今、ここに在ること  by (宰相 連改め)みなひ




〜エピローグ〜

「あー、食った食った」
 藤食堂のデラックスエビフライ弁当とレンコンキンピラ、青菜の白あえを平らげた碧が、大きく伸びをした。
「もう満腹。動けないー」
 ごろりと横になって、こちらを見る。
「折洗いたいんだけど、腰だるいんだよなー」
 きらりと輝く碧い眼。俺は苦笑した。おまえがやれと言うことらしい。
「わかった、俺がしておく。茶はいるか?」
 空になった折を片付けながら訊いた。碧は「あったかいのなー」と答え、にっかりと笑う。どうやら確信犯らしい。
 弁当を買うのは俺の役目で、折を洗うのはあいつの役目だったんだがな。
 新しく交わした取り決めを思いだし、俺は肩を竦めた。まあいい。碧の言い分もわかるし、事実腰がだるいのは、他でもない俺の所為だ。おとなしく聞いてやることにする。
 流しに折を浸け、玄米茶を取り出した。さらさらと急須に注ぎ湯を入れる。玄米茶は、弁当と共に藤食堂のおかみにもらったものだった。
「熱いぞ」
 湯気のたつ湯のみを、食卓に置いた。辺りに玄米の香ばしい香りが漂う。
「さんきゅ」
 ひょいと碧が起き上がり、湯のみを手に取った。あちちと慌てて離す。
「昏っ、熱過ぎだよー」
「だから、熱いと言っただろうが」
 口を尖らすあいつに、幾分呆れながら返した。本当にこいつは人の話を聞かない。今も、昔も。
「なあなあ、ちょっと冷ましてよ」
「何?」
「術でさっと、な?」
「冷めるまで待て」
「待てない」
 子供のワガママよろしく、ぷくりと頬を膨らせる。やれやれ、しっかり図に乗っている。
「なら、水を入れればいい」
「えーっ、それじゃ味が薄くなるじゃん」
「俺は構わない」
「おれはヤなの!いいじゃん、『温め』ができるんなら、『冷まし』もできるだろ?」
 少しくらい待てと思う俺を、碧は人の悪い笑みで見つめた。何か、含みを感じる。
「できなくはないが、そういうことは無駄だ」
「でもさ、おれすっごくのど乾いてたんだぜー?なのに、誰かがおあずけ・・・」
「わかった」
 皆まで言わさず遮った。予想はついていたが、やはり食事を後回しにした仕返しだなと確信する。小さく印を組んだ。
 表面の熱を奪い、茶の温度を下げる。程なく、適温になった。
「飲め」
 湯のみを差し出す。
「やったー。ありがとっ」
 ウキウキとしながらあいつが湯のみを受け取った。ごくりと一口飲む。
「おいしー」
 にっこりと笑いながら、碧が言った。
「なんかさ、こうやってると昔みたいだ」 
 本人が言ってる時代のものと、全く変わらない顔であいつが言う。偽りも何もない、素朴な喜びからくる笑み。それを生み出す素直な心。敵わないと思った。
「でもさ、明日から楽しみだよな」
 話をふられて首を傾げた。明日。特に何かあっただろうか。確かに俺の「対」も決まったことだし、特務三課創設への具体的な打ち合わせは始まるだろうが。
「だってそうじゃん。おまえにおれ、銀生さんに藍兄ちゃんで働くんだぞ?きっと面白いぜー」
「面白い、な」
 正直、どこに面白い点があるのかわからない。銀生は銀生だし、奴の水鏡になった桐野藍と言う男には、ひどく不快な印象がある。おまけに碧の義兄らしいが、あの過保護ぶりは頂けない。事情はどうあれ上司だ。これから、いろいろと厄介なことを言い出さなければいいが。
「何があんだろうなー。なんか、わくわくしてきた」
 活き活きとした顔で、碧は俺に告げた。あいつを垣間見ていた時代、向けられてみたいと切望していたあの顔で。
「昏、覚悟しろよ。藍兄ちゃん、うるさいんだから」
 前を見ている瞳が言う。何が起こるかわからない未来をしたたかに受け止め、乗り越えてゆく瞳が。未来など俺にとっては、終結への一過程でしかなかった。でも。
 お前とならば、俺にも見ることが出来るかもしれない。お前と進む、俺の未来が。
「おれさ、頑張る。おまえにもっと、すごいって思わせるんだ」 
 ぴしりと指差し告げる碧に、俺は黙って頷いた。
 

 ずっと探していた。
 自分が生まれたことの「意味」を見つけたくて。
 人々から「銀鬼」と忌まれる為でなく、失われた「昏」を繋ぎ止める為でもない、「俺」の生まれた意味を。
 もがくように探し続けた。
 それが見つからなければ、自分を否定せざるを得なかった。生まれてきたことを、無意味なことだと。
 半ば諦めながらも、自分を捨て切れずにいた。
 何かを信じたくて。僅かな断片でも縋りたくて。だけど。
 もう迷わない。
 生まれた「意味」を探して、無下に己を追い込んだりしない。
 忌まれた外見であっても。
 怖れられた血であっても。
 自分を否定する必要など、ありはしないのだ。

 今、ここに在ること。

 それだけが、全て。
 
 
END