微笑む猫  by 近衛 遼




 ポケットの中をごそごそと探り、田辺大亮は鍵を取り出した。
 どうしよう。でも、ほかに方法はなさそうだ。馨のためには、やはりこの話を受けるしか……。
 ガチャリ。中からドアが開いた。
「……なにやってんの」
 栗色の髪の少年が、呆れたような顔で出てきた。
「鍵持ったまんま、固まっちゃって」
「あ、いや、すまん」
 大亮は玄関の中に入った。
「具合、悪いの」
 心配そうに、馨が訊く。
「とりあえず、寝たら」
「いいんだ。それより……」
 大亮は鞄から何枚かの書類を取り出した。それをテーブルに置いて、
「今日、加賀先生のところに行ってきたんだが」
「うん」
 馨も、自身の養子縁組について話が進んでいることは知っている。服役中の実の親たちは、拍子抜けするほど簡単にそれを認めた。弁護士の加賀が五月組の名前をちらつかせたからかもしれない。
「おまえ、もしかしたら『篁馨(たかむら かおる)』になるかもしれないぞ」
「え? タカムラって……あの篁さん?」
「ああ」
「オレ、あの人のコドモになるの」
「いや、子供じゃなくて……兄弟だ」
 ため息まじりに、大亮は言った。


 あれやこれやの出来事のあと。
 結局、大亮は馨に新しい戸籍を作った方がいいという結論に達した。そして、菅原事務所と付き合いのある弁護士、加賀隆一に馨の養子縁組の相談を持ち込んだのだ。
「後腐れのないようにせねばならんな」
 加賀は断じた。
「こう言ってはなんだが、あんな虫ケラどもにこれ以上まとわりつかれては困るだろう」
 虫ケラ、ねえ。大亮は苦笑した。弁護士にあるまじき発言をした加賀は、ある人物の名を挙げた。
「万一、馨くんの親があれこれ言ってきたとしても、彼なら歯牙にもかけまいよ。それどころか、おそらく一撃で叩き潰すね」
 加賀がそう評した人物。その名は。


「篁一馬(たかむら かずま)?」
「ああ」
「それが、篁さんのお父さんの名前なの」
「といっても、あいつも養子らしいけどな」
 噂によると、篁一馬は第二次大戦のときの特攻隊の生き残りで、戦後事業を起こして大成し、いまは篤志家として有名な人物らしい。
「加賀先生が言うには、世界各国の子供たちを養子にして教育を受けさせて、それなりの地位に付けさせてるって話だ。まあ、俺から見れば『親』っていう感じじゃないが……」
「いいじゃない、べつに」
 あっさりと、馨は言った。
「それより、その人はオレのこと知ってるの」
「ああ、もちろん」
 馨の過去については、加賀が報告している。
「だったら、いいよ。オレ、『タカムラ カオル』になる」
 大亮としては、あの男と馨が義理とはいえ「兄弟」になるのはいささか抵抗があったのだが、今後のことを考えると、後ろ楯は大きい方がいい。
「そうか。じゃ、あした、加賀先生に連絡しておく」
「うん」
 馨はにっこりと笑って、大亮の首に腕を回した。深い口付け。そのままふたりは、寝室へと移動した。


 からみつく指。唇。舌。
 それらが大亮の欲望を育てていく。ゆっくりとした動き。じりじりとしたその感覚に、とうとう我慢ができなくなった。
「馨、もう……」
「ん……ちょっと……待って」
 再度、深く含んでから顔を上げる。直後に、緊張した部分が一気に飲み込まれた。熱く息づくそこは、大亮を急き立てる。
「……おまえなあ」
 焦らされた時間の反動で、いまにも弾けそうだ。
「なに?」
「こんなことして……楽しいか」
 焼け付くような感覚に耐えながら、言う。
「うん。だって……」
 動きを止めて、馨は微笑んだ。
「いっぱい、感じたいから」
 圧迫がさらに強くなる。大亮は馨の腰を掴んだ。前にうしろに、大きく揺さぶる。
「…っ! ……ん……はっ…あ……っ」
 朱い唇から声が溢れた。栗色の髪が乱れる。
 感じたいのは俺も同じだ。快楽の波に飲まれて、どこまでも行ってしまいたい。もっと激しく、溺れるほどに。
 体を倒す。突き上げる。途切れ途切れの息を捕えて、大亮は最後の熱を放出した。


 名前など、どうでもいいのかもしれない。こいつがこいつであるかぎり。
 あのとき、俺はこいつを呼んだ。春の宵。桜の舞う中で。
 こいつはついてきた。そして、いまもここにいる。微笑みをたたえて、眠っている。
 いまは秋。まもなく冬。
 遅い秋の夜もすがら。大亮は満ち足りたときを感じていた。


FIN.

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