先へ続くもの
     byつう






ACT1



 浅春の光が、川面に乱反射している。
 イルカは目を細めて、それを見つめた。季節が流れていくのがわかる。それはすなわち、自分が生きているということ。
 景色のすべてが美しい。風の匂いも感触も、すべてが。
「せんせー、早く行こうってば」
 金髪の教え子が、前方で叫ぶ。
「はいはい」
 まったく、あいかわらずせっかちなやつだ。そう思いつつ、歩を進めようとしたとき。
 きらきらとした陽光を背に、緋色の髪の男が現れた。
 三カ月ばかり前に別れたときと同じ、楽しげな笑みを浮かべて。
「黒髪さん」
 よく通るきれいな声で、セキヤはイルカをそう呼んだ。





 三カ月前、イルカは任務の帰途に遭難し、カカシに助けられた。十日間、医療棟で治療を受けたのちにカカシの家に移り、そこで約四十日。
 凍死寸前だった体が元の状態に戻るのに、予想外に時間がかかった。カカシに言わせれば、「ちょっと目をはなせば文机に向かっていて、まったく療養になっいない」ということらしい。
 よく怒られたな。
 思い出すと、頬がゆるむ。
 敵のみならず、味方からも恐れられている「コピー忍者」のカカシが、まるで乳母か看護婦のように自分の世話を焼いてくれたのだ。アスマなどは、「これで一カ月は飲み放題だ」とご機嫌だった。カカシもそれについては異論をはさまなかったので、たぶんアスマの酒代を肩代わりしたのだろう。
 仕事に復帰して、一カ月あまりが過ぎた。当初は事務局やイルカの自宅にしょっちゅう顔を出していたカカシも、ようやく安心したのか、きのうから泊まりがけの任務に出ていた。
 帰りは一週間後ぐらいだろうか。砂の国の国境付近で小競り合いがあって、それを収拾するためと聞いている。
 カカシはどんな極秘の任務であっても、概要だけはイルカに告げていた。以前、隠密行動を取っていたときに、はからずもイルカを巻き込んで怪我を負わせてしまったから。
「無事のご帰還を、お待ちしています」
 そう言ってカカシを送り出したのは、きのうの未明のことだ。
 昨夜は夜勤だった。帰宅して床に入ったのは、五時ごろだったか。そして、いまは正午すぎ。洗面を終えて、着替えたところだ。
 なにか食べに行くかな。
 そんなことを考えていると、
「イルカせんせー! 起きてる?」
 ドンドンと、玄関の戸を叩く音がした。
「イルカ先生ってばー」
 ナルトだ。
「はいはい。いま開けるよ」
 扉の外には、金髪碧眼の少年が立っていた。
「どうしたんだ、ナルト」
「先生、ラーメン、食べに行こうよ」
「え?」
 いつもながら、唐突なやつだ。
「この前の出張のとき、帰ってきたらラーメンおごってくれるって言ってたじゃんかよー」
 たしかに、そうだ。あのあと雪山で遭難してしまい、その約束は果たされないままだった。イルカは苦笑した。
「わかったよ。『一楽』に行こうか」
「やったー」
 二人して、外に出る。
「でも、おまえ、どうしてもっと早く来なかったんだ?」
 イルカが自宅に戻ってきてから、もう一カ月ちかくたつ。
「だってよー」
 ナルトは唇をとがらせた。
「ずっといたじゃん。カカシ先生」
 そうか……。
 イルカはそっと、横にいる少年を見た。
 ナルトはナルトなりに、いろいろ考えたのだろう。あの男がここに足繁く通っているあいだは、来たくても来られなかったのかもしれない。
「ナルト……」
 声をかけようとした途端、ナルトは駆け出した。川沿いの道をどんどん走っていく。イルカはそのあとを、ゆっくりと追った。





 浅春の光が、川面に乱反射している。イルカは目を細めて、それを見つめた。
「せんせー、早く行こうってば」
 ナルトが前方で叫ぶ。
「はいはい」
 まったく、あいかわらずせっかちなやつだ。そう思いつつ、歩を進めようとしたとき。
 きらきらとした陽光を背に、緋色の髪の男が現れた。
「黒髪さん」
 よく通るきれいな声で、セキヤは言った。
 信じられなかった。なぜ、彼がここにいるのだ。まさか前回の任務がらみで、なにか不都合なことでも起こったのだろうか。
 イルカが思考回路全開で考えているところに、セキヤががばっと抱きついてきた。
「会いたかったよ、黒髪さん!」
 あまりにもセキヤらしいあいさつだ。飛びつかれた拍子に、二、三歩、あとずさる。
「イルカ先生になにすんだよっ!」
 前方を走っていたナルトが全速力でUターンしてきて、セキヤとイルカのあいだに割って入った。
「……だれよ、このヒヨコ頭」
 セキヤはナルトの頭をがっしりと押さえて、言った。
「おれの、教え子ですよ。なにかと問題児でしたけどね」
 苦笑しつつ、イルカはナルトを紹介した。
「ふーん。要するに、黒髪さんのコドモみたいなもん?」
「まあ、そうですね」
「おれは、うずまきナルトだよっ」
 ナルトはセキヤの手を払った。
「……へえ。名前だけはご立派ね」
 一瞬、声が冷める。
 セキヤは九尾のことを知っているのかもしれない。イルカはそう直感した。
「で、どっか行くの」
「いまから、イルカ先生にラーメンおごってもらうんだ」
 ナルトがあごを上げて、言う。なんとも自慢げな様子で。
「へえ。そりゃちょうどよかった。オレも腹減ってるのよー。行こ行こ」
 文句を言うナルトの背中を押して、セキヤはずんずんと道を進む。なにやら軽口を叩きながら、小突きあいながら先を行く二人を見ながら、イルカはゆるゆると歩いた。



「みそラーメン? なによ、それ。味噌っていったら味噌汁でしょーが。げっ、バターなんか入ってんの? よくそんなもん、食えるねえ」
「うるせえなあ。おれがなに食おうが、関係ねーだろっ。そっちこそ、なんだよ。大食い大会じゃねえんだぜ。んな、軒並み注文して、どうすんだよっ」
 セキヤとナルトが、「一楽」のカウンターでわめき合っている。
「いいじゃん、べつに。オレ、こーゆーとこでメシ食うのって、すっげえ久しぶりなんだからさー。好きなもん、食べさせてよね」
 セキヤはふだん、山深い村で自給自足の生活を送っている。町中で外食することはめったにないのは事実だろう。
「けっ。ラーメンも食えねえような生活してんのかよ。シケてやんの」
「ガキが偉そうに言うんじゃねえよっ」
 餃子を頬張りつつ、ナルトの頭をガツンと小突く。
「いってえなー。もう、イルカ先生、こいつ、なんとかしてよー」
「年上に向かって、こいつってか? もひとつ、おまけっ」
 ふたたびゴン、と拳が落ちる。
「痛いってばよー」
「自業自得だよん」
 しれっとして、ワンタンスープをすする。
 イルカは二人のやりとりを微笑ましく見つめた。この様子だと、セキヤはナルトを気に入ったらしい。
「もー、なんとか言ってよ、黒髪さん。このクソガキったらさあ」
「おれは、うずまきナルトだってば!」
「ふーんだ。礼儀もわきまえないようなガキの名前を呼ぶ義理はないねー」
 どうどうめぐりの不毛な会話を繰り返しつつも、セキヤは楽しそうだった。
 小一時間ののち。
 ずらりと並んだ皿や丼がすっかり空になった。
「ごちそうさまでしたーっ」
 セキヤは上機嫌で手を合わせ、
「もち、黒髪さんのおごりよね」
 にやり、と笑う。
「はあ?」
 イルカは目を見張った。
「だって、いろいろ手伝ってあげたじゃないのー」
 ……そういう問題だろうか。
「おっさん、ふざけんじゃねえよっ」
 ナルトが、がなる。セキヤはちろりとナルトを見下ろし、
「おっさん、じゃないよ。オレは『セキヤ』っつーの。……覚えときな」
 それまで威勢の良かったナルトが、一瞬ひるんだ。
 それはそうだろう。カカシに匹敵する力の持ち主なのだ。ナルトとて、無意識のうちにそれを感じ取ったに違いない。
 店を出てすぐに、イルカはナルトを帰らせた。
 セキヤがなんの目的もなくここまで来たとは、思えない。前の任務がらみでないにしても、なにか緊急の用件があるやもしれぬ。
「おれはこの人を、火影さまの館へ送っていかなければならないから」
 セキヤは火影の客である、と、さりげなく釘をさす。
 ナルトはしばらくイルカとセキヤを見比べていたが、やがてしぶしぶ、帰っていった。
「黒髪さんって、ほんとに先生してたのね」
 ナルトの姿が見えなくなってから、セキヤが言った。
「で……ああいうこと、教えてんの」
「え?」
「任務のためなら、カラダも使え、って」
 焦色の瞳がイルカを見遣る。
「まさか」
 言いながら、目を伏せる。
「そんなのは……おれだけで十分ですよ」
 過去の自分を思い起こしつつ、イルカは自嘲ぎみに笑った。




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