たまゆら  by 近衛 遼




第一帖


 いずれの御時にか。
 所は和の国の都。後世に語り継がれるような政変も天災もなく、ただうららかに季節がたゆたっていた時代。
 そんなときにも、人知れずなにがしかの謀(はかりごと)はめぐらされ、闇に生きる者とそれに対峙する者はいた。


「気が乗らねぇよなあ」
 干し芋をかじりながら、いかにも無骨そうな男は呟いた。
「この俺に、ガキの首獲れってか」
「まあまあ、鬼堂(きどう)ちゃん。気持ちはわかるけどね〜」
 となりで欠き餅を頬張っていた赤毛の男が、苦笑しつつ続ける。
「ラクなヤマみたいだしさ。さっさと済ませて、パーッと遊びにいこうよ」
「ふん。そうだな」
 鬼堂と呼ばれた男は、不本意ながらもそう言うしかなかった。
 ふたりは人の命を奪うことを生業としていた。そんな仕事をするしか、彼らには生きる道はなかったから。
 赤毛の相方は、岷(みん)という。とある仕事の折にターゲットの護衛についていた男で、自分が不利と見るやあっさりと依頼主を裏切って遁走し、そののち、あろうことか依頼主を暗殺した男に自分を売り込んだ。
「オレってさー、けっこう使えると思うよ。こう見えても顔広いし、潰しもきくし」
 だからといって、すぐに寝返るようなやつが信用できるか。そう思って断ると、
「べつに寝返ったワケじゃないよ〜。最初の契約じゃ、あんたみたいな凄腕が出てくるなんて聞いてなかったもん。ありゃ完全に告知義務違反。契約を解除されたって文句は言えないと思うけどなー」
 へ理屈に近い言い草だが、この世界、それぐらいでなければやっていけない。結果、現在鬼堂は、このやたらと目端のきく男と組んで仕事をしている。
 今回の仕事は、さる有力な公卿の庶子を亡きものにすることだった。
「ん〜、そろそろ日も落ちるし、出かけよっか」
 竹筒の水を飲み干し、岷は立ち上がった。鬼堂はそれには答えず、干し芋の最後の一切れを口に運んだ。


「やっぱ、腐っても春日家よね」
 夜半。めざす相手の住む屋敷を眺めながら、岷が言った。
「山奥の庵って聞いたから、さぞかし鄙びてると思ってたのにさあ。なによ、このご立派な建物は」
 春日伯爵家といえば、和の国屈指の名門である。代々の当主は兵部の長官をつとめ、一門の者たちも各部の要職についている。
「こりゃ、衛士の十人や二十人、いそうだねー。どうする、鬼堂ちゃん?」
「どうもこうも、やるしかねえだろ」
「あ、やっぱり?」
 岷はぺろりと舌を出した。
「でもさー、それだとあのギャラじゃ割りに合わないよ」
「だから?」
「前金だけいただいて、おさらばってことにしない?」
「……行きたければ、おまえだけ行け」
 仕事を途中で投げ出すのは、信用にかかわる。いくら乗り気でなくても、一度受けた依頼は完遂しなければならない。
「ただし、前金の半分は置いていけよ」
「うーん、それで鬼堂ちゃんひとりで仕事やっつけちゃったら、後金ふたり分は鬼堂ちゃんが丸取りか〜」
 赤毛の男は、腕を組んでうなった。
「早く決めろ。どうする」
 ひとりでやるなら、それなりに作戦を考えねばならない。
「はいはい、ちょっと待ってよ。ま、後金の値上げ交渉すればいっか」
 どうやら、決心がついたらしい。
「んじゃ、できるだけ余計なコトしなくてすむように、とっておきの結界張っちゃいましょーか」
 岷は優秀な術者だった。素早く遮蔽結界の印が組まれる。
「できあがり〜」
「よし。行くぞ」
「はーい」
 ふたりは高い塀を乗り越えて中に入った。庭木のあいだを抜けて建物に近づく。篝火の向こうに妻戸が見えた。
『ねえねえ、鬼堂ちゃん』
 岷が、遠話を使って話しかけてきた。
『なんだ』
『なんか、おかしくない?』
『なにが』
『だれもいないじゃん』
 たしかに、そうだ。岷が言っていたように、この規模の屋敷なら庭や渡殿に衛士が配置されていておかしくない。それなのに。
『術で隠れてるってわけでもなさそうだしさー。ちょっと“気”を探してみるから、待っててよ』
 岷がそう言ったとき。
『おい。ありゃなんだ』
 鬼堂は渡殿の下に倒れている人影を見つけた。それも、ひとりやふたりではない。
『ありゃまあ。やられちゃってるよ』
 それは、この山荘を警護していたであろう衛士だった。
『どーなってんの、これ』
『……別口がいるらしいな』
『夜盗……ってことはないよねえ。身ぐるみ剥がされてないし』
 もしかしたら。
 鬼堂は舌打ちした。二股をかけられたか。
 殺しを依頼する者の中には、ときおり何組もに同じ仕事を振る輩がいる。一組だけでは安心できないのだろうが、たいていの場合、足の引っ張り合いになって目的を達成できなくなる。今回もその類かもしれない。
『どーする? これこそ告知義務違反、聞いてないよーってことで、引き上げよっか』
『そうだな』
 この仕事は引き際も肝心だ。
『オッケー。じゃ、ちょっとお土産いただいちゃおっかなー』
 岷は絶命した衛士の側にしゃがみこんだ。手際よく刀を外していく。どうやら後金の代わりに頂戴するつもりらしい。あいかわらず抜け目のない男だ。
『おい、早くしろ』
『わかってるよーだ。あ、巾着だ』
 岷がごそごそと亡骸の懐を探っていると、いきなり妻戸が大きな音をたてて開いた。瞬時に緊張が走る。鬼堂は長剣を構えた。が。
 妻戸から飛び出してきた男は、まるでなにかに憑かれたように、わけのわからないことを叫びながら庭に降りた。
「来るな……来るなあっ!」
 なにもない空間に向かってわめき散らす。岷の張った結界によって、鬼堂たちの姿は見えていないはずだ。とすれば、この男はいったいなにに怯えているのだろう。
「こっ……こ、この、物の怪がっ……」
 男は持っていた刀を投げた。簀の子縁に切っ先が突き刺さる。転がるようにして、男は逃げていった。
『……なによ、いまのは』
 刀と巾着を手に、岷はあんぐりと口を開けた。
『さあな。とにかく、長居は無用だ』
『はいはい。行きましょ行きましょ』
 うきうきと岷は立ち上がった。予想以上の「土産」に機嫌がよくなったようだ。
『さすがは春日家だねー。この刀、きっと高く売れるよ。久しぶりに懐の心配しないで遊べそうだな〜。よーし、ここはひとつ、錦翔楼に座敷取って……』
「だれですか。そこにいるのは」
 いきなり誰何された。ふたたび緊張が走る。声の主は、先刻の男が投げた刀の横にいた。
 いったい、いつのまに出てきたのだろう。まったく気配を感じなかった。それに、遮蔽結界の中にいる自分たちの「気」を察するとは。
 鬼堂は簀の子縁に立つ人物を観察した。
 まだ若い。おそらく二十歳は超えていまい。白い夜着に、薄紅の長衣をはおっている。ゆるく編まれた黒髪は背の中程まであり、篝火に照らされた面は異様なまでに美しかった。
 声からして、男であることはたしかだ。が、その顔かたちは男とも女とも違う、かといってある種の商売をする者たちのように中性的でもなく、なんとも浮き世離れした容顔だった。
「ああ、この者たちも……」
 つい、と視線を下に移し、青年は裸足のまま庭に出た。渡殿の下に倒れる衛士たちの頬に手を宛てる。
「本当に、申し訳ない。こうなるとわかっていながら、ぼくは……」
 肩を震わせ、目を閉じる。それを見ていた岷が、
『……あのさあ、鬼堂ちゃん』
 おそるおそるといった調子で、鬼堂に話しかけた。
『このおにーさんが、もしかしてオレたちの獲物?』
『だろうな』
 立ち居振る舞いや言葉遣いからして、まず間違いはあるまい。春日顕良(あきよし)。春日家当主、清顕(きよあき)の庶子だ。
 飛んで火に入る夏の虫。もう少しで引き上げるところだったのに、わざわざ出てくるとは。
『結界、解いていいぜ』
 鬼堂は横を見遣って、言った。
『へっ?』
 岷が栗色の目を丸くした。
『もう必要ねえだろ』
『そりゃそーだけどさ。このまんまでも、やれるじゃん』
 たしかに岷の言う通りだが、なぜかそれは嫌だった。
『うーん、もう、鬼堂ちゃんたら言い出したらきかないんだから。ま、いっか。はい、どーぞ』
 パシッと小さな音がして、結界が消えた。青年がゆるゆると振り向く。鬼堂たちの姿を認めると、わずかに目を細めた。
「やはり、そこにおられたんですね」
 裾を捌いて、立ち上がる。
「あなたがたは何者です」
 鬼堂はそれには答えずに、刀を向けた。青年はふたたび、うっすらと微笑んだ。
 やりにくいな。そうは思ったが、これも仕事だ。鬼堂は刀を振り下ろした。

 パァーーーーーン!!
 突然の発光。熱風。衝撃。
 一瞬、なにが起こったのかわからなかった。
 気がついたときには、庭木の足下に転がっていた。刀は見事に真っ二つに折れている。
「あいたたた………」
 二間ばかり離れたところでは、岷が土まみれになってうめいている。鬼堂と同じく、衝撃波に飛ばされてしまったらしい。
「もー、だから結界張ったまんまにしとこうって言ったのに〜」
 どういうことだ。ついさきほどまで、自分がいた場所に目を向ける。顕良はぐっと唇を結んだまま、そこに立っていた。
「てめえこそ、なにもんだ」
 鬼堂は新しい刀を抜いた。痛みをこらえて、歩を進める。
 たぶんいまのは、攻撃結界だ。それもかなり強烈な。
「きれいな顔して、結構なことやってくれて」
「ぼくがやったわけではありません」
「なに寝言言ってやがる」
「本当です。ぼくは……」
 柳眉を寄せて、続ける。
「あなたがたを傷つけるつもりはなかった」
「ふざけるな!」
「ダメだよ、鬼堂ちゃん!」
 うしろから岷の声が飛んだ。と同時に、防御結界が張られる。
 ドォーーーーーン………。
 今度は、なんとか直撃をまぬがれたらしい。
 これで「傷つけるつもりはない」だと? 鬼堂はみたび、顕良に刀を向けた。
『岷、あいつの結界を抑えろ』
 気づかれぬよう、遠話で命じる。
『ムリだよ〜』
 足をひきずりながら、岷が近づいてきた。
『なにが無理だ』
『だーって、あれってこいつの結界じゃないもん』
『なんだと?』
『鬼堂ちゃんも見てたでしょ。こいつ、印も組んでないし口呪だって唱えてなかったじゃん。なんか、まるで自然発生したみたいだったよなあ』
 そんなことが、ありうるのか。にわかには信じられないが、ならばいま、これ以上手出しするのは危険だ。鬼堂は刀を納めた。
「……行くぞ」
 常の声で、言う。
「そだねー」
 あたりに散らばっていた刀や巾着を拾いながら、岷が答えた。今度こそ、引き上げた。
「待ってください」
 踵を返そうとしたとき、顕良の落ち着いた声が聞こえた。
「傷の手当てを……」
「てめえに指図される謂れはねえよ」
「指図なんて……では、お願いします」
「なんだって?」
「あなたがたの傷の、手当てをさせてください」
「貴族のおぼっちゃんになにができる」
「ぼくは薬方を学んでいます」
「学問なんざ、現場じゃなんの役にも立たねえよ」
「あのさあ、鬼堂ちゃん」
 岷が割って入った。
「なんか、外が賑やかになってきたみたいなんだけど」
 先刻逃げた男が捕縛でもされたか。とすれば、兵衛府の衛兵がここに来てもおかしくはない。
「とにかく、こちらへ」
 顕良は足の土を払って、簀の子縁に上がった。
 いったい、どういうつもりなのだろう。自分の命を奪いに来た者を匿うとは。それとも、これもなにかの罠か。
「あなたがたはこの館の衛士。それでいいですね」
「はいはい、了解よん。さあさ、鬼堂ちゃん。ここはひとつ腹くくろうよ〜。オレ、足くじいちゃって、外で捕り物騒ぎになるとヤバそうなのよ」
 まったく、変わり身の早い男だ。心の中で嘆息しつつも、鬼堂は妻戸を押し開け、館の中に入った。