一年の計は初夢にあり  by近衛 遼




ACT2

 賑やかな夕食のあと。
 碧は残った肉や餅などをもらって、機嫌よく帰っていった。もちろん、昏も一緒に。
「藍さん、今日はどうしたんです?」
 卓袱台の前にごろりと横になっていた銀生が、不思議そうに言った。ちなみに藍は、四人分の食器を洗い終わったところだ。
「いつもなら、しっかり後片づけまで手伝わせて、泊まっていけって誘うのに」
「正月ぐらいは、かまわないでしょう」
「去年の正月は、あいつらに風呂掃除させてませんでした?」
 そんなことだけは、よく覚えてるんだな。心の中で舌打ちする。
「碧たちが泊まった方がよかったですか」
「いーえ。俺は、藍さんとふたりきりの方がいいですけどね」
 にんまりと笑って、起き上がる。
「これってつまり、今夜はオッケーってこと?」
 耳元で囁かれた。いつもならこの類の台詞は無視するのだが、今回はそういうわけにもいかない。ほとんど任務のときと同じ覚悟と決意と根性で、藍は銀生に向かってうっすらと微笑みを送った。
「……うれしいですねえ」
 銀生の手が藍の腰に回る。藍はそれをやんわりと押し返し、
「風呂に入ってきますから、夜具の用意をお願いします」
「はいはい。アレの準備もしておきますね〜」
 馬鹿野郎。そんなこと、いちいち宣言しなくていい。
 頭の中で思いっきり罵詈雑言を浴びせつつ、これも任務だと必死に言い聞かせる藍であった。


 そして、数時間後。
 乱れた夜具の上には、乱れた夜着をまとった藍がいた。
 体が重い。頭がじんじんする。まったく、思いっきり調子に乗ってくれて。いくらこっちが拒まないからって、ものには限度ってものがあるだろうが。
 結局、きのう銀生が夢で見たという展開通りに事を進められ、そのうえ○○や××や、さらには**まで要求されてしまった。むろん、こちらにも下心があるので否とは言わなかったが、これを先例とされてはかなわない。必要な情報を引き出したら、しっかり釘を差しておかねば。
「あー、いいお湯だった〜」
 事後、湯を使いに行っていた銀生が、手拭いで髪を拭きながら座敷に戻ってきた。
「藍さんももう一度、入ってきたらどうです」
 冗談じゃない。この状態で風呂になんか入ったら、卒倒してしまう。藍はちろりと銀生を見上げた。
「いまは、いいです。なんだか、だるくて……」
 できるだけつらそうに、言う。いや、実際につらいのだが、五割増しぐらいの感じで。
「あー、すみません。ちょっとムリさせちゃいましたかねえ」
 なにが「ちょっと」だ。ここぞとばかりに、次々勝手なことをしたくせに。ある程度は予想していたが、最後の**は論外だぞ。
「次からは……ああいうのはやめてください」
 今度は、少し固い口調で言ってみる。本当は盛大に怒鳴ってやりたい。が、そんなことをしたら腰に響くし、第一、当初の目的を達成できない。
「はあ、まあ、藍さんがイヤならやめますけど……」
 切れ長の双眸を細めて、続ける。
「アノときがいちばん、いい顔してたんだけどな〜」
「なっ……」
 カッと、頭に血が上った。いままで必死に積み上げてきたシミュレーションが瞬時に吹き飛ぶ。
「あっ……あ、あなたって人はっ!!」
 起き上がって平手打ち……をするつもりだったが、それはあえなく不発に終わった。上体を起こしたところで立ち暗みのような状態になって、あろうことか銀生の胸に倒れ込んでしまったのだ。
「あれえ、藍さん、どうしました? もしかして、つづきのお誘いかな?」
 期待に満ちた声。
「ばっ……ばかなことを言わないでください。この状況でどうやって……」
「できますよ〜。俺に任せてくれれば」
 任せるだと? それこそ最悪だ。こんなことなら、冠か総務部の伊能あたりに繋ぎを取って、上層部の意向を探ればよかったかも。
 正月休みのさなかとはいえ、それぐらいはできたはずだ。これでも以前は総務部参謀室の書記官をつとめていたのだし、大きな声では言えないが、九代目御門の「手」でもあったのだから。
 この方法を選んだのが、そもそも間違いだった。そうだ。最初からそうだった。なにもわざわざ、自分からこんな男に近づかなくてもよかったのに。
 頭の中でさまざまな思いがとぐろを巻いている。その間に、銀生の手は夜着の下に忍び込み、先刻の名残りを丹念に拾い始めた。
「………!」
 まともに抵抗できない。悔しいが、こうなったらもう流れるしかない。これまでの経験から、藍はそう結論づけた。


 翌朝。銀生は上機嫌で台所に立っていた。
「藍さ〜ん。卵粥の味付けは、塩と醤油とどっちがいいですかー?」
 そんなもの、どっちでもいい。
 夜具に突っ伏したまま、頭の中で答える。声を出すこともできなかった。手足は鉛のようで、耳の奥では羽虫が住み着いたような耳鳴りが続いている。
「俺はどっちも好きなんですけどねえ。う〜ん、まあ、今日はあっさりと、塩にしておきますね〜。あ、だしはちゃーんと取りましたから。ネギはみじん切りでしたよねー」
 うきうきとした声はさらに続く。
「いやー、なんか、こーゆーのって楽しいな〜。床に臥せってるコイビトのために食事を作る。『さあ、粥ができたよ』『いつもすみません』『それは言わない約束だよ』……ん〜、メルヘンですねえ」
 とこがだ、どこがっ!!!
 そんな、使い古されたコントのネタ(はたして、これの元ネタ知っている人がいるのだろうか??)を剽窃してなにが楽しい。だいたい、「床に臥せっている」のはだれのせいだと思ってるんだ。
「さー、でーきたっと。熱いですから、気をつけてくださいね〜」
 銀生が土鍋を持って、座敷に入ってきた。
「起きられますか? 無理なようなら、俺が口移しで食べさせてあげてもいいんですが」
 起き上がれないことぐらい、わかっているだろうに。
 思いっきり念を込めて、藍は銀生をにらんだ。銀生は満面に笑みを浮かべ、
「やーっぱり、今年は最高の年になりそうですねえ」
 昨日とほぼ同じ台詞を口にした。


 ちなみに。
 藍がいわゆる「不本意」な手段を用いてまで手に入れようとしていた「昏」に関する情報は、単に近々、「昏」の力を使う仕事が特務三課に回ってくるかもしれないという漠然としたものだった。
 もっとも、それが真実かどうかは定かではない。なにしろこの男は、どうでもいいことはのべつまくなしにしゃべるくせに、肝心なことはなにひとつ口にしない男なのだから。


 昼刻。今度は嬉々として煮込みうどんを作る銀生の姿があったが、藍がそれを見ることはなかった。なぜなら、卵粥を口移しで(!)食べさせられたあと……………(以下、省略)


 桐野藍と社銀生の戦いは、今日も続いている。
 「夢」と「現実」のはざまで。


 ……to be continued?