Sometime,Somewhere     by 近衛 遼




ACT3

 週に三回、通いの家政婦が掃除や洗濯、食事の準備などをしている。今日はその日で、朝、洗濯籠に放り込んでおいたシーツやベッドカバーなどがきっちりと糊付けされていた。
 ほんの少し固いシーツの上に、明るい色の髪が広がる。
「……なあ、相馬」
「何だ」
「相馬の体って、あったかいねんな」
「平熱は三十六度八分だ」
 真面目な顔で答える。久御山は苦笑した。
「そんなん、訊いてへんわ」
 言いながら、左手を相馬の頬に伸ばす。先刻、手首を掴まれたときにできた痣は、すっかり赤紫に変色していた。
 相馬はその手を、今度はそっと握った。
「脈拍が速くなっている」
「……あたりまえやろ」
 二人とも、すでに何も身に付けていない。リビングから相馬の部屋に移動したときには、無言のうちにその了解が出来ていた。
『実はできるんや』
 二年前、久御山が言った言葉。
『ちゅーもそれ以上も』
 男女間のみのものと思っていた一連の行為。それが同性においても成り立つと体系的に理解できたのは、あのあとしばらくたってからだった。
「久御山」
「うん?」
「もしかして、右肩を負傷しているのか」
「え……」
 図星だったのか、声が裏返る。
「左右のバランスが悪い」
 相馬は久御山の、鎖骨から肩の線を左手でなぞった。わずかに躰が揺らぐ。
「できる限り注意する」
「はあ?」
「お前の右肩に、負担をかけないような方法を考える」
 淡々とした調子でそう告げる。
 久御山はしばらく相馬を見つめていた。二人の唇が近づき、重なる。
 それが、始まりのサインだった。


 二人の間の空間が、限りなくゼロに近くなる。
 相馬は目を閉じて、指先に神経を集中した。皮膚の表層の感触が外観とは違う。
 滑らかな曲線を描いているのに、柔らかくはない。おそらく、筋肉の体積が少ないのだ。しかし密度は濃い。必要最小限の、効率のよい筋肉の付き方をしている。
 躰のあちこちを彷徨していた手が、ある目的をもって下肢に移った。
「……どないするん」
 乱れた息の下で、久御山が訊いた。相馬はそれには答えなかった。自分の時よりもゆっくりと丁寧に、その部分を育てていく。
「……相馬かて、もう……」
 久御山が手を伸ばそうとした。相馬はそれを制して、
「お前が、先の方がいい」
「え……さきって……」
「そうした方が楽なはずだ」
 理論上、その後は筋肉の緊張がほぐれる。したがって反動も少ないはずなのだが、実際のところは未知の領域だ。
「ラクや言うてもなあ……」
 情けなさそうな声で、久御山は言った。しかし、相馬の提案に反対する余裕はないようだ。
「……わかったから……」
 久御山はぎゅっとシーツを掴んだ。
 息が零れる。背が弓なりに反る。そして……。


 相馬は久御山の顔を覗き込んだ。
「少し、左に移動してくれないか」
「左て……なんやねん」
 ぼんやりした表情。無理もない。全身を巡る愛撫ののちに、やっと達したところなのだから。
「右肩に負担をかけないようにすると約束した」
「そんなもん……」
 久御山は小さく笑った。
「どうでもええわ」
「そういうわけにもいかない」
 相馬は久御山の背に手をやって、上体をずらした。
「……これぐらいだな」
 ぼそっと呟くと、相馬は久御山の右脚を抱え上げた。
「うわ……なにすんねんっ」
「続きだ」
「つづきて……」
「俺は、お前を全部、解りたいと言った」
 眼で見て。手で触れて。息遣いを聴き、肌を味わう。
 躰を繋ぐことで解ることもある。もちろん、それだけでは解らないことも。
 久御山の脚が、相馬の肩に乗った。


 繋がりは、相対的なものなのか。
 求める側と求められる側の差と言えばそうなのかもしれないが。
 俺はお前を知りたいと思った。お前も受容した。それでも。
 それでもなお、この違いは何だ。
 ベッドの軋む音。ある部分の擦れる、湿った音。お前は苦痛の表情を浮かべ、俺はおそらく、悦楽の領域にいる。
 汗が目に入った。きゅっと滲みて、痛い。
「……たのむわ……相馬……」
 眉間にしわを寄せて、久御山が言った。
 何をしてほしいのか、判然とはしなかった。が、相馬はそれに「諾」と答えていた。
 お前の心のままに。
 二人は、共鳴した。


 秒針の音が、やたらと大きく聞こえる。短針と長針が重なって、日付が変わった。
 久御山は眠っている。直後は荒かった呼吸も、今は規則正しく穏やかだ。
 相馬は眠れなかった。体は疲労を感じているのだが、頭は一種、爽快なまでに冴えている。
「……久御山」
 自分の肩に、額をすり付けるようにして寝ている横顔。起こしていいものかどうか、一瞬考える。
 こいつが朝までここにいるという保証はない。ならば。
「久御山」
 相馬は再び声をかけた。
「……なんや」
 目をつむったまま、ぼそりと答える。
 どうやら起きていたらしい。そのことに気づかなかった自分を意外に感じつつ、相馬は言葉を続けた。
「一つ、訊きたい」
「おまえがおれに?」
 久御山は顔を上げた。けだるそうに、視線を向ける。目尻が心なしか紅く染まっていた。
「はいはい……なんでもどうぞー」
 冗談めかしてそう言って、相馬の腕にもたれる。
「何故、お前は俺に会いに来たのだ?」
「は?」
 久御山は上体をわずかに起こした。
「……相馬、それ、マジかいな」
「ああ」
「こんなこと、しといて……」
「それと何か関係あるのか?」
 相馬は首を傾げた。
「ほんまに、わからへんのん」
「判らない」
「はあ………」
 久御山はがっくりと肩を落とした。
「どうかしたのか」
「……ええわ」
「何がだ」
「もうええって言うとるねん! そんなもん、自分で考えぇな」
 そう言って、久御山はずり落ちそうになっていた羽毛蒲団を引っ掴んだ。頭までかぶって背を向ける。
 相馬はしばらく、蒲団からわずかにはみだした金髪を見つめていた。
「分かった」
 十秒ばかり後、相馬は足元の毛布を手に取った。
「考えてみよう」
 毛布を肩までかけて、目をつむる。
 急ぐことはない。こいつがまた姿を消したとしても、きっといつか、どこかで会えるだろう。
 そう。今回のように。

 根拠のない確信。
 お前だから。久御山。
 それは、お前だからだ。


THE END