朱雀     byつう







ACT1



 まさか、ふたたび公の場でこの名を名乗ることになるとは思わなかった。
 朱雀。
 忌まわしい、名前。
 一部の者には希望の名であったのだろうが、そのために流された血はあまりにも多い。愚かなことだ。為しえなかった夢を、生まれたばかりの赤子に託すなど。
 朱雀。犬に喰わせても惜しくないとさえ思ったこの名が、まがりなりにも戦を終わらせるのに役立つとは、なんという皮肉だろう。





 加煎が雲の国からの返書を携えて帰ってきた。
 先月、木の葉の国から文遣いの依頼を受けて、水面下で国境地帯の停戦交渉に当たっていたのだ。
「ご苦労サン。で、手応えは、どう」
 セキヤは訊いた。加煎は能面のような顔で、
「芳しくありませんね」
 と、言い捨てた。
「丞相はともかく、兵部が石頭ですから」
 加煎は雲の国の内部情報を探ってきたらしい。
 雲の国と木の葉の国は、慢性的な戦闘状態にある。表だって争っているわけではないが、属国をはさんでの小競り合いは絶えない。先年から森の国の利権を巡ってかなり際どい状況だったのだが、木の葉側が一定の譲歩を提示したため、雲の国としてはそれを受けざるを得ない仕儀と相成った。
 肉を切らせて骨を取る。木の葉の策略は明らかだったが、これを蹴れば、雲の国の対外的信頼が失墜することになる。
 対面をなによりも重んじる雲の国にとっては、木の葉の和解案に乗って、しばらくの時を稼ぐのが最善と思えた。が、軍を司る兵部尚書は首を縦に振らず、調停は不備に終わったらしい。
 国主の補佐をして政務を行なう丞相は門閥の貴族であったが、兵部尚書は地方出身の、いわば叩き上げ。なにかにつけて対抗意識を燃やしているものと思われた。
「なーんか、つけいる隙はないかねえ」
 セキヤが頭をかいた。加煎はちらりとそれを見て、
「ないこともないですが」
「……やだねえ。おまえがそういう物言いをするときって、ロクなことないんだもん」
「ご期待通りで申し訳ございません」
 にっこりと、加煎は笑った。
「兵部には、『朱雀』よりの書状が功を奏するかと」
 セキヤの顔が、色を失った。





 その日。
 木の葉の里では、上忍全員に火影からの召集がかかった。
「なんだろうな、急に」
 ナルトとサスケは、火影の館の広間にいた。ほかの上忍たちも続々と集まってきている。
「正装してこいということは、停戦協定が成立したな」
「どっちの方が?」
「たぶん雲の国だろう。カカシが帰ってきてないところをみると」
 カカシはいま、砂の国との国境地帯にいる。こちらも雲の国と同様、木の葉の国と慢性的な紛争が絶えず、カカシはもう半年ちかくも前線に行ったきりだ。
 いずれにしても、戦などないに越したことはない。和議が成ったのなら、めでたい話だ。
「待たせたのう」
 声とともに、火影が広間に現れた。上座に着いて、一同を見据える。
「詰めに手間取ってしもうてな」
「詰めといいますと」
 紅が口をはさんだ。
「西方の砦を返すかどうかということじゃ。あそこは置いておきたかったが、まあ、痛み分けじゃな」
 当初の予定より、譲歩したらしい。
 よっぽど口のうまいやつが来たのかな。それとも、火影の弱みでも握っているとか。
 事務局の古参の職員が調印の用意をしているのを見ながら、ナルトはそんなことを考えた。サスケは憮然としている。西方の砦には何回か行ったことがあるので、それを雲の国に取られるのが納得できないのかもしれない。
 準備が整い、火影は側仕えの中忍を近くに召した。
「朱雀どのを、これへ」
「承知」
 控えの間の扉がゆっくりと開かれた。奥には、すらりとした人影。
「え……」
 ナルトは目を見張った。
 二藍の長衣に肩垂れをつけた文官の正装で広間に入ってきたのは、かつてイルカを「黒髪さん」と呼んでいた、あの朱色の髪の男だった。




 しっかし、まあ、たかが砦ひとつで、ここまで時間がかかるとはねえ。ま、西方の砦は、オレにとっても思い出のあるとこだけど。
 セキヤは控えの間で、ため息をついた。
「……やめた方がいいよ」
 うしろで声がした。気をつけていなければ、聞き逃すほどの小さな声。
「なによ、刃」
「この部屋に入ってから、十四回目。うっとおしいったら」
 侍従の装束に身を包んだ刃が、ほとんど唇を動かさずに言った。
 加煎の仕込みはばっちりだな。セキヤは口の端を持ち上げた。
「だってさー、なにが悲しくて、こんな格好しなくちゃいけないのかと……」
「それは、おれもおんなじだよ」
 たしかに。
 雲の国の特使の侍者として、恥ずかしくないだけの立ち居振る舞いを身につけるために、刃はこの十日あまり、加煎に言葉遣いと礼法の特訓を受けた。もちろん、それまでにひと通りの礼儀作法は習得していたが、雲の国の宮中のしきたりは特殊だ。付け焼き刃でどこまでものになるか、加煎も半信半疑であったが、刃は寝る間も惜しんで儀礼全般の段取りと作法を覚えた。
 おかげで、セキヤはもう二週間ちかく、刃と床をともにしていない。
「んー。そうね。おまえの方がたいへんだわ」
 セキヤは刃に向き直って、微笑んだ。
「帰ったら、うーんと可愛がってあげるね」
 刃の顔が、途端に素に戻る。
「そんなこと、いま言うな」
「照れない照れない」
「仕事中だよ」
 ふたたび、侍者の顔を作る。
 切り替えが早い。セキヤは苦笑した。はいはい。仕事、ね。
 いままでの苦労を無にするわけにはいかない。そんなことは百も承知だ。
 広間へ続く扉が、ゆっくりと開いた。木の葉の中忍がこちらに礼をとっている。
「参る」
 セキヤは重々しくそう言って、立ち上がった。
「お供いたします」
 目を伏せたまま、刃は答えた。セキヤは長衣の裾をさらりと捌いて、戸口へ向かった。




 広間には、上忍のみが集められていると聞いた。
 木の葉の上忍。曲もの揃いで有名な、その面々をゆっくりと見遣る。
 新しい顔も何人かいる。ここも世代交代の時期なのかな。なんにしても、あの「写輪眼のカカシ」とお見合いしなくてよかったよ。砂の国のみなさんには気の毒だけど。
 つらつら考えながら、火影の横にすわる。
 その正面に、見知った顔があった。
 淡い金髪に、海のような碧い瞳。
 ここにいるのは、上忍だけのはず。ということは、あのヒヨコ頭、上忍になったんだ。
 セキヤはほんの少し、目を細めた。
 うまくいったんだねえ。あのあと。なんだか緊張してるみたいだけど、なにもこんなところであんなこと、ばらしたりしないよ。
 隣にいるのが「いいヒト」なのかな。すっごい顔でこっちをにらんでるけど。
 サスケって言ったっけ。二人とも上忍になったのねー。
 そこまで考えて、ふとある事実に気付く。
 ……サスケって、もしかして、あの「うちはサスケ」?
 セキヤは心の中で、深いため息をついた。
 また、とんでもないのに引っかかったねえ。まったく、黒髪さんといい、おまえといい。もうちっとマシなやつはいなかったのかよ。
「朱雀どの、どうかなされたか」
 火影が書類を差し出しつつ、言った。
 調印書である。セキヤは仕事モードに頭を切り替えた。
「いや、なにほどのこともござりませぬ」
 平然と答え、書面を確認する。
「よろしいかな」
 火影が念を押す。セキヤは重々しく頷いた。
「滞りなく御約定取り交わしましたる由、祝着至極に存じます」
 作法に従って、礼をする。火影もそれを受けて、
「いたみいる。くれぐれも丞相閣下によしなに」
「承りました」
 セキヤは調印書を文筥に納めて、立ち上がった。
「朱雀どの」
 火影が呼び止めた。
「お急ぎでなければ、一献いかがかな」
 和議が成った祝いに、杯を交わすのはよくあることだ。
「慎みまして」
 セキヤはふたたび席に着いた。うしろに控えていた刃が、横に来た。酒宴のあいだ、文筥を預かるつもりなのだろう。これも、作法通りだ。
 セキヤは文筥を卓に置いた。刃は着物の袖をたくしあげて、直に触れぬようにして筥を掲げ持った。踵を返し、流れるような足取りで退出する。
 見事な動作だった。セキヤは満足げに微笑んで、杯を手にした。




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