海を見ているあいつが嫌いだった。
 あいつは海に入らない。ただじっと見つめている。だけど。
 オレはあいつが海にとられてしまうような気がして、いつも怒鳴ってばかりいた。
「早く帰るぞ!海瑠!」
「・・・・」
「海瑠!返事しろよ!こっち向けって!」
「・・・・ああ。すまない」
 あいつが海の向こうの国、洲の民だということは知ってる。
 やはり血が呼ぶのだろうかと思って、一度だけ、おそるおそる訊いた。海が、呼ぶのかと。
『いいや』
 答えを聞きたくない問いに、あいつが小さく笑って答える。 
『呼ばないよ』
『えっ』
『海は、俺を呼ばない』




呼ばない海   by(宰相 連改め)みなひ




ACT1

「まったくもう、冗談じゃないよな!」
 ブツブツと文句を言う。オレはハンバーグの欠け片を口に放り込み、もぐもぐと親の敵みたいに噛み砕いた。加えてごはんをかきこみ、ろくに噛まずにごくりと飲み込む。
「流」
「だってそうだろ!水木さんはずっと一人でやってきたんだ。なのに!なんで今さら斎と『対』組むんだよ!」
 窘めようとする相棒にくってかかった。一見黒に見える深い藍色の瞳が、呆れたように伏せられる。ふうと大きく息を吐きだした。そんなことしても動じない。オレは納得してないんだ。
「あのな、何言っても仕方がないだろ?誰と組もうがそれは水木さんの勝手だ。それに、お前も見ただろう?」
 確認まがいに訊かれてぶすくれる。ああ見たよ。あの、どっかのいっちゃってるねーちゃんみたいな水木さんを。
「それにしても・・・・思い切ったよな」
「あー!なんでああなっちゃったんだよー!オレのかっこいい水木さんはどこ行ったんだー!」
 しみじみと感慨深く言う相棒の隣で、頭を抱えて喚いた。気持ちのやり場がない。オレの数年来の憧れの人が、立派なオカマさんになってしまったー!

 それは、いきなりの出来事だった。
 オレの学び舎時代の同級生、桐野斎が御影宿舎に帰ってきたのは、ほんの二週間前のことだ。なんでも西亢の砦にいたらしい。いつのまにか御影宿舎からいなくなってた斎が生きていたのも驚きだったが、和の国を守る砦の中でも最前線と呼ばれる西亢で生き残っていたのは、更なる驚きだった。
 あんなやばい所、東館以上でないといけないと思ってたけどな。
 今まで耳に入ってきた数々の噂を思いだす。西亢の殲滅作戦。とてつもなく強い奴を楯に行なうというその作戦は、もう五年近く続いていると聞いた。
 やーっぱそんなすごいとこから来たから、水木さんとなのかよ。
 憮然としたまま考えた。斎は御影宿舎に帰ってすぐに水木さんと「対」を組んだ。一週間ほどして「対」での初任務に出かけて、何日か後に二人は御影宿舎に帰ってきた。ボロボロに傷ついた水木さんと、それを軽々と抱えて帰ってきた斎が。そして三日。 
 オレの憧れの人、如月水木さんは大変身した。ところどころ色メッシュの入った金髪。派手で流行の服。おネェと間違いそうな言葉づかい。おまけに、「斎はアタシのオトコ」ときている。
「だめだー、理解の範疇超えてるぜ。斎とだぞー?」
「まあ、そういうこともないけどな」
「なんでだよ!」 
 相棒が聞き捨てならないことを言うから、思わずくってかかった。そういうこともない、ってなんだよ!
「水木さんは五年前、一時的にだが桐野と『対』を組んでいる」
「あれは緊急時だろ!あいつが行方不明になるからじゃねぇか!」
「緊急時だからこそ、だ。水木さんほどの人なら能力のない奴とは組まないだろう。自分でやったほうが早くて確実だろうしな。しかし、あの人は桐野に任せた」
 相棒があんまり理路整然と告げるから、オレはかえってムキになる。
「海瑠!おまえ、斎の肩持つのかよ!」
「そういう話でもない。俺は事実を述べたまでだ。お前がどう喚こうが結局、水木さんは桐野を選んでいる。違うか?」
「・・・ぐっ・・・」
 血管きれそうなオレに、相棒は平たく返した。オレは言い返せない。ぐっと奥歯を噛み締める。
「あきらめろ」
 サバ味噌定食最後の一口を食べながら、オレの「対」の水鏡(実は義兄にあたるのだが、オレはそう思ってない)、渚海瑠は言った。かたりと箸を置き、湯のみのお茶をゆっくりとすする。
「とにかく他人の『対』には口出ししないことだ。お前だって、自分で決めるって啖呵切っただろう?」
 ちらりと見られて思いだした。「御影」に入って間もない頃のことを。それぞれに他の奴と「対」を組めと言われて、それはいやだと押し切った。おかげで他の奴より簡単な任務から初めて、人より多くの任務をこなすはめになったのだが。その分、実力もついたと思う。
「時間が経てば自ずと結果が出てくる。桐野が本当に水木さんにふさわしくないなら、その時は水木さんが全てを決めるさ」
 言いながら海瑠は席を立った。食器を返却口に持って行こうとしている。今は任務後で明日はオフだ。なんかあるのか?
「なんだよ。どっか行くのか?」
「ああ。ちょっとな」
「また遊びに行くのかよ」
「まあ、そんなとこだな」
 曖昧に笑われムッとくる。海瑠はほぼ月に一度、どこか他所で外泊してくる。どうせ花街あたりだろう。 
「せいぜい楽しんでくるんだな。しつこいと嫌われるぞ」
「まさか。お前じゃあるまいし」
 放った嫌味はするりと躱された。悪かったな。どうせオレはモテないよ。
 今まで経験してきた、数少ない記憶を思い返す。オレだって何度か花街へ行った。だけどモテるのはいつも海瑠で、遊女達はオレには変によそよそしかった。
 海瑠はオレがいつも怒ってるからだと言ったが、別にオレは怒っているわけじゃない。ただ感情の起伏が激しいのと、声がでかいだけだ。
「じゃあな」
 小さく笑って海瑠は去って行った。なんか置いてきぼりくった気がする。オレは半分ほど残ってしまったハンバーグ定食を、やけくそみたいに詰め込んだ。