孤の螺旋
  by近衛 遼




ACT14

 乱暴に、帯が解かれた。
「ん……っ」
 裾を割って入ってきた指が中心を捕える。抵抗しようと伸ばした手は、いとも簡単に封じられた。
 床に張り付けられたような態勢で組み敷かれ、嬲られる。冷たい手が素肌の上を徘徊し、英泉の熱の在り処を探り当てた。
「……は……あ……ああっ」
 いまだ緊張したままの場所が、無造作にかき回される。あまりにも性急な動き。指が引き抜かれたあとに、激昂したものが押し入ってきた。声がさらに散る。反動は中心から四方に飛び、下肢には痺れるような震えが走った。
 反射的にのどが上がる。続けざまに与えられる衝撃に、全身がわなないた。
 視界が揺れる。焦点が定まらない。自分がどこにいるのかすら、わからなくなる。
 ふた色の瞳が無表情にこちらを見下ろしていた。煉獄の炎にも似た赤茶色の髪。英泉はそろそろと、それに手を伸ばした。
 馮夷。
 声にならぬ声で呼ぶ。
 馮夷は英泉の白い手首を掴み、打ち捨てるように横に払った。上体を起こして繋がりを解く。
「え……」
 予想もしていなかったことに、英泉は困惑した。
 ふいに離された体を、どうすればいいのか。それすらもわからぬうちに、腰を引かれて体を返された。羽交い締めのような格好で再び楔を打ち込まれる。
「……!」
 先に倍する圧迫感。
 奥に届いたものが内部をえぐる。いつ果てるとも知れぬ激流が、全身を翻弄していく。
 体中が馮夷を感じていた。脳天からつま先まで支配されている。どこにも自分などないような感覚に囚われて、ようやく英泉は納得した。
 こうして、自分は生きていくのだと。
 許されぬ死と、許せぬ生。
 永遠に続く螺旋のあいだを、もがきながら渡っていく。
 焼け焦げた護摩壇。黒く汚れた天井と壁。いまにも崩れそうな柱と梁。
 それらが宵闇に包まれたたころ。英泉はおのが意識を深淵に沈めた。


 目覚めたときには、自室の牀の上にいた。
 いつのまに戻ってきたのか。まったく記憶がない。もっとも、それは当然だった。自分はあの男との交わりの最中に気を失ってしまったのだから。
 ゆっくりと視線を巡らす。もう日が高いのだろう。閉ざされた幕の向こうに満ちているであろう光が、夜具の中にいてもうっすらと感じられた。
 まだ、動けまいな。
 過去の経験から、そう判断する。両脚は麻痺したように動かないし、腰の疼痛はほんの少し体をずらしただけでも背中を駆け上がってくる。寝返りも満足にうてない状態だった。
「お目覚めにございますか」
 幕の陰から、声がした。逓だ。
「薬湯の用意をいたしましたが、いかがなされます」
「これへ」
 小さく、答える。声もまともに出ない。
 体はすでに浄められ、清潔な夜着をまとっていた。どうやら、だいぶ世話をかけたらしい。
 自分とあの男のことは、逓も承知していよう。が、後始末まで任せてしまったのは、なんとも不甲斐ない。
 逓が薬湯を盆に乗せて、幕の中に入ってきた。痛みをこらえて上体を起こす。逓は慌てて盆を脇に置き、英泉の背中を支えた。
「おいたわしい……」
 搾り出すような、声。
「……無礼者!」
 なぜなのかは、わからない。
 気がついたときには、長年にわたって側近くに仕えてくれている近侍の青年の顔に、薬湯をぶちまけていた。
「あ……」
 自分の為したことに唖然とする。
「も……申し訳ございません!」
 薬湯で顔や髪を濡らした逓が、その場にひれふした。
「逓……」
「どうかお許しくださりませ」
 額を床につけ、ひたすらに詫びる。
 なにをしたのだ。いま、自分は……。
 言うべき言葉はわかっている。ひとこと「すまぬ」と言えばいい。そして、下がって手当てせよ、と。
 それなのに、その言葉が出てこない。英泉はこぶしを握り締めた。
「僭越ながら」
 幕がひらりと開いて、大柄な男が現れた。
「疾(と)く、下がれ」
 やたらと落ち着いた濁声。常とはまったく違う口調で、源宇は言った。
「鑑公は不興である」
「はっ」
 頭を垂れたまま、逓は退出した。ぱたりと扉が閉まる。しばらくして、
「……あーあ、やっちまいましたねえ」
 手拭いで床を拭きつつ、源宇は言った。
「あとでまた、薬湯を持ってきますよ。あ、でも、俺はいまみたいなのは遠慮しときますんで」
 大袈裟に手を振って、続ける。
「あの薬湯はけっこう熱いんでねえ。いくらツラの皮が厚くても、たまったもんじゃないです」
 心遣いが、身に沁みた。冗談めかして言ってはいるが、こちらの負担を少しでも軽くしようとしているのは痛いほどわかる。逓には、一時の感情で理不尽な振る舞いをしてしまった。
「……しかるべく」
 それだけを告げた。源宇はにんまりと笑い、
「御意」
 一礼して踵を返し、すたすたと房を出ていく。幕は大きく開けられたままだ。昼の日差しが、房を明るく照らしていた。
 英泉はそろそろと、牀から足を下ろした。沓を履いて立ち上がる。ある部分が明確に苦痛を訴えたが、英泉はそれを意志の力で抑えた。
 窓辺に立って外を見遣る。見慣れた砦の日常が、そこにはあった。
 ここで、自分は生きていくのだ。今日もあしたも、その先も。
 医療棟に続く渡殿を、赤茶色の髪の男がゆるゆると歩いていく。
『馮夷……』
 かたん。
 窓を大きく開け放つ。早春の風が、房にふわりと吹き込んだ。
 たがえようもない「気」。こんなに離れているのに、間違いなく自分はあの男の息遣いを感じている。
 痩身のその背中が医療棟に消えるまで、英泉はその場を動かなかった。


(了)