緑蔭 byつう ACT7 未明。火影の館の奥殿に、銀髪の男がいずこからともなく現れた。 わずかに、仕切りの幕が揺れる。 「帰ったか」 さすがに、忍の長である。火影は牀の上に起き上がり、侵入者に問うた。 「して、首尾は」 「『愛してる』」 「なんじゃと?」 「朱雀からの、言伝ですよ」 むっつりとして、銀髪の男は言った。 「これはこれは。なんとも愉快な」 火影は狂言役者のような笑い声を上げた。 「宿直(とのい)に聞こえますよ」 「ほほ。そうじゃな。いや、あまりにも、あやつらしい言伝なのでな」 「それから、これ。追加の文だそうです」 手習いの教科書に書かれているような、きっちりとした字が並んでいる。 「うん? ああ、そなた、会うたのか」 「だれにです?」 「この文の主じゃよ」 「会ってませんよ。なんだか、あっちで仲良くやってるみたいでしたけどね」 「それは重畳」 満足げにそう言って、文に目を通す。 「……駒は揃うたな」 例によって、二度読んでから、灯明にかざす。 「じゃ、俺はこれで」 もう用はないとばかりに、男は踵を返した。 「これ、待て。カカシ」 火影は男の名を呼んだ。 「……まだなんか、あるんですか。俺、ちょっと疲れてるんですよ」 のったりと、カカシは言った。 「ほう。たかが文遣いで、『写輪眼のカカシ』が疲れたとな」 「たかが文遣い、されど文遣い、でしょ。冗談じゃないですよ。俺、あんなとこ、二度と行きませんからね」 「なにゆえに」 「もうご免ですよ、あんなやつ。相性サイアクですもん」 「朱雀のことか?」 「スザクだかウザクだか知りませんけどね。向かい合ってるだけで、殺気がびしばし来るし、写輪眼も使わないのに、頭、痛くなるし。今日はもう、帰って寝ます」 「では正午に、文庫の方へ」 「……あしたまで休み、くださいよ」 「上忍が、泣き言を言うでないわ。下田部の荘園に送り込んである間者や草を、すべて引き上げねばならん。おそらく今夜、朱雀が動くであろうからな」 「だから、俺は嫌ですって。あんなやつに関わるのは」 かなり本気である。火影はすっと目を細めた。 「そなたが『疲れる』ような相手に、ほかの者が立ち打ちできると思うてか。木の葉の忍、約二十名の命がかかっておるのだが?」 亀の甲より年の甲。火影の薄笑いほどタチの悪いものはない。 「特別手当、くださいね」 「なに。直接、朱雀と会わねばよいのじゃろ」 「わっかりましたー」 投げやりな返事。 どんよりとした空気を背負って、銀髪の上忍が房を出ていく。火影はその後ろ姿を見ながら、ふたたび可笑しげに笑った。 同じ日の夕刻。 下田部の国主の館に、雲の国の所司の遣いだという少年が親書を携えてやってきた。護衛には、燃えるような赤い髪の傭兵が付き従っている。 二人は正殿に入り、国主の側近と対面した。 「あるじより、下田部卿への文を預かってまいりました。余人を介してはならぬとの、きつい言い付けにござりますれば、なにとぞ、よしなにお取り計らいのほどを」 少年は随員から小さな包みを受け取り、それを上座に供した。 「お目汚しではございましょうが、お納めくださいませ」 側近は、扇の先で袱紗を開けた。 「ほう。これはいたみいる」 わずかに、頬がゆるむ。少年はそ知らぬ顔で、側近が包みを持って下がるのを待った。 「現金なもんだねえ」 ぽそりと、赤毛の兵が言った。 「神経が麻痺してるんですよ」 ほとんど唇を動かさずに、少年は言った。 「下田部の荘は、国主から庄屋まで袖の下がまかり通っていますからね。金が動くことに無頓着になってるんでしょう。おかげで、こっちはつけいりやすいというわけで」 「それにしても、似合うよ。そのお小姓姿」 「おれ、もう十八なんですけどね」 「まあ、いいじゃなの。オレの趣味だし」 セキヤは、のどで笑った。 「しっ。来ましたよ」 廊下に人の気配。イルカは作法通り、頭を垂れた。 襖が開いて、国主が入ってきた。先刻の側近も一緒だ。 廃すべきは国主ひとり。できれば、ほかの者は傷つけたくない。文を見て人払いをしてくれればいいのだが。 イルカは祈るような思いで、文を献じた。 所司の文というのは、もちろんイルカが細工した偽物だ。所司の屋敷から書類を盗んできて、その筆跡をまねて書いたのだ。 セキヤが所司から山ほど情報を引き出してくれたので、ほぼ完璧な書状に仕上がった。北方の新しい戦況についても、ちらりと匂わしておいた。 「北御門の長が、引き上げたというのは……」 言いかけて、口をつぐむ。 そう。もっと詳しい話を聞きたかったら、早く人払いを。 国主は何事か思案しているようだった。側近は、ちらちらとこちらを窺っている。しばらくして、やっと国主は側近に、退出を命じた。 「しかし……」 一応、警戒はしているのか。 イルカは両手をつき、あらためて国主に一礼した。 「ご懸念にございますれば、そこにおりますつわものを控えさせ、わたくしも腰のものをお預けいたしますが」 国主と側近は、顔を見合わせた。迷っている。 セキヤが視線で、それでいいのかと訊いている。いいですよ。あなたは忘れているかもしれませんが、おれは忍なんですから。 暗部ではないにしても、人間の急所は熟知している。万一のときは、この手で国主を……。 覚悟を決めたとき、側近が横の障子を開けて、隣室に下がった。 イルカは心の中で舌打ちした。近すぎる。もっと離れてくれなくては。 セキヤが、国主と側近の距離を目で測っている。障子をはさんで、ほぼ五間ほどか。 仕方がない。国主と側近。二人ともやる。 「北御門のことだが」 国主が口を開いた。 「は。いま少し、御前近くにまいりますこと、お許しいただけましょうや」 「許す」 よし。いける。 イルカは低姿勢のまま、横に飛んだ。背後からセキヤが上座を襲う。 セキヤが国主の首を落とした瞬間、イルカは障子を開けた。立ち上がろうとした側近のあごの下から脳髄に向けて、小刀を突き通す。 手応えはあった。刀を引き抜いて、奥へ進む。 正殿の奥は書院で、ふだんは無人だ。セキヤの足は速かった。イルカは必死であとを追った。 やはり、上忍並みの実力の持ち主だ。国主はきっと、自分が殺されるとも気づかぬうちに絶命しただろう。斬首したというのに、返り血もほとんど浴びていない。 ようやく館を抜けた。と、そこに、追っ手。 外回りの警備をする兵であろうか。まだ館内のことは知らぬはずだ。 できるだけ、殺さずにすませたい。が、手加減している余裕はあまりなかった。 「先に行け!」 セキヤが叫ぶ。イルカは歯噛みをしながら、その指示に従った。 しばらく行った林の中で、小姓の小袖と袴を脱ぐ。刀とクナイを装備しなおして、あらかじめ打ち合わせてある場所へと急いだ。 荘園の外れにある、廃屋。いまは農閑期に農具などを入れておくのに使われているらしい。そこに入ろうとして、イルカは足を止めた。 人の気配がする。まさか、先回りをされたのか。 否。ここを待ち合わせの場所に決めたのは、国主の館に入ってからだ。国界で工作活動をしている仲間が捕縛されたとしても、この場所を知っているはずはない。 イルカはできるだけ気配を消して、中を窺った。 肉眼で見えるぎりぎりの速さ。 何人かの忍が、中で刃を交えていた。 クナイの合わさる固い音。肉に食い込む音。骨の切れる音。 音がするたびに血が飛ぶ。肉片が落ちる。あるいは、首が。 何者だ。こいつら。 イルカは背中が震え出すのを感じた。まずい。このままここにいては、巻き添えになるかもしれぬ。しかし、ここを離れて、セキヤと合流できなくなっても困る。 国界までひとりで行くか。それとも、ここで待つか。 時間がない。早く決めなくては。 そのとき、イルカは強烈な力で腕を引っ張られた。 「……!」 何事か、術を唱える声。 視界が歪む。体が、宙に浮いたような気がした。 廃屋の中で攻防を繰り広げていた忍のひとりが、一瞬、こちらを見た。 なぜか、そのときははっきり見えた。銀髪と、ふた色の瞳が。 右目の藍、左目の紅。 あの男だ。「写輪眼のカカシ」。 なぜ、ここにいるのだ。文遣いを終えたあと、里に帰ったはずなのに。 「見るな!」 声とともに、目をふさがれた。 「飛べなくなる」 セキヤだった。イルカはきつく目を閉じた。 二人は、下田部の荘園から脱出した。 ACT 8へ |