夏草   byつう






ACT5



 加煎の予想通り、刃は午後、醍醐に護身術の指南を受けた。もっとも、途中で刃の異状に気づいた醍醐が、予定の半分にも満たない段階で訓練を打ち切ったのだが。
「たいしたもんだぜ」
 醍醐は言った。
「傷口が開くまで、俺に気づかせなかったんだから」
 セキヤはそれを聞いて、刃に事の次第を糾した。
「なにがあった」
 常とは違う、低い声。刃はセキヤの前に跪座していた。
「言えないのか」
 セキヤは刃を見下ろした。
「言えないようなこと、したわけ?」
「違う」
 きっぱりと、刃は言った。
「それなら、ちゃんと言いな」
 セキヤは刃の顔を覗き込んだ。
「なにが、あった」
 ふたたび、問う。刃はセキヤの目をまっすぐに見た。
「告げ口は嫌だ」
「告げ口と、事実の報告は違う」
 セキヤは刃のあごを持ち上げた。
「だれかを貶めようとする意図をもって為されるのが『告げ口』。そーゆーのは反吐が出るほどきらいだけどね。『報告』は必要なんだ。オレは、仲間のことを全部、知ってなくちゃいけないんだから」
 自分には責任がある。ここにいる者たちにも、余所で働いている者たちにも。
「オレは、事実が知りたい」
 刃の黒い瞳が、セキヤを食い入るように見つめた。
「……わかった」
 刃は言った。そして、事実を語った。





 加煎は私室で、長歌を詠んでいた。古歌を真似た戯れ歌のように。
「なに悠長なことしてる」
 醍醐は武具をつけたままの姿で、戸口に立った。
「おまえ、またとんでもないこと、やったな」
「今度こそ、地獄行きでしょうかねえ」
 醍醐の装束を見て、加煎は言った。
「やりすぎだよ。おまえは」
「仕方ないですね。私は、セキヤがいちばん大事ですから」
「俺だって、そうだよ」
「違いますね。あなたは、セキヤが大切に思っているものはすべて受け入れられる。でも、私は……」
「加煎……」
「セキヤのためにならぬものなら、どんなことがあっても切り捨てます」
 断固とした意志。それは昔から変わらない。
「それで、あいつをあんな方法で試したのか」
 醍醐は眉をひそめた。
「いちばん、わかりやすいと思ったんですけどねえ」
 ため息まじりに、言う。
「で、玉砕してちゃ、意味ねえだろ」
「お説の通りです」
 加煎は苦笑した。
「セキヤが、呼んでる」
「わかってます」
「万一のときは……」
「それも、わかってますよ」
 自分はセキヤのものだ。あの日から、二十年ちかくも生き長らえた。このうえ、なんの望みがあろう。
「行きましょうか」
 穏やかな顔で、加煎は言った。醍醐は無言で頷いた。





 牀の幕が開いていた。
 セキヤは牀の上に胡座して、加煎を見据えた。
「言い訳があるなら、聞いてやるよ」
 いつぞやと同じように、セキヤは言った。
「ありません」
「神妙だね」
「僭越でした」
「ほんとに、思いっきり、僭越だったね」
 セキヤは牀から下りた。手には小刀。
「自分でやる? それとも、オレがやろうか」
「セキヤ!」
 醍醐がしぼりだすような声を上げた。
「……そこまでする必要があるのか」
「人のものに、手を出したんだ。落とし前はつけてもらわないとね」
 小刀を差し出す。
「どうする、加煎?」
 うっすらと、笑う。感情を凍りつかせたような焦色の瞳。
 加煎の手がのびた。小刀を掴む。
「ここで、よろしいですか」
「なにが」
「部屋を……汚してしまいますが」
「あとで醍醐に掃除してもらうよ」
 醍醐が露骨に嫌な顔をした。それはそうだろう。粛清された仲間の骸を片付けるのは、楽しい仕事ではない。
 加煎は長衣の裾をきっちりと合わせて、床に座した。小刀の鞘を取る。
 セキヤはそれを、じっと見ていた。まばたきすらせずに。
 見届けてくださいね。私が、あなたのものだということを。
 加煎はゆっくりと息を吸い込んで、止めた。
 柄を握る手に、力をこめる。





 切っ先をのどに突き刺そうとしたとき、いきなり手首を強い力でひねり上げられた。はずみで小刀が床に落ちる。加煎は乱暴に横に投げられた。
「はい、そこまで」
 セキヤがにんまりと笑って、手を叩いた。醍醐は目を丸くしている。加煎はなにがどうなったのか、まだ把握していないようだった。
「ふたりとも、合格だよん」
 いつもの口調で、セキヤは言った。
「合格って、おまえ……」
 醍醐は口をぱくぱくさせている。
「始末するんじゃなかったのか?」
「オレがいつ、んなこと言ったのよ」
「さっき、俺に掃除させるって……」
「だって、おまえ今日、掃除当番じゃん」
 醍醐はがっくりと、肩を落とした。
「勘弁してくれよ」
 海よりも深いため息をつく。
「……狂言だったんですか」
 加煎がぼそりと言った。
「違うよー。もし、おまえが下手な弁解のひとつも言ったら、ほんとに殺すつもりだったんだけどね。醍醐にしたって、情に流されておまえを庇うようなら、今後、ちょっと考えさせてもらおうかなー、って」
「げっ……俺、危なかったわけ?」
 おそるおそる、醍醐が訊く。
「そうだねー。あと一歩ってとこだったね」
 くすくすと、セキヤは笑った。
「さーて、そろそろ晩飯、できてるかな。しっかり食べなくっちゃねー」
 両手を上げて、伸びをひとつ。
「なんたって、今夜は刃を慰めてあげなきゃいけないし」
「……怪我してるんだぜ?」
 醍醐が口をはさむ。
「それがなによ」
「いや、だから、怪我人相手に無茶はしない方が……」
「縛っていたぶって、鞭の跡を舐めながらやるのが好きなやつに言われたくないねー」
 ぐっと詰まる。事実だから、反論できない。
 そのとき、房の外から声がした。
「夕飯の用意ができたよ」
 刃だ。セキヤは扉を開けた。
「話、もう終わった?」
 ぶっきらぼうに、刃は言った。
「うん。だいたいね。……それ、なによ」
 セキヤは刃の手元を見た。籐籠の中に、干し芋や果物や酒が入っている。
「見舞いだって」
「へえー、あいつらがこんな洒落たマネするとはねえ」
 セキヤは可笑しそうに笑って、籠を受け取った。





 集会所では、みんなが思い思いに酒を飲んでいた。今日、市に行ったばかりなので、食材も酒も豊富にある。刃は朝と同じく、菜箸片手に給仕をしていた。
「おーい、ジン。こっちに肉、もう少し」
「酒、足らねえぞ」
「茄子の煮浸し、まだあるかあ?」
 あちこちから声がかかる。刃は文句を言いながらも、てきぱきと働いた。
「いい子だよな」
 醍醐が言った。
「可愛げはねえけどよ」
「かわいいよー。すっごく」
 セキヤが力説する。
「へいへい。ごちそうさま」
 なげやりな相槌を打つ。
「セキヤ」
 ひっそりと、加煎が言った。
「んー。なに?」
「刃の教育のことですが」
「うん」
「だれか、ほかの者に頼んでください」
「どうしてよ」
 セキヤは眉をひそめた。
「私は、あの子を傷つけてしまいました」
「あれは自分で刺したんでしょ」
「そうではなくて……心の方です」
「心?」
「だれとでも寝るかと思った、と……」
「言ったの」
「はい」
 加煎は下を向いた。セキヤは無言のまま、杯を口に運んだ。
 重々しい沈黙。やがて、セキヤは杯を膳に置いた。
「ばかだねえ」
 寂しそうに、言う。
「長い付き合いなんだからさ。もうちっと、オレを信用してよ」
「え……」
「刃がそんなやつだったら、最初っからみんなにあげちゃってるよ」
 そうなのだ。そういうことは以前にもあった。
「すみません」
 素直に、加煎は答えた。
 セキヤはふたたび、杯を取った。
「あしたから、またお願いね」
「……いいんですか」
「愚問だね」
 セキヤは、加煎の目の前に杯を掲げた。醍醐がそれに倣う。
 加煎も自分の杯を、同じ高さに上げた。
「新しい仲間に」
「そして、古い仲間に」
 三人は、杯を合わせた。



(了)



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