一年の計は初夢にあり by近衛 遼 ACT1 「ねえねえ、藍さん」 一月二日の朝。 卓袱台の前にすわるなり、社銀生は言った。 「俺、きのう、とーーーーってもいい夢、見たんですよ〜」 「…………いい夢?」 雑煮を入れた椀を卓の上に置いて、桐野藍はぴくりと片眉を上げた。 この男の「いい夢」なんて、ロクなもんじゃない。たしかこの前は、喀血した銀生を藍が抱きしめて「あなたが死んだらおれも死にますっ!」と叫んでいるという夢で、その前は、長期任務から帰ってきた銀生に○○や××をねだるとかいうとんでもない内容だった。 「そうなんです。あ〜、きっと今年は最高の年になりますよ」 祝い箸の袋をもてあそびつつ、うっとりと言う。 「だって、ゆうべの藍さんはあーんなにやさしかったんですから」 やさしかった、だと? 今度はいったい、どんな夢を見たんだ。 そりゃまあ、どういう夢を見ようがこの男の勝手だが、実際には絶対にありえない内容の夢を、さも現実にあったかのように言われるのは迷惑だ。その話を真に受けた碧が「藍にーちゃん、○○ってどうやったらいいの」と真面目な顔で訊いてきたときは、もう少しで卒倒するところだった。 「膝枕して、頭を撫でてくれて……あーゆーの、今度やってくださいよ〜」 「朝っぱらから、なにバカなこと言ってんです。さっさと食べてください」 「あーっ、藍さんたら、冷たい。ゆうべはもっと……」 なおも夢と現実をごちゃまぜにしている銀生を完璧に無視して、藍は作ったばかりのすまし雑煮を食べ始めた。 こんなヨタ話に付き合ってられるか。正月とはいえ、今日は忙しいんだ。もうすぐ碧も来るだろうし、そうしたら初詣に行って、今年の御札をもらってこよう。去年の御札や破魔矢は大判の半紙に包んであるから、あれを忘れずに持って行かなくては。帰りには商店街の初売りで、碧の好きな牛肉を買う。昼は参道の茶店で軽く済ませて、夜はすき焼きだ。できれば泊まっていってほしいのだが。 「……で、藍さんが俺を寝かしつけてくれたんですよ〜。おやすみのキスもしてもらったし……」 まだ言っている。まったく、しつこい性格だ。眉間に深くしわを刻みながら、藍は黙々と箸を口に運んだ。 だれが「おやすみのキス」なんてしてやるか。だいたい、そんなことをしようものなら、まず間違いなく「おやすみ」なんかできないじゃないか。この男のことだ。そのまま、なし崩し的にコトに及ばれてしまうのは目に見えている。 「雑煮、要らないんだったら下げますよ」 自分のぶんを食べ終えて、藍が言った。 「え、要りますよ〜。ゆっくり味わってるのに……」 「冷めたら、不味くなります」 せっかくうまく作れたのに、ぞんざいな食べ方をされては不愉快だ。 「熱いものは熱いうちに! 冷たいものは冷たいうちに! それが料理の基本ですっ」 「あ、そのセリフ、年末にやってた『愛の料理王グランプリ』で言ってましたよねえ」 へらへらと、銀生。 「パクっちゃダメですよ〜」 だんだん論旨がズレていく。やめよう。これ以上は時間の無駄だ。 藍は無言のまま、卓袱台の上を片付け始めた。 「えっ、ちょっ……ちょっと待ってくださいよ。食べます、食べますってば。藍さんたら、せっかちなんだから」 ぶちぶちと文句を言いつつ、餅を口に突っ込む。藍はそれをちらりと一瞥して、立ち上がった。 「終わったら、食器、洗っておいてくださいね」 銀生が食べ終わるのを待っている気はなかった。蒲団を上げて、奥の間を掃除しなくては。ぐずぐずしていたら、碧が来てしまう。 この男と暮らし始めてから、なにひとつ自分の思い通りにできなくなってしまった。こんなことなら同居(同棲とは絶対に言いたくない)などしなければよかったと思うこともあるが、碧があの昏一族の末裔と同居(同棲だなんて死んでも言うものか!)しているかぎり、この男から目を放すわけにはいかない。この男は「昏」の命を握っているのだから。 そうだとも。あらためて確認する。自分はそのために、この男に近づいたのだ。そうでなければ、だれがこんな倫理観の欠片もない、破廉恥で支離滅裂な男と情を通じたりするものか。 「食器、洗っときましたよ〜」 いきなり耳元で囁かれた。 「なっ……なんですか。いきなり……」 銀生の両腕は、背後からがっしりと藍を抱き込んでいた。 「ちゃーんと藍さんの言うこときいたんだから、誉めてくださいよ」 「茶碗を洗ったぐらいで、偉そうにしないでください。共同生活(しつこいようだが、『同棲』じゃないぞ)を営んでいる以上、やって当然です!」 ぴしりと言い切り、銀生の鳩尾に一発お見舞いする。 「痛いです〜」 情けなさそうな声がしたが、それはばっさりと切り捨てることにした。 「お暇なら、玄関の掃除をお願いします」 「……藍さんのイジワル」 「意地悪されたくなければ、言われる前にしっかりきっちり、自分の仕事をしてくださいっ!!」 常に倍する音量で叫ぶ。 怒濤の最後通告を受けて、銀生はすごすごと玄関へと向かった。 昼前になって、碧と昏がやってきた。べつに昏まで呼んだ覚えはないが、ふたりは公私ともに「対」であり、昏としては碧の行くところならどこへでも付いていくつもりらしい。 「藍にーちゃん、あけましておめでとー」 言いながら、碧はすたすたと玄関から中へと入っていく。一方の昏は、 「新年おめでとうございます、桐野主任。本年もよろしくお願いします」 憮然とした顔で定型の挨拶を述べて、きっちりと三十度の礼をした。 「ああ、おめでとう。今年も職務に励むように」 紋切り型の返事を返す藍に、銀生が箒を片付けつつ、 「まあまあ、藍さん。そんなとこで立ちっぱなしもなんですから、中で茶でも飲みましょうよ〜。それに、今日は碧と初詣に行くんでしょ? 俺と昏は留守番してますから、行ってきたらどうです」 「なんのつもりだ、銀生。俺も碧と一緒に……」 昏が厳しい表情で抗議した。 「おまえたち、きのう行ってきたんじゃないの?」 「それは……」 どうやら図星らしい。もしかしたら、碧の思考を視たのだろうか。 「じゃ、今日は行かなくてもいいじゃない。俺、おまえに話があるのよ」 「話?」 「きのう、城でちょっと……ね。『昏』の今後のことで」 昏一族の今後について、だと? 藍は目の前にいる上司をにらみつけた。なんだって、そんな重要なことをいままで黙っていたのだ。くだらない初夢の話などしている暇があったら、きのう、城でなにがあったか報告してくれればよかったのに。 「社課長」 声が固くなるのは仕方ない。 「はいはい、なんです?」 まったくいつもと変わらず、銀生。 「おれはあなたの『水鏡』であり、特務三課の主任です。そういう大事なことは、まずおれに言っていただかないと……」 「はあ、まあ、そうですねえ。たしかに藍さんは、俺の『対』でパートナーで同居人でコイビトなわけですけど」 最後のひとつは外してくれてもいいんだぞ。心の中で呟く。 「『昏』に関しては、譲ってくださいよ。俺だって、イロイロ考えてるんですから」 「しかし……」 なおも問い詰めようとしたところを、ぐい、と腕を引かれた。口付けをする寸前に唇が横に移動し、 『碧とふたりで、出かけてらっしゃい』 かすかな波長の遠話。 『ね?』 どういうことなのだろう。いつもなら「ブラコン」とか「親バカ」とか言ってからかうくせに。 真意を計りかねて、眼前の双眸を見据えていると、 「藍にーちゃーん、こたつの上のミカン、食べていい?」 先に奥へ行っていた碧が、襖の陰から顔を出して言った。 「全部食べていいよ〜。まだたーっくさんあるから」 藍の代わりに、銀生が答える。 「さ、そんじゃ、おまえも上がんなさいよ。あー、外は寒かった〜」 これみよがしにブルッと震えてみせて、銀生は奥の座敷へと入っていった。 昨日の登城の折に、上層部で何事か動きがあったのだろうか。 碧とともに参道を歩きながら、藍は考えた。 和の国では、管理職にある者は元旦に城に上がり、和王である御門に年始の挨拶をするのが慣例である。本来なら「御影」の宣旨を受けた者はそういった公式の場には出なくてもいい(厳密に言えば、出られない)のだが、特務三課はまがりなりにも軍務省情報部の公の部署。課長である銀生も、第一級礼装で王に拝謁したのだった。 「あーっ、こっちのたこやき、十個入りだっ。ちっくしょー、さっき買って損した。悔しいからもう一回買おっと。藍にーちゃん、これ、持ってて」 八個入りのたこやきのトレイ(すでに完食している)を藍に押し付け、碧は新しいたこやきを注文した。 常々、出店の食べものを買うのはお参りを終えてからにしろとあれほど言って聞かせているのに、まったく頭に入っていないらしい。藍はため息をついた。 「へーえ。今度のは、だししょうゆ味だって。藍にーちゃんも食べる?」 ずい、とたこやきが差し出された。藍は苦笑して、 「いや、いい。それより、おまえ、もうそれくらいにしておけよ。帰りに『たぬき亭』の天ぷらうどんを食べるんだろ?」 昨日、昏とともにお参りに来たときは、出店の食べ歩きで満腹になってしまい、うどんを食べに行けなかったらしい。 「あ、そうだった。あそこのエビ天、すっげえ大っきいもんなー」 うきうきとした顔をして、碧は笑った。 昏に関するなにかしらの動き。「対」である碧にも無関係ではない。なんとかして詳細を知ることができればいいのだが。 方法が、ないわけではない。が、それは往々にして多大な出費(?)を伴う。膝枕と「おやすみのキス」だけで済めば事は簡単だが、いままでの経験からして、それは九十九パーセント無理だ。 致し方ないか。たしか前回は冬至のころだったし、そろそろそっちの方面で、あの男の相手をしておいてもいい。正月休みはあと二日。頃合と言えば頃合である。 「藍にーちゃーん、おみくじやろうよー」 境内に入った碧が叫んでいる。 「おまえなあ……」 まったく、おみくじもお参りを済ませてから引くものだと言っておいたはずなのに。 何事においても手順や秩序を重んじる藍は、ふたたび小さくため息をついた。 ACT2へ |