夏草   byつう






ACT4



 セキヤが刃を連れて帰ってきてから、一カ月が過ぎた。今朝も、集会所は賑やかだ。
「こら、ジン! てめえ、俺の皿にジャガイモ一個少なくよそっただろ!」
 色黒の男ががなる。
「やっかましいっ。どれがだれのかなんて、わかるかよ!」
 菜箸片手に、刃が叫ぶ。
「芋ぐらいで、騒がないでよねー。オレ、寝不足なのよ」
 セキヤが加煎から薬湯をもらいながら、言う。刃がそれを聞いて、つかつかとセキヤの席にやってきた。
「どしたの」
「芋、もらうよ」
 さっとひとつ、菜箸でつまむ。
「え、なんでよー」
「おっさんが、うるせえんだよ」
 刃は文句を言っていた男の皿に、芋を足した。
「これでいいだろ」
「お、悪いねえ」
 途端に、口調が変わる。
「これだから、ジンが厨当番のときはいいんだよなあ」
「ちょっとー。どうして、オレんとこから取っていくのよ」
 薬湯を手に、セキヤが言った。
「寝不足で、食欲、ないんだろ」
 じろりと、刃がにらむ。加煎がくすくすと笑った。
「あなたが寝不足ということは、あの子はもっと寝不足のはずですからねえ」
 厨当番は、みんなより一時間は早く起きなければならない。
 刃にしてみれば、自分は当番のあと、礼法の講義を受けて写経をやって、さらに護身術の稽古もある。朝食の直前まで眠っていたセキヤに、ほんの少し意趣返しをしたくなったとしても、不思議ではなかろう。
「いやに理解あるのね」
 むっつりとして、セキヤは薬湯を飲んだ。
「醍醐だって、あいつらだって、やたら刃の肩もってさあ。なんか、オレって、悪者?」
「あなたが、独り占めしすぎるからですよ」
「なによー。いいじゃん。刃はオレのものなんだから」
「あの人のときも、そうでしたね」
 加煎が切れ長の目を伏せた。セキヤの顔が、ふっと和む。
「……うん。そうだね。みんな、黒髪さんのこと、大好きだった」
 思い出は美しい。やさしくて、あたたかい。
 いまはいない、東依やほかの仲間たち。あいつらは、向こうで黒髪さんと会えたのかな。だとしたら、ちょっとうらやましい。黒髪さん、オレのこと、なんて言ってるかな。
『おれを作ったのは……あなたですよ、セキヤ』
 微笑みが蘇る。声さえも、はっきりと。
「ほんとに、食べないの」
 現実の声。セキヤは顔を上げた。刃が盆を持って立っている。
「残すんだったら、みんなで分けてもいい?」
 まったく、たくましい。セキヤは小さく笑った。
「分けるったって、たいしてないじゃん」
「芋はおっさんで、がんもどきは醍醐。で、鳥肉は、おれがもらうの」
 もう話はついているらしい。
「いいよ。持ってけば?」
「ありがと」
 皿を盆に乗せていく。早速、醍醐が箸をのばして、がんもどきを口に放りこんだ。
「醍醐は、あの子が可愛くて仕方ないみたいですねえ」
「ふふん。最初は、可愛げのねえやつ、なんて言ってたのにね」
 すっかりみんなに溶け込んだ刃の姿を追いつつ、セキヤは薬湯を飲み干した。





 市に買い出しに行くと言って、セキヤが何人かとともに山を下りた。
 加煎は書庫で、刃に礼法を教えていた。雲の国の宮中作法をもとにしたもので、これは木の葉の国でも岩の国でも励行されている。
「歩き方は、直線が基本です。曲がる場合も、直角に」
 足の運びを実際にしてみせる。
「これを頭で考えなくてもできるようにしてください」
「足、もつれそうだな」
「歩幅が広すぎます。歩幅と肩幅は、ほぼ同じぐらいと覚えておきなさい」
「肩幅、ね。……こんなもん?」
「まあ、いいでしょう。角まで行ったら、反対側の足を引いて体の向きを変える、と……違いますよ。逆です」
 混乱したのか、刃は自分で自分の足につまずいて、ひざをついてしまった。
「ったく、じゃまくせえなー」
 頭を振りながら、愚痴る。横に、加煎が立った。
「え……」
 刃の一瞬、目を見開いた。
「あれ、なんか、いま……」
 手を、左の首筋にやる。
「どうしました?」
「やぶ蚊にでも刺されたかな」
「まだ時間は早いんですけどね。蚊遣り火を点けておきますか」
「おれ、刺されやすいから……」
 立ち上がろうとして、刃はがっくりとひざを折った。
「は……あ……」
 息が上がりはじめた。加煎はその様子を、冷ややかな目で見下ろした。
 刃は自分の体を抱いて、がくがくと震えた。顔は上気し、唇はなにか言いたげにわなないている。
「苦しいですか」
 美しい笑み。刃は、ぎろりと加煎をにらんだ。
「なに……したんだよ……」
「ちょっと、薬をね」
「く……すり……?」
「そう。熱いでしょう? あなたの、中が」
 加煎はそっと、刃の頬に触れた。
「助けてほしいですか」
「……なんで、こんな……」
 刃は顔をそむけた。ぐっと自分の腕を掴み、耐えている。
「すごく、いいんですってね」
 加煎の唇が、刃の耳たぶに触れた。
「そろそろ、私にもくださいよ」
「ばか……やろう……」
 刃は必死に体を引いた。
「おれは、セキヤの……」
「モノですね。私も、そうです」
 刃の体が、びくりと震える。
「はじめて会ったとき、私はセキヤに言われました。『オレのもんになれよ』って」
「……そんな、こと……」
「あなたぐらいのときでしたかねえ。で、私はセキヤのものになった」
 加煎は刃の首に舌を這わせた。先刻、針で刺したあたりを丹念に舐める。
 刃はかぶりを振った。唇に血がにじむ。
「意地を張らなくてもいいじゃないですか。このままじゃ、つらいでしょ」
 加煎の手が下肢にのびる。上から触れただけで、刃は体を強ばらせた。
「よくして、あげますよ。私にまかせてくれれば」
「いや……だ……」
「こんなになってるのに?」
 指に力がこもる。
「や……めろっ!」
 刃は、加煎を突き飛ばした。反動で、机の角にぶつかる。上から、書物や筆がばらばらと落ちた。
「まだ、そんなに動けるんですか」
 加煎は感心したように、言った。ふたたび近づこうとして、足を止める。
「……来るな」
 刃は、小刀を握っていた。机の上にあったものが、落ちたらしい。加煎は小さく笑った。
「そんなものを持って……危ないですよ」
「うるせえっ」
 吐き捨てるように言って、刃は自分の腕に小刀を突き立てた。
「……!」
 苦痛に顔が歪む。ぼたぼたと、床に血がしたたった。
 加煎は、その様子をじっと見つめていた。刃はゆっくりと息を整えて、壁にもたれながら、なんとか立ち上がった。
「……人のもんに、手を出すんじゃねえよ」
 口調は、かなりはっきりしている。自らつけた傷の痛みで、薬の影響を逃れようとしたのか。
 見事だ。加煎は思った。刃に向かって、丁寧に一礼する。
「御意」
 刃は眉をひそめた。加煎の真意を計りかねているらしい。
「手当をしましょう」
 加煎は薬籠を机の上に置いた。丸薬を出して、刃に渡す。
「さきほどの薬の、解毒剤です」
「それを、信じろって?」
「強制はできませんね」
 さらりと、言う。
「……もらっとく」
 刃は丸薬を受け取り、椅子に腰掛けた。
「なんで、こんなことしたんだよ」
「あなたを試しただけですよ」
「どうして、いまごろ……」
「いまだから、です」
 傷の消毒をしながら、加煎は言った。
「ここに慣れて、セキヤにも慣れて、そろそろ増長してくるころかと思ったものですから」
「だから?」
「ちょっとつつけば、だれとでも寝るかと思いましてね」
「……おれが、ああいう商売してたから?」
「それもあります」
 刃は、下を向いた。唇が震えている。
 言いすぎたか。
 加煎は目を伏せた。黙々と、包帯を巻く。
 手当を終えたあと、加煎は薬籠を持って書庫を出た。刃はそのままの姿勢で、机の前にすわっていた。
 午後の予定はどうなることか。あれでは護身術の訓練などできそうにないが。
 否。
 行くかもしれない。刃なら。
 加煎はそんなことを考えながら、木漏れ日の中を歩いた。



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