常葉木    
byつう





ACT4



 爺の報告を受けて、セキヤは水郷寺へ向かう人員を選出した。
 はっきり言って、敵ではない。権力にあぐらをかいている烏合の衆に過ぎぬ。
「さっさと片付けて、酒盛りしようねー」
 出発前に、セキヤは言った。
「もちろん、オレのおごりよん」
 そう言われては、張り切るしかあるまい。
 加煎が東門を奇襲して、僧兵たちの注意を引きつけているうちに、セキヤが指揮する一隊が西の院に入る。おそらく、醍醐も西の院にいるはずだ。
 必要な首級を獲ったら引き上げる。余計な仕事はしない。セキヤは皆に、それを徹底させた。
 加煎はゆっりとした胞衣の下に毒を塗った千本を仕込み、セキヤに先んじて出発した。東門には、時間を空けて三隊投入する。勝たず、負けず、できるだけ長いあいだ、攪乱すること。それが加煎の仕事だった。
「ご苦労だったねえ、爺」
 セキヤは言った。
「宴会の用意、しといてねー」
 爺は今回、留守居役だ。
「おう、待っとるよ」
 にこにこと、爺は笑った。
「ジンに、鶏の蒸しものを作ってやろう」
「へえ。豪勢だね」
「あいつは、それぐらいの働きをしとるよ」
「はいはい。まったく、みんな、刃には甘いんだから」
「おまえさんほどじゃ、ないがな」
「オレは厳しいよー。でなきゃ、水郷寺に遣ったりしないもん」
「ほほ。愛の試練というやつじゃろうに」
 亀の甲より年の甲。爺は訳知り顔で、セキヤの背をぽんぽんと叩いた。





 始まった。
 薄暗い房の中で、刃は僧兵たちの叫び声や走り回る足音を聞いていた。そっと格子をずらして外を窺う。屯所や宿房から大勢の僧兵が飛び出して、東門の方へ向かっていた。雑色たちは右往左往して、逃げるように走り去っていく。
 揺動作戦だな。刃は思った。東門で騒ぎを起こしておいて、それから西の院に踏み込むつもりか。
 どれぐらいで方がつくのだろう。セキヤのことだ。それほど長くはかかるまいが。
 格子を閉めて、牀に戻る。落ち着かなかった。醍醐やセキヤは、もう西の院に入ったのだろうか。
 待てと言われた。だから、待つ。が、なにもできない自分が悔しい。
 結局、自分は肝心のときには役にたたないのだ。それどころか、足手まといにしかならない。決して人殺しをしたいわけではないが、みんなと一緒にいたかった。そう。「仲間」と一緒に。
 帰ったら、もっとしっかり鍛練しよう。自分だけじゃなく、ほかの者も守れるように。勉強もちゃんとやって、作法も覚えて、セキヤのお荷物にならないように。
 がんばってきたつもりでも、まだまだだよな。
 刃は嘆息した。
『おまえって、ほんとに可愛いねえ』
『刃は、オレのもんなの』
 そういうセキヤの言葉に甘えていた。頼っていた。床をともにするときも、満たされるのは自分の方だ。
 宿で客を取っていたころは、客を満足させることばかり考えていた。セキヤも当時は「客」で、十分な快感を与えられなければ、「もう一度」と何回でもやり直しを命じた。
 辛くて、苦しくて、でも拒むことはできなくて。セキヤがいいと言うまで、あらゆる手段を使って奉仕した。もっとも、そのおかげで、ほかの客のときは拍子抜けするほど簡単に、事を終えることができたのだが。
 それがいまは、まったく違う。触れる場所のすべてに快楽の種を蒔かれ、ゆっくりと育てられる。それらはやがて一斉に芽吹き、頭も体も覆い尽くすのだ。
「すっごく、よかったよー」
 うれしそうに、セキヤが言う。恥ずかしくて、忘れてしまいたいような行為のあとで。
 なにも答えずにいると、たいてい頭を撫でてくる。髪の質感を楽しむように、何度も何度も。それがとても気持ちよくて、刃はそのまま眠りにつくことが多かった。
 セキヤの手はあたたかい。あたたかくて、心地よい。でも、それにすがっていてはいけないのだ。
 もっと強くなろう。ずっと、セキヤの側にいたいから。
 刃はぐっと、拳を握り締めた。





 西の院の唐門の前に、いくつかの首級が並んだ。
「これで全部かなー」
 頬についた帰り血を拭きながら、セキヤは言った。醍醐は面をあらためつつ、
「こんなもんだろ。雑魚に用はないし」
「オッケー。んじゃ、引き上げよっか。東門の連中にも、適当に切り上げてって言っといて」
「わかった。刃は……おまえが迎えにいくか?」
「そうねー。うーんと誉めてやんなくちゃ」
 セキヤにはまだ、昨夜のことは話していない。もし刃が黙っているのなら、醍醐としてもあれを報告する気はなかった。
「それじゃ、俺は東門に行ってくる」
「お願いねー」
 セキヤは仲間とともに首級を弼に納めつつ、ひらひらと手を振った。





 ガタン、と乱暴に扉が開いた。
 刃は牀の陰に隠れた。血と汗の臭い。荒い息。醍醐ではない。
「おい、小僧!」
 吐き出すような声がした。魏庸だ。
「まだいるんだろ。出てこいよ」
 ずかずかと中に進む。
「なにしてんだよ。そんなとこで」
 魏庸は刃を見下ろして、言った。正体がばれたわけではなさそうだ。刃は小柄を牀の下に置いた。
「外の様子が、へんだったから……」
 語尾をぼかして、答える。
「ああ。とんでもねえことになっちまったよ。門主が、やられた」
「門主さまが?」
 目を見開いて、顔を上げる。
「どうして……」
 どこまで知っているのだろう。刃は探りを入れた。
「どうしたもこうしたもねえよ。まあ、ここの坊主どもも、あちこちから恨み買ってただろうからな。西の院の門前に首が並んでたから、急いで引き返してきたんだ」
 醍醐のことは、まだ知らないようだ。それなら、なんとでもやりすごせる。
 西の院での仕事は終わった。ということは、まもなく醍醐が迎えにくるはずだ。
「ここはもう、おしまいだ。早いとこ逃げるに限る。おまえ、俺と一緒に来いよ」
「え、でも……」
「あの野郎に義理立てしてどうするよ。もう死んでるかもしれねえぜ。なあ、俺なら、おまえを殴ったりしねえからさ」
 なんとも、ありがたい申し出だ。ゆうべのことだけで、この騒ぎの中、自分を助けに来たというのか。
 こんな誘いを無下に断るのは変だ。しかし、ここから出てしまっては、醍醐たちと合流するのは難しくなる。よしんばどこかで会えたとしても、自分がこの男とともにいては、不都合が生じるかもしれない。
 あと少し。ほんの少し、時間が稼げればいい。
「ほんとに、いいの」
 小声で、訊く。
「なに言ってんだよ。よくなきゃ、とっくにひとりでトンズラしてらあ」
「おれ、人殺しだよ」
「へ?」
 驚いたようだ。よし、いける。
「前にいたとこで……人を刺したこと、あるんだ」
「前にって……護国寺にいたんじゃないのか?」
「あれは、嘘。ほんとは場末の旅籠で、客を取ってた。醍醐はそこの常連で……」
 嘘と本当を混ぜて話す。
「おれ、一回助けてもらったから」
「だから、だまされても殴られても、言うこときいてんのかよ」
 魏庸は憤慨しているようだった。
「言うこときいてれば、殴らないよ」
「殴らねえけど、その……あっちの方がきついだろうが」
 なるほど。そうきたか。
「うん。それは……そうだけど」
 下を向く。なんとも滑稽だ。ここで笑ってはいけないので、必死に唇を噛む。
 魏庸の手がのびてきて、刃の腕を掴んだ。荒々しい口付け。刃は抗わなかった。まさか、いまここで事に及ぶことはあるまい。それなら、妙な刺激を与えない方がいい。
「かまわねえよ。人殺しでも」
 魏庸が言った。
「俺も人殺しだからな。お互いさまだろ」
「一緒にしちゃ可哀想でしょうが」
 嘲るような声がして、魏庸の首にぴったりと長刀の嶺が宛てられた。
 いつのまに入ってきたのだろう。魏庸の背後に、燃えるような緋色の髪の男が立っていた。
「若い子に入れ込むのもいいけどね。命あっての物種だと思うよん」
 セキヤはにっこり笑って、刃に片目を閉じてみせた。魏庸はすっかり、固まっている。
「なんか、金目のものがないかと思って来たけど、その子、なかなかいいじゃんか。もらっていくよー」
 長刀を返して、魏庸を壁際に追いやる。
「はーい、そのままね。坊やも、怪我したくなかったら、言うこときくのよ」
 刃は無言のまま、立ち上がった。この場はセキヤの芝居に乗るしかない。セキヤに促され、刃は房の外に出た。その直後。
 うめき声と、なにかが倒れたような鈍い音が聞こえた。まさか……。
 刃は振り向いた。セキヤが素早く、扉を閉める。一瞬、床に伏した魏庸の頭が見えた。
「……殺したの」
 ぽつりと、刃は言った。
「やられる前に、やっただけだよ」
 セキヤは刀を拭いて、鞘に戻した。焦土色の瞳が、冷たい光を宿している。
「どうして……」
「どうして?」
「殺さなくてもよかっただろ!」
 思わず、そう叫んだ。
「人の背中に切りつけてくるようなやつに、情けをかける必要はないでしょ」
 セキヤの手が、刃のあごをとらえた。
「それとも、おまえ、あいつに惚れたの」
「違うよ!」
 刃は、キッとセキヤをにらんだ。
「おれは、あんたのものだ。おれには、あんただけだ」
 でなきゃ、あんなことするもんか。
「刃……」
 セキヤの顔が、見る間に穏やかになった。手を下ろして、そっと背中を抱く。
「ごめん」
 大きく、息をつく。
「嫌なとこ、見せちゃったね」
 朱色の髪が、さらりと刃の頬に触れた。
 ああ、そうか……。
 刃は思った。これが、セキヤなのだ。
 人を殺めた直後でさえ、これほどあたたかな抱擁を与えられる。おそらく、ほかの仲間たちに対してもそうなのだろう。でなければ、ふだんのあの明るさは説明できない。
 魏庸には悪いことをした。こんなことなら小細工などせずに、大腿部か脇腹あたりに小柄を突き刺しておけばよかった。そうすれば、命だけは助かっただろうに。
「セキヤ……」
 刃はセキヤの背に手を回し、強く抱きしめた。




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