常葉木 byつう
ACT5
扉が開いていた。
「おれ、人殺しだよ」
刃の声がした。
だれとしゃべってるんだ。セキヤはそっと、房の中を窺った。
醍醐と同じぐらいのガタイの、茶色い髪の男が牀の側にいた。僧兵らしい。
刃は男を刺激しないように、うまく話を繋いでいた。男は刃のことを気に入っているらしい。
しっかし、よくまあ、あんな話、作れるよな。半分は本当だけど……。
そこまで考えて、セキヤはあることに気付いた。
同じだ。これは、あのときと。
国境の要塞で。所司の館で。「仕事」のためにあらゆる手段をこうじていた「黒髪さん」。
おまえも、そうなのか……。
セキヤは房の中に入った。最後まで見ている気はなかった。なぜなら、刃はオレのものだから。
長刀を抜いて、セキヤは男の首に宛てた。
集会所では、宴会が続いていた。
まもなく夜明け。それでも、だれも眠ろうとはしなかった。久しぶりの大仕事に、みんな浮かれているようだった。刃も、あちらこちらを行き来しながら騒いでいる。
「どうしたんです?」
加煎が訝しげに、言った。セキヤが黙々と料理を食べているのが気になったらしい。
元来、セキヤは少食である。ちびちびと酒を飲み、ちまちまと食べる。宴会のときもそういう食べ方は変わらない。それなのに、今日は無表情なまま、どんどん食べ物を口に運んでいる。
「どうって……なによ」
ぼそりと、言う。
「なにか、心配事ですか」
「うん。ちょっとね」
セキヤは箸を置いた。醍醐も杯を膳に戻した。
「刃のことだけど……」
セキヤは宿房での一件を話した。醍醐が大きく息をつく。
「馬鹿だねえ、あいつも。余計なことしなけりゃ、いまごろどこかの旅籠で旨い酒が飲めただろうに」
「あなたにしては、少々、浅慮でしたね」
加煎はしみじみと言った。
「刃の言うように、殺すことはなかったでしょうに」
「そりゃそうだけどさあ。なんか、あのときは抑えられなくてねー」
「おまえにも、そういうところがあったんだな」
醍醐はふたたび、杯を取った。
「結局、刃が可愛いってことだ」
「うん。可愛いよ。でも……ちょっと、思い出しちゃってね」
「なにをです」
「黒髪さん」
ぼそりとセキヤは言った。
「誘いを断るのに、いろいろ話を作ったり相手の出方を探ったりしてるのがさあ、なんとなく、はじめて会ったころの黒髪さんを見てるようでねー」
「たしかに、そんなところはありますね」
加煎は頷いた。
「やるべきことをやるときの刃は、あの人に似ています。我を捨てて、目的のために必要なことをしようとしますから」
「やっぱり、そう?」
セキヤは二人の顔を窺った。
「うーん。オレって、そういうやつに弱いのかなあ。いままで、似てるなんてこれっぽっちも思わなかったのに」
「仕事、させたからだろ」
醍醐は言った。
「荒事をさせりゃ、本質が出るよ。刃だって、ぬくぬくと育ったわけじゃない。生き残るために、修羅場をくぐってきたはずだからな」
「だよねえ。でなきゃ、あーゆーことはできないだろうし」
セキヤは刃から、魏庸との経緯を聞いていた。それでなおさら、「黒髪さん」のことを思い出したのかもしれない。
「で、これは使えると思ったんですか?」
薄く笑って、加煎。セキヤはむっつりとして、
「そ。だから、ますます自分が嫌でねえ」
刃のことを手駒として考えてしまった。次に使うなら、どの場面がいいか。
「なにも、嫌がることはないと思いますが」
「どうしてよ」
「使えるものは、使えばいいんです。刃はあなたのものなんですから」
「冷たいねえ」
「そうでしょうか? あの子は、あなたの役に立ちたいと思っているはずですよ」
「そりゃそうかもしんないけど……。んなことしたら、あいつの負担、増えすぎじゃん」
いまでも、ぎりぎりの線だと思う。日中は加煎と醍醐に教えを受け、夜はセキヤの相手をして、さらに村の雑用もやっているのだ。
「そう思うなら、ちっとは手加減してやれ」
憮然として、醍醐が言った。セキヤは唇をとがらせて、
「してるよん。おまえと一緒にしないでよね」
「なんだよ。俺だって……このごろは自粛してる」
刃の鍛練のことではない。閨のことだ。
じつのところ、醍醐はここ一年ばかり、相手を縛るのをやめている。イルカが殉職したあと、求めに応じてセキヤを抱いて以来、以前のような方法で事を行なうことができなくなったのだ。つくづく、因果である。
「あ、そうだっけ。ごめんごめん。傷口に塩塗りこんじゃって」
傷をつけた本人に言われても、ありがたくはない。
「まあ、あの子の負担が少なくなるよう、私たちで補助していくしかないですね」
加煎はくすくすと笑った。
「とりあえず、私はどこに行っても恥ずかしくないだけの教養と作法を」
「んじゃ、俺は雑魚を始末できるぐらいの技を仕込めばいいかな」
「ふたりとも、やる気満々ねー」
セキヤは箸で煮物をつつきながら、言った。
「オレはもう、教えることないもーん」
「おまえは、癒し系」
「はあ?」
「思いっきり、甘やかしてやんな」
「おいしい役どころでしょ」
二人は、思わせぶりにセキヤを見つめた。
「おいしいからって食べ過ぎると、ひどい目に遭うのよ」
その、なんとも言えない子供じみた言い草に、醍醐は酒をこぼさんばかりに大笑いし、加煎は扇で顔を隠して肩を震わせた。
宴会が一段落ついたのは、白々と夜が明けはじめたころだった。
早めに引き上げたセキヤは、格子も幕もぴったり閉じて、牀に横たわった。疲れているはずなのに、眠れない。脳裡に、きのうの刃の様子と、かつて一緒に仕事をしたときのイルカの顔が交互に浮かんだ。
「黒髪さん……」
声に出して、呼んでみた。記憶の中で、イルカが微笑む。
あの日から、もうすぐ一年たつのだ。イルカが岩の国への文遣いの帰途に襲撃され、命を落としてから。
「なーんか、めまぐるしかったよなあ」
蒲団を抱いて寝返りをうつ。枕がずれて、床に転がった。
「あらら」
牀の上から手をのばす。もう少しで届くというところで、セキヤは蒲団ごと下に落ちた。
「……ったーっ」
「なにやってんだよ」
声が降ってきた。刃が、幕に手をかけて見下ろしている。
「寝惚けてるの」
「冷たいのねー。『大丈夫?』ぐらい言ってよ」
セキヤは枕を手に、ちらりと刃を見遣った。
いつ入ってきたのだろう。幕を閉めていたとはいえ、気づかなかった。内心の動揺を隠しつつ、立ち上がる。
「片付けは終わった?」
「うん」
「そ。んじゃ、寝よっか」
手を取って、導く。刃は履物を脱いで、牀に上がった。
「いろいろ、たいへんだったね」
セキヤは刃の髪を撫でた。黒くて、まっすぐで、つややかな髪を。
刃は無言だった。目を伏せたまま、じっとしている。
使えるものは、使えばいい。加煎はそう言った。
じつのところ、今回の仕事で、セキヤもそれを考えなかったわけではない。水郷寺には何人もの色子が囲われている。その中に刃を送り込んで、寝物語に情報を聞き出す。それがいちばん、てっとり早くて確実だ。が、はたして刃に、そんな真似ができるかどうか。
最終的に、無理だと判断した。だから、単なる度胸試しのつもりで、つなぎ役をさせたのだ。それが。
刃は、セキヤの予想以上にプロだった。
『それがおれの仕事なら、やるよ』
まっすぐに向けられた、意志の強い瞳。迷わない、逃げない、潔い心。
わかっていたのかもしれない。だから、引き付けられたのだろう。刃とイルカは、心の組成が同じなのだ。
「セキヤ」
刃が顔を上げた。
「ん?」
「おれ……」
言いかけて、ふたたび視線を落とす。
「どしたの」
セキヤは刃の顔を覗き込んだ。刃は唇を固く結んでいる。
「途中でやめるなんて、気になるじゃん。なによ」
あごに手をかけて、上を向かせる。刃はじっとセキヤを見つめた。目尻がほんの少し、染まっている。
体重が移動した。刃の唇がセキヤのそれに重なる。能動的な意志を持って動く舌。セキヤは刃をきつく抱きしめて、口付けに応じた。
格子の向こうでは、もう朝の光が満ち満ちているだろう。刃の寝息を聞きながら、セキヤもうとうとしはじめていた。
さっき、刃はなにを言おうとしたのだろう。すがるような口付けに圧されて、結局その真意をただすことはできなかった。
まあ、いい。言いたくなければ、無理強いはすまい。なにものであっても、心まで束縛することはできないのだから。
セキヤは刃の背を抱いて、まどろみの中へ落ちていった。
(了)
目次 月の室 攻略表