先へ続くもの
     byつう






ACT2



 ぞっとした。あの瞬間。
『オレはセキヤっつーの。……覚えときな』
 朱色の髪をした男は、そう言って刺すような視線を向けた。それまで軽口を叩いて、けらけら笑っていた男と同一人物だとはとても思えない。
 何者なんだ、あいつは。
 自宅までの道をとぼとぼと歩きながら、ナルトは考えた。
 イルカのことを、「黒髪さん」と呼んでいた。親しげな様子。イルカもあの男に心を許しているようだったが……。
 突然、ナルトは思い出した。
 あの目。
 イルカがセキヤを見るときの。
 それは、あのとき医療棟の一室で見た瞳とよく似ていた。カカシに注がれる、イルカのあたたかな視線。
 ナルトは混乱した。なんでだよ。なんで、あのおっさんが……。
 なんとなく、悔しい。しかし、それはおそらく自分が踏み込む範疇ではないのだろう。イルカとカカシがそうであるように。
 これは、サスケやサクラには言わない方がいいだろうな。
 めずらしく真剣に、ナルトはそう思った。





 火影の館までの道すがら、イルカはセキヤに事の次第をただした。
「なにか、あったんですか」
「なにかって?」
「このあいだの仕事のことで、まずいことでも起こったのかと……」
「またまた、『仕事』?」
 セキヤは口の端を持ち上げた。
「オレの顔見るたびに、お仕事の話するのはやめてよねー」
「すみません」
「ま、仕方ないけどさ」
 セキヤは頭をかいた。
「オレたち、お仕事以外で会ったこと、ないもんね」
 最初に会ったのは、イルカが十六歳のとき。国境の前線で捕虜になっていたのを助けられ、その後、ともに城攻めを決行した。あれから、もう八年か。
「だからさー」
 セキヤは立ち止まって、イルカの顔を覗き込んだ。
「今回は、お仕事抜きで遊びにきたのよ」
「え?」
「見たかったんだ。黒髪さんが、どんなふうに暮らしてるのか」
 ふだんのイルカが見たかった。こんなふうに、休日を過ごすイルカを。
 セキヤの気持ちが、イルカに伝わる。
「しあわせだっていうのは、わかってたけどね。だから、その、しあわせな姿を見たくてさー」
 川面を渡る風が、朱色の髪を揺らす。
「ほんとは、もっと早くに来たかったんだけど……黒髪さん、あいつんとこにいたでしょ」
 あいつ。すなわち、カカシのことか。
「……知ってたんですか」
「あいつが黒髪さんのこと、助けにきたのを見たからね。しっかし、まさか、あの『写輪眼のカカシ』が黒髪さんの『いいヒト』だなんてねえ。おれ、もう、ショックでさー。しばらく立ち直れなかったよん」
 セキヤとカカシは、六年前の任務のおりに対面している。セキヤとしては、自分と「相性サイアク」のカカシが、イルカとそういう関係になったのが信じられないのだろう。
 六年前、セキヤとイルカは地方の豪族暗殺のために行動をともにした。ほんの数日ではあったが、イルカはセキヤに心を許し、あと少しで最後の一線を越えるところまでいった。しかし、結局は体を繋ぐことはなく、二人は別れたのだ。
 あのころの自分は、ひどく不安定だったと思う。目の前のことしか見えなくて、本当に大切なものを見失っていた。
 いまなら、それがわかる。自分が目をそらしていたものが。傷つくことを怖れて、手をのばすことさえしなかった。ほんの少し勇気があれば、もっと満ち足りた日々を送れただろうに。
 そう。いまのように。
 イルカは考えた。いま、自分はカカシとともに歩いている。あの男の側にいて、あの男の体温を感じて。
 同じようなことが、六年前にもあった。セキヤの体温を感じて、心安んじて眠ったことが。
 どうして、あれを信じられなかったのだろう。セキヤがとなりにいるのを確認して、安心して眠りについたというのに。
 セキヤが自分に示してくれた気持ちが、あのころの自分には大き過ぎたのかもしれない。
「ほんと、こんなことなら、さっさとオレのものにしときゃよかったよ」
 冗談めかして、セキヤは愚痴った。
「……あなたのものでしたよ」
 ひっそりと、イルカは言った。
「へ?」
 セキヤの声が裏返る。
「あのときのおれは……あなたのものでした。ただ、応えられなかっただけで」
「どうしてよ」
 真剣な顔で、セキヤは訊いた。
「あなたはあまりにも強くて、あたたかくて……おれは、それが恐かったんです。二度とひとりで歩けないような気がして」
 言えなかった言葉。それがいまは、こんなにも滑らかに口からこぼれる。六年という年月を経て。
「……やっぱり、帰すんじゃなかったな」
 最後の夜を思い出しているのか、セキヤは顔を歪めた。イルカは歩きながら、セキヤの側に寄った。肩がわずかに触れるぐらいの距離に。
「でも、そのおかげで、いまがあるんです。おれを作ったのは……あなたですよ、セキヤ」
 心をこめて、イルカはその名を呼んだ。彼にとって「セキヤ」であることが、どれほど大切かわかっているから。
「反則だよ、黒髪さん」
 そう言いつつも、セキヤはこのうえもなく、うれしそうに笑った。






 火影の館が見えてきた。
 私用で来たのなら、表方を通さない方がいいのかもしれない。イルカはそう考えて、文庫へ通じる裏道にセキヤを案内した。
「へえ。こんなとこに入り口があったんだ」
「知らなかったんですか?」
 意外だった。火影と懇意にしている彼なら、館内のことはすでに熟知していると思っていたから。
 一瞬、まずかったかと思う。自分はこの男を信頼しているが、今後、火影とセキヤが敵対することがないとも言えないのだ。
 仕方がない。この抜道は近日中に廃止するよう進言しよう。それによって、自分が罰を受けることになっても、憂いを残すわけにはいかない。
「ごめんね」
 セキヤが心底、すまなそうに言った。
「余計な心配、させちゃったね」
 さすがに察しがいい。イルカは小さく笑った。
「いいんですよ。これは、おれの責任ですから」
「そういう潔いとこも好きだよ」
 さらりと、言う。
 変わらぬ思いが伝わってくる。イルカはうれしかった。この男と出会えたことが。様々な苦しみの果てに、いままた、この男と向かい合えることが。
 隧道を抜けて、文庫の横の庭に出た。
 梅の花が、心地よい香りを放っている。早咲きの寒紅梅はすでに散りはじめていたが、淡い色の鶯宿や、あるいは早緑色の緑萼といった種類は、いまを盛りと咲いていた。
「へえ、これ、めずらしいねえ」
 セキヤは緑萼の木を見上げて、言った。
 この梅は、その名のごとく萼が薄い緑色で、全体が萌葱にけむって見える。香りの点では寒紅梅に一歩譲るが、凛とした姿はなんとも清々しい。
「一本、もらってってもいいかな」
「さあ、それは……。火影さまに伺ってみなくては」
「固いこと、言わないでよー」
 拗ねたように、口をとがらせる。
「この庭は、火影さまのものですから」
 困ったように笑って、イルカは言った。セキヤはため息をつきながら、
「そうだねー。ヒトのもん、勝手に獲っちゃダメよね」
 くるりと踵を返す。
「あー、でも、来てよかったよ」
 大きく伸びをして、セキヤは空を仰いだ。ちらりとイルカ見遣って、続ける。
「さよなら、かな」
 ほんの少し、寂しそうな顔。
「……いいえ」
 イルカは微笑した。
「また、いつか会いましょう」
「約束はできないんじゃなかったの」
「約束じゃありません。……希望です」
 きっぱりと、イルカは言った。
「希望、ね」
 セキヤはにんまりと笑った。イルカの肩を、ぽん、とひとつ叩く。
「じゃ、またねー」
 ひらひらと手を振って、朱髪の男は文庫への階段を上っていった。



 そうだ。これは約束ではない。しかし、望む心に偽りはない。
 また会いましょう。きっと。
 心の中で、イルカはその言葉を繰り返した。



(了)


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