた声がでる。羅垓さん、なんか含みがあるような言い方だけど、何を意味するのかわからない。 「おいおい。お前、わかってないだろ。まあ、いいか。現地担当の奴な、さっき遠話で呼んだから、もうすぐ来ると思うぜ」 「・・・はい」 「驚くなよ。あ、来た。おーい、こっちだ!」 羅垓さんが手をあげた。見つめた方向、前方数十メートルの位置に小さく人影が見える。だんだん近づいてきた。 『えっ』 大きく目を見開いた。はっきりと見えてくる。細身の身体。栗色の髪。ゆるくカーブを描いている。そして、白い肌の中でこちらを見ている、緑の瞳。 「楔(せつ)!」 思わず叫んでしまった。まさかと思った。今まで何度も探した人物がいたから。 「楔!おまえ、楔だよな!」 待ち切れず駆け寄る。おれが楔と呼んでしまった人物が、ゆっくりと近づいてきた。困ったような、それでいて懐かしそうな顔。僅かに笑みを描く唇が、ゆっくりと開いた。 「そうだよ」 聞き覚えのある声だった。忘れたことなどない、少し高めの声。 「千早、久しぶりだね」 おれの学び舎の同級生、保科楔(ほしな せつ)は、微笑みながら言った。 |