常葉木 byつう
ACT1
豊穣の季節である。
森の国と雲の国の国境に近いこの村でも、冬に向けての準備が着々と進められていた。
「よろしいですか」
加煎が薪割りをしていたセキヤに声をかけた。
「んー。なに?」
斧を手に、答える。
「雨の国から文が届きました」
雨の国は、森の国の南に位置する小国だ。
「ふーん。雨っつーと……ああ、皆瀬のタヌキだな」
セキヤは鼻で笑った。
雨の国の内務尚書は皆瀬といって、幼い国主の後見人として政務を一手に引き受けている。何年か前に国主の座を巡って争いがあったとき、セキヤは皆瀬の依頼を受けて、政敵を暗殺したことがあった。
「で、今度はなによ。まさか、若様を殺れってんじゃないだろうね」
そこまでラクはさせないよ。
言外の言葉を読み取った加煎が、くすりと笑った。
「さすがに、それほど馬鹿ではないようですよ」
「んじゃ、なんの用なの」
「水郷寺が寝返ったそうです」
「うわ。それって、めちゃくちゃヤバいじゃん」
「でなければ、われわれに文など寄越しませんよ」
「そりゃ、そーね」
セキヤはにんまりと笑って、斧を置いた。
「いいカネになりそうだねー。中でゆっくり話を聞くよ」
水郷寺は代々の国主の菩提寺として、雨の国において絶大な勢力を保持していた。荘園を与えられ、自治を認められ、実質的に国主に次ぐ権力を持っていると言っても過言ではない。
数年前、皆瀬はその水郷寺と結んで、幼君擁立を果たした。が、ここ一、二年のあいだに皆瀬と寺の対立が深まり、ついに水郷寺の門主は皆瀬と袂を分かったというのだ。
「んで、……なんてったっけ。皆瀬に対抗してるやつって」
「御園生卿ですか」
「そうそう。その御園生とかいう公卿と手を組んだってわけ?」
「坊主のくせに尻軽だな」
醍醐が辛辣な意見を述べる。
「僧侶と言っても、実際は思い切り俗世に染まってますけどねえ」
加煎は扇を広げて、ため息をついた。
「じゃあさー、寺ごとぶっ潰しちゃっていいの」
「皆瀬どのとしては、それは避けたいところでしょう。穏健派は残して、今後も寺の権力を利用するつもりかと」
「勝手なこと言っちゃって」
「具体的に、だれを殺りゃいいんだ?」
頭をかきつつ、醍醐が訊いた。
「とりあえず、門主と腹心の高僧ですね。寺を警護している僧兵もいますから、けっこう大掛かりになるでしょうが」
加煎は水郷寺の見取り図を広げた。
「よくこんなもんが手に入ったね」
セキヤが感心したように言った。
「皆瀬どのが文と一緒に送ってきたんですよ」
「至れり尽くせりだねえ。あー、恐い恐い」
「鵜呑みにはできませんがね。まあ、参考までに」
「門主の居場所や僧兵の配置を調べておく必要があるな」
見取り図を一瞥して、醍醐が言った。
「前もって二、三人送り込むか。これだけの寺だ。雑色の数も多いだろ」
「そうだねー。ほんとは、もう少し中に入れたらいいんだけど」
「僧兵に化けるってえのは?」
たしかに、醍醐なら適役だ。
「いい考えですが、水郷寺ともなれば、紹介状のない者を寺内に入れるとは思えませんね」
「そんなもん、なんとでもなるじゃん」
セキヤはくすくすと笑った。
「紹介状なんか、偽造すればいいんだしさあ。木の葉の国の護国寺とか、雲の国の内宮とか、あとで口裏合わせてもらえるだろうし」
「護国寺の宗主は代替わりしたんじゃなかったか?」
醍醐が疑問を口にする。
「したけど、まだまだ先代の上人も、火影のじいさんとタメ張るぐらい元気だからねえ。根回ししとけば、大丈夫でしょ」
「では、そういうことで」
加煎はにっこりと笑った。
「早速、書状を作りますね。醍醐と、あと三人ばかりでいいですか」
「うーん、そうね」
セキヤは何事か思案しているようだ。
「なにか、気になることでも?」
「いや、べつに、段取りはそれでいいんだけど……醍醐」
「うん?」
「刃、使えるかな」
「はあ?」
醍醐は、目を丸くした。
「あいつを、水郷寺に遣るってか」
「ダメ?」
「まだ早いだろう。こっちの仕事をさせるのは」
「そうかなー。そろそろ、時期かと思ったんだけど」
刃がここに来て、まもなく半年になる。加煎には読み書きや礼儀作法を、醍醐には武術一般を仕込まれて、どちらも著しい上達を見せていた。
「ここんとこ大きな仕事はしてないから、オレの身辺も静かだけどさあ。今度のヤマはけっこうでかいでしょ。あとでまた、いろいろお客さんが来ると思うのよ。そうなったら、オレ、刃を守りきれるかどうか……」
「情けねえこと言うな!」
醍醐が真剣な顔をして、怒鳴った。
「あいつは、おまえのモンだろうが。おまえが守らなくてどうするよ」
「守るよ。もちろん」
セキヤは即答した。
「でも、万一ってこともあるじゃん。オレがずっとついてるわけにはいかないんだし」
「そりゃまあ、そうだが……」
「だから、最低限、自分の身は自分で守れるぐらいじゃないと、オレの側に置いとけないでしょ」
「力試しにしては、難関ですね」
加煎は苦笑した。
「まあ、読み書きも作法も、ひと通りは教えましたから、寺の雑務をする分には問題ないでしょう」
「端仕事をするだけじゃねえだろ」
醍醐は加煎をにらんだ。
「探り入れなきゃいけねえんだ。んなこと、あいつにできるかよ」
「そうですねえ。それなら、外とのつなぎ役をやらせましょうか。比較的、危険は少ないと思いますよ」
「ふん。『比較的』ね」
醍醐は横を向いて、吐き捨てるように言った。
「そんなに、刃が可愛い?」
セキヤが訊いた。
「おう。可愛いね。おまえのもんじゃなきゃ、とっくにいただいてらあ」
「ふふーん。残念でした」
「けっ。んなときに、ノロけるんじゃねえよ」
「のろけてなんかいないよ。オレも刃が可愛い。だから、この仕事ができないようなら、手放すのもアリかなーって」
醍醐は目を見開いた。加煎も眉をひそめて、セキヤを見つめている。
「……いまさら、そんなことができるんですか」
ひっそりと、加煎が言った。
「そうだよ。だいたい、手放すって……どこかに売る気なのか?」
「売るって言ったら、おまえ、買う?」
「即金で買うよ」
「あは。だと思った」
セキヤはくすりと笑った。
「でも、それじゃ意味ないでしょ。おまえんとこにいても危険な目に遭うのには変わらないんだから」
たしかに、そうだ。
「もし、オレたちの仕事についてこられないなら、どこかで暮らし向きがたつようにしてやろうと思ってる。あんな商売、しなくてもいいようにね」
刃は以前、売春宿にいた。くわしいことは聞いていないが、どうやら口減らしのために売られたらしい。
「そこまで考えているのなら、もう私たちが口出しすることはありませんね」
加煎が扇を揺らしつつ、言った。醍醐も、重々しく頷く。
「じゃ、そーゆーことで」
セキヤは立ち上がった。
「あしたまでに、面子選んで細工にかかろうねー」
「御意」
「了解」
加煎と醍醐の、声が重なった。
夜。
セキヤは刃に、新しい「仕事」の説明をした。
「……てなわけで、できるだけ寺の内情を知りたいわけよ。かなりアブナイんだけど、できる?」
ずっと黙って話を聞いていた刃は、セキヤの問いに視線を上げた。
「そんなこと、訊くなよ」
「え?」
「できるかどうかなんて、おれにはわかんねえもん。けど、それがおれの『仕事』なら、やるよ」
むすっとした表情のままで、刃は断言した。黒目がちの大きな瞳が、セキヤを見据えている。
自分の仕事はきっちりやること。仲間のものに手を出さないこと。
ここでの決まりは、二つだけだ。
「ほんと、おまえって、可愛いねえ」
セキヤは目を細めた。腕を引っ張って、牀に倒す。
「あしたから、しばらく会えないから」
深い口付け。刃の手が、ゆっくりと背に回る。
「今夜は、いっぱい、しようね」
染まりはじめた耳の横で、セキヤはそう囁いた。
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