夏草   byつう






ACT3



 翌朝。
 加煎はセキヤから刃を託された。集会所に向かう道すがら、一日の予定を説明する。
「基本的には、午前中は書庫で読み書きと作法、午後は外で鍛練をしてもらいます。厨などの当番については、あしたから。あとで当番表を渡しますからね。わからないことがあったら、その場で訊いてください」
「ひとつ、訊きたいんだけど」
「なんです?」
「あんた、いっつもそういう話し方なの」
「どういう意味です」
「やたらと丁寧だと思って」
「もっと砕けた方がいいなら、そうしますよ」
「できるの」
「できますよ。でも、まあ、やめておきましょう。あなたはセキヤのものですからね」
 刃は首をかしげている。それとこれと、どんな関係があるのかと思っているのだろう。加煎は心の中で苦笑した。
 仲間たちはこの子をどう見るだろう。セキヤのものだから拒絶はしないにしても、「黒髪さん」のときのように、無条件で受け入れることはあるまい。
 あの人には、人を引き寄せるなにかがあった。側にいたいと思わせる、なにかが。
 はじめて会ったのは、たしかこの子と同じぐらいの年だった。皆に囲まれて、少し困ったように笑っていた。自分が「戦利品」として取り合いの的になっていたというのに、なんの不安もないように、ただすわっていた。
 あのときはまだ、セキヤとのあいだに明確な絆はなかったと思う。それでも、彼はセキヤにおのれを預けていた。それが最善の方法であると信じたのだろう。
 聡明な人だった。セキヤの「宝物」。いまでも、それは変わらないはずだ。
 朝食前の集会所。
 加煎は刃を仲間に引き合わせた。
「ひゃー、とうとうセキヤも、オトコ囲うようになったかい」
 強面の男が、大袈裟に手を広げて言った。
「だよなあ。いままでは、外遊びばっかりだったのに」
「ま、ときどき、さらってきたやつ、つまみ食いしてたけど」
「あれは、おやつだろ。こいつはずーっとここにいることになるんだから、主食じゃんか」
「ずいぶん、まずそうな主食だな」
 色黒の男が呟いた。刃は、憮然としている。
「こんなのの、どこがいいんだか」
「趣味が変わったのかな」
「いや、とことん遊びつくしたから、こういうのが新鮮なのかも」
 皆、めちゃくちゃなことを言っている。加煎は予想通りの反応に、扇で口もとを隠して笑った。
「まあ、セキヤのもんだから、俺たちが口出しするこたぁないか」
「そうそう。足手まといにさえ、ならなきゃな」
 男たちの視線を、刃は真っ向から受けた。なめられたら、終わりだ。そんな強い意志が感じられる。加煎は頃合いを見て、扇を鳴らした。
「あしたから、この子も当番に入りますからね。仕事を教えてやってくださいよ。足手まといにならないように、ね」
「わかってるよ。覚えが悪かったら、二、三発ぶん殴ってもいいかい」
 と、強面。
「平手にしてくださいね。痣なんか作ったら、セキヤに殺されますよ」
「よっしゃ。わからねえように、うまくやる」
 当たり前のように、空恐ろしい会話が続く。刃はまじまじと、加煎と男たちを見比べた。
「で、こいつの名前は?」
「ああ、そうでしたね。『刃』と書いて、『ジン』です」
「そりゃまた、勇ましい名前だな」
「縁起でもねえ。セキヤ、寝首かかれやしねえか」
 色黒の男が呟く。
「ふざけんじゃねえっ!」
 集会所に、怒声が響いた。
 一同は、一瞬、だれがその声を発したのかわからないようだった。
「おい、おっさん!」
 刃は、つかつかと色黒の男に近づいて、眼を飛ばした。
「縁起でもないだって? 勝手なこと抜かすんじゃねえよ。セキヤはおれの名前を気に入ってんだよ。かっこいいって言ってくれたんだ。てめえがとやかく言うこっちゃねえ!」
 一気にまくしたてる。
「だいだい、寝首かくなら、とっくの昔にやってるよっ。いっつも倒れるまで……」
 はっとして、口をつぐむ。
 加煎はため息をついて、ふたたび扇を広げた。直後。
 集会所は爆笑の渦となった。男たちは、げらげらと笑いながら、互いの腕や肩を叩き合っている。
「いやあ、こりゃたまんねえな」
「セキヤのやつ、倒れるまでやってるってか? 元気だねえ」
「若い子相手なもんだから、張り切っちゃって」
「まあ、結構なことじゃねえか。セキヤが楽しけりゃ、俺たちも楽しいっつーことで」
 刃は奥歯を噛み締めて、横を向いている。
 初対面にしては散々だったが、とりあえず、皆に受け入れられたようだ。加煎は刃を促して、集会所を出た。





 さわやかな風が、書庫に吹き込んでいる。流麗な朗詠のあとに、たどたどしい朗読が続く。
 ピシャリ、と、物差しが机に打ち下ろされた。
「発音が悪い」
 机の横に、加煎が立った。刃は唇を結んで、顔を上げた。
「さっきも言ったでしょう。語尾がくぐもると、せっかくの朗詠が台無しです」
「こんな昔のもん読んで、なんの役に立つんだよ」
「言葉というものは、脈脈と続いているものです。それに古典は、重要な教養のひとつですよ」
「意味、わかんねえけど」
「読書百遍、意自ずから通ず、です」
「こんなことより、字、教えてくれない?」
「それはあとで、やります」
 加煎は経文をどさっと机の上に置いた。
「全巻、写経してもらいますからね」
 一重の目を細めて、言い渡す。気迫が通じたのか、刃はふたたび、書物に目を戻した。





 醍醐は刃の背中を木刀でつつきながら、山を登っていた。
「一刻のうちに、頂上まで行くって言っただろうが。なにちんたらちんたら、やってんだよ。まだ半分も来てねえぞ」
「うるせえな。自分の基準でもの言うんじゃねえよ、クソおやじ」
「だれがクソおやじだよ。そんな減らず口たたく元気があるなら、とっとと歩きやがれ」
 刃の背中が、ぐいぐいと木刀で押される。
「いてえじゃんかー」
「もっと痛い目に遭いたいか?」
 刃はじろりと醍醐をにらんだが、あとは無言で登り続けた。





「あらまあ、ずいぶんぼろぼろになっちゃって」
 夜。房に戻ってきた刃を見て、セキヤは面白そうに言った。
 目の下には隈ができているし、ところどころ服も破けている。唇の色も悪い。
「まさか、醍醐にやられちゃったんじゃないだろうね」
 目がくりっとしていて色白、というところは、醍醐の好みなのだ。
「……だったら、もっと元気だよ」
「あ、そりゃそうか」
 納得する。
 なにしろ、刃は体を売って生活していたのだ。房事であれば、たとえ何回か繰り返したとて、それほどダメージは受けまい。
「初日から、ずいぶんハードだったのね。なにやったの」
「昼までが、わけのわからない古詩の暗唱百回と写経一巻で、昼からは向かいの山の天辺まで往復したあとに、滝に投げ込まれた」
 なるほど。それで髪が湿っているのか。
「冷たかったでしょ」
「心臓、止まるかと思ったよ」
「風呂は?」
「ほかのやつが入ってたから」
「ふーん。じゃ、あとでオレと入ろっか」
 セキヤは刃の手をとって、牀に導いた。
「それまでは、こっちね」
「こっちって……」
 刃は言葉を濁らせた。下を向いて、なにか考えている。
 きのうの今日だから、戸惑っているのだろうか。宿では、毎日客を取っていただろうに。
「嫌なの」
 ひっそりと、問う。
 セキヤは刃の返事を待った。相当、疲れているはずだ。そんなことはわかっている。だからこそ、誘っているのだ。
 ここの生活は甘くない。初日から泣き言を言うようなら、いまからでも醍醐たちに払い下げてもいい。この体だ。みんな、大喜びするだろう。
「刃?」
 最後通牒。これで来なけりゃ、アウトだよ。
「わかった」
 下を向いたまま牀にすわる。衣服をするりと床に落として、視線を上げた。
「体、冷えてるけど、いい?」
 セキヤは目を見張った。そのことを気にしていたのか。
「まったくもう、かわいいんだからー」
 力まかせに抱きしめる。
「なんだよ、急に……」
 むすっとして、顔をそむける。目尻がかすかに、赤い。
「ほんとに冷えてるねえ」
 まだ初夏だ。山の上の水は冷たい。その中に放りこまれて、岸まで泳がされたのだ。早く温めないと風邪をひくかもしれない。
「んじゃ、あったかくなること、しようね」
 セキヤは刃に口付けて、ゆっくりと牀に倒した。





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