回帰 byつう
ACT2
男たちのイビキや歯ぎしりの音が、不協和音となって流れる。
ひと通り片付けを終えたイルカが房に引き上げたあと、醍醐と加煎はしばらく無言で飲み直しをした。
二人ともうわばみである。とくに加煎は、ほとんどの薬や毒に体を慣らしているため、酒を飲んでも酔うことはない。
「何年になるかな」
ぼそりと醍醐が言った。
「北御門の一件から」
「もうすぐ六年ですよ」
「そんなになるか。俺たちが年をとるはずだね」
実際より年上に見られることの多い醍醐は、ことさら年寄りじみた物言いをした。くすり、と加煎が笑う。
「ずいぶん、変わりましたね。あの人は」
「坊やのことかい」
「ええ。昔は、よくできた仕掛け人形のようなところがありましたが」
「仕掛け人形か。たしかにな」
醍醐は息を吐いた。
「それも面白かったけどな。城攻めのときも北御門のときも」
「そうですね。あの人はいつも、私たちを楽しませてくれましたから」
かつての仕事を思い出しながら、二人は話を続けた。
「ま、今度は俺たちの出番はなさそうだな」
「純粋に、情報操作だけですからねえ。せいぜい、身元がばれたときに相手を始末するぐらいのもので、荒事にはならないでしょう」
「……それを荒事って言わないおまえの神経を疑うよ」
「刺客を一晩かかって殺すあなたに、言われたくないですね」
切れ長の目を細めて、醍醐を見遣る。
「あれは、ちいとばかり腹に据えかねることがあってな」
さんざん「朱雀」を利用していた雲の国の豪族が、あろうことか霧の国と通じて「朱雀」を消しにかかった。次々と送り込まれる刺客に業を煮やした醍醐が、凄惨な仕打ちをした刺客の骸を、その豪族の寝所に届けたのだった。
後日、その豪族の病死が伝えられた。実際は乱心した挙げ句に家臣に弑逆されたらしい。
「肝っ玉の小さいやつ」
その知らせを聞いたセキヤの感想である。
「刺客を送るなら、自分も刺客を送られるって思わなくっちゃねー」
その通りである。なにしろ、自分たちは皆、地獄に堕ちる覚悟で生きているのだから。
「そろそろ、活動を再開しようかと思っていましたから、ちょうどいい腕慣らしになるんじゃないですか?」
「まあな。西方の砦には坊やが行くだろうけど、東雲の里はこいつらにやらせりゃいい。さんざん飲み食いしたんだから、働いてもらわにゃ」
醍醐は高イビキをかいている男たちを、あごで指した。
「でも、セキヤは悔しいでしょうねえ」
加煎が苦笑いをして、言った。
「ん? なんでだよ」
「わかりませんか? あの人は……もう、セキヤのものじゃない」
声を落とす。だれかが、起きているかもしれないから。
醍醐はぐっと、杯をあおった。
「……だろうな。けど、あいつがそれを悔しがっているとは思えんな」
「ほう。なぜです」
「坊やが選んだんだ。あいつが、それを否定すると思うか」
「思いませんね」
「だったら……」
「頭ではわかっていても、体はどうでしょうか」
冷ややかに、加煎は言った。
「だから、部屋を別にしたんじゃないですか?」
すぐ横にイルカの体温を感じながら、なにもせずに眠る自信がなかったから。
「明日もこの状態だと、少しまずいことになりますね」
加煎は扇を広げて、ゆらゆらと動かした。
セキヤとイルカは、ずっと牀をともにしてきた。その二人が別の房にいると皆が知れば、なにかしらの不信感を抱く者も出てくるだろう。
そんな疑いを持ったまま、彼らが東雲の里に行ってうまく工作活動をしてくれるだろうか。
セキヤを慕って、集まってきた者たちだ。皆、セキヤのことを第一に考えている。「黒髪さん」はセキヤのもの。だから、「黒髪さん」のために働く。それが、いままでのスタンスだったのだから。
「おまえ……坊やになにか、するつもりか」
醍醐は訊いた。加煎は、にっこりと笑った。
「『仕事』をしてもらうだけですよ」
「……殺されるぞ」
「あの人は馬鹿じゃないですよ。今回の仕事に『必要』であれば、ちゃんとやってくれます」
「それで、セキヤが喜ぶと思うのか!」
醍醐は加煎の襟元を掴んだ。
「私はね、セキヤがいちばん、大事なんです」
平然と、加煎は言った。
「セキヤが仲間に、ほんの少しでも疑いの目を向けられるのは我慢できないんですよ」
醍醐は手をはなした。
「だからって、なにも坊やに……」
「甘いですねえ。……いや、甘くなったんですかね」
加煎は襟元を整えながら、言った。
「セキヤを『知って』しまったから」
「……きさま!」
怒気を含んだ声。
加煎はその場から飛びのいた。直後、杯を乗せていた膳が砕け散る。
「おお、恐い。やめてくださいよ。ここで内輪もめをしても仕方ないでしょう」
醍醐は拳を握り締めた。
たしかに、醍醐はセキヤを「知って」しまった。自分の腕の中で乱れ、おのれを解放していく彼を。
「あなただって、セキヤがいちばん大切なはずでしょう。だったら、あの人にセキヤを守ってもらったっていいじゃありませんか」
道理だった。加煎の言葉に、異議をはさむ余地はない。しかし、どうしても考えてしまうのだ。セキヤがどれほどイルカを想っているのかを。
加煎の意見を、セキヤが聞き入れるとはとても思えない。だからこそ、加煎もイルカにそれを頼もうと思っているのだろう。
「……ばれたら、まじで命ないぜ」
「わかってますよ」
加煎は、こともなげに言った。
空が白々と色を変えるころ。加煎はイルカの房に忍んでいった。
鍵はかかっていない。
やっぱり、ね。思わず、笑みが漏れる。
あの人らしいこと。セキヤを信頼している証として、あえて施錠しなかったのだろう。もっとも、ここの鍵など数秒で開けられるが。
加煎は房の中に入り、幕に覆われた牀に近づいた。もう気づいているかもしれない。いきなり小柄を突きつけられても困るので、一応、声をかけるか。
そう思ったときに、背後からのどを掴まれた。
「……!」
目の前に、小柄。
「なんか言い訳があるなら、聞いてあげてもいいよん」
セキヤだった。
「……いたんですか」
まったく気配は感じなかった。
「あったりまえでしょ。黒髪さんは、オレのものなんだから」
「本当に?」
加煎は小柄の切っ先を見つめながら、言った。
「どういうことよ」
「この人は……もうあなたのものじゃない」
「それが、言い訳?」
セキヤの声が変わった。加煎は咄嗟に身をかがめ、横に跳んだ。
「ふざけんなよっ」
声とともに、小柄が空を切る。加煎の長衣の袖が、壁に張り付けられた。
来る。
加煎は素早く上衣を脱いで、二本目の小柄をよけた。態勢を崩して戸口に倒れる。その上に、セキヤは馬乗りになった。
「遺言ぐらい、聞いてやるよ」
喉元に小柄を当てて、セキヤは言った。
「ありがとうございます」
加煎は力を抜いた。
「では、言わせていただきますが」
息を整える。
「あの人を大事に思うなら、もう少し考えた方がいいですよ」
「……なによ」
「あなたが『黒髪さん』と褥を別にしているというのは、どう考えても不自然です。あの人は『仕事』でここに来ているのでしょう? ならば、あなたと同じ房で寝ることに異論はないはずです。あの人を助けたいのなら、自分を律する術を身につけてください」
一気にしゃべる。
言うべきことは、言った。これで、もしわかってもらえないのなら、自分がすべてを賭して付いてきたセキヤはもういないということだ。
それなら、なんの未練もない。
加煎は、セキヤとはじめて会ったときのことを思い出していた。「毒薬使い」と称されていた師のもとで、実験動物のように扱われていた日々。
師の知己で、落ち忍であった男とともにセキヤは庵にやってきた。毒に体を慣らすために食事に薬を混ぜられていた自分を見て、まだ十代半ばだったセキヤは言った。
あと一年、生きろ、と。
「次の夏至まで生きていたら、おまえ、オレのもんになれよ」
すでに彼は、自らの師を超えていたのだと思う。ただ、自分とともに生きる者たちのために、一年という時間が必要だったのだろう。同じころ、醍醐や東依もセキヤと出会っていたらしい。
加煎は生き抜いた。希望が見えたから。
セキヤとともに生きられるなら、どんなことでもしようと思った。そして、夏至が巡ってきた。
夏至の翌日。目を覚ますと、セキヤがいた。
「行こっか」
師の首は、すでに胴と離れていた。
あの日から、自分はセキヤとともにある。
「ずるいよ、おまえ」
セキヤは言った。
「オレが、おまえらを捨てられないと思って……」
「あなたは私たちを拾った。責任は、取ってください」
「……わかったよ」
ぷい、と横を向く。
牀台の幕に手をかけて、
「まだ、いるの」
ちろりとにらむ。
「失礼しました。……では、これで」
加煎は壁に突き刺さった小柄を抜き、長衣を手に房をあとにした。
扉が閉まって、しばらくののち。
セキヤは大きなため息をついて、幕の前にすわりこんだ。
「……だそうだよ、黒髪さん」
幕に向かって、言う。
「起きてるんだろ。こっちに出てきてよ」
「はい」
幕の奥から声がして、イルカが姿を現わした。
「だいたいの話は、聞いたよね」
「……はい」
やはり、加煎が房に入ってきたときから起きていたらしい。
「それで、いい?」
あしたから、同じ房で眠ること。
「おれは、かまいませんけど……」
心配そうに、イルカはセキヤを見遣った。
「そうなのよねー。モンダイは、オレなのよ」
がしがしと頭をかく。
「あんたを前にして、ガマンできるわけないっつーの」
「……困りましたね」
「あんたに言われてもねえ」
セキヤは苦笑した。
どうしても「必要」なら、イルカは迷わずそれをするだろう。しかし、自分はイルカに惚れている。イルカの望まないことはしたくないのだ。
結局、惚れた方が折れるしかないんだよな。
セキヤはふたたび大きく息をついて、とりあえずは自分の房に戻った。
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