緑蔭 byつう ACT8 夜半になって、それぞれの仕事を終えた者たちが、次々と帰還した。 北御門の武器庫を襲撃した醍醐と、補給物資を軒並み横取りしてきた東依たちは、それらの分配を始めている。 下田部の国主の首を獲ったセキヤは、追っ手をかわして脱出する際に術を使いすぎたらしく、いまだ牀に伏していた。 「いくら大事なものを守るためとはいえ、自分が潰れては本末転倒というものですよ」 加煎が薬湯を湯呑みにそそぎながら、言った。 「……うるせえ」 セキヤは枕から頭を上げることもできずに、言った。 「んなこと言うなら、おまえ一回、『写輪眼のカカシ』とお見合いしてみろよ」 「謹んで、ご遠慮申し上げます」 言いながら、湯呑みを差し出す。 「……なによ、これ」 鼻をつく臭い。 「滋養強壮の特効薬ですよ」 「んなもん、いらねえよ。まともに体も動かねえのに、一部だけ元気になってどうするのよ」 「ご奉仕、してもらったらどうです」 思わせぶりな笑みを浮かべ、加煎は言った。 「ばーか。黒髪さんは、してくんないよ。こっちが、してるの」 「あらまあ。そうだったんですか」 湯呑みを卓にもどす。 「たしかに、なにかしてあげたくなる人ですよねえ」 「へえ。おまえでも、そう思うの」 人付き合いに淡泊な加煎にしては、めずらしい。 「いけませんか?」 「いいけど、黒髪さんは……」 「あなたのものでしょ。わかってますよ」 加煎は立ち上がった。 「皆の様子を見てきます」 言い置いて、出ていく。 セキヤは大きく、ため息をついた。そうだよなあ。つい、なにかしてやりたくなっちまう。あんなに、ぎりぎりのところに立っているのを見ると。 ほんの少しでも油断すると、まっさかさまに落ちてしまう。そんな危うさが彼にはある。しかもそのことを、本人はまったく気づいていないのだから始末が悪い。 このまま、実際にはなにも見ぬまま、なにも知らぬまま、ひたすらに駆け続けて逝ってしまうのではないか。そんな気がする。 それぐらいならいっそ、さらってでも自分のものにしたい。手元に置いて、自分がいままで見てきたこと、聞いてきたこと、感じてきたことのすべてを伝えたいと思った。しかし。 目を閉じて、頭を振る。 彼を飼うつもりはない。そんなものなら、いらない。彼の意志で、自分のもとへ降りたってほしいのだ。 もうちょっとなんだけどな……。 あのとき、自分の背に回った彼の手。あと少しで確かめられたのに。 「ったく、クソじじいが」 思わず、声が出た。呪われてるんだろうか、オレは。 ぶつぶつと火影に対する罵詈雑言を羅列する。と、そのとき、扉を叩く音がした。 「セキヤがねえ、薬を飲まないんですよ」 加煎がため息まじりに、そう言った。 「あなたの言うことならきくと思うんですけど、お願いできますか」 おれは乳母かと思いつつも、イルカはそれを承諾した。 「ほかのみんなは、集会所で酒盛りしてますから、用があったら知らせてくださいね」 「わかりました」 イルカは房を出て、セキヤの寝所へ向かった。 下田部の荘園から脱出する際、かなり無理をしたのだろうか。館からの追っ手だけならまだしも、あんなところで「写輪眼のカカシ」と出くわすとは夢にも思わなかった。もっともカカシは、自分たちと対峙していたわけではなくて、下田部の子飼いの忍とやりあっていたのだが。 それでも、その場にいれば間違いなく巻き添えをくらっていただろう。カカシの「気」は凄まじいものだった。 彼がほとんど単独の任務しか与えられないのも頷ける。あれではなまじの者ではついていけないし、うっかりすると味方と言えども切り捨てられてしまいそうだ。 『見るな!』 カカシの姿を認めたとき、セキヤは叫んだ。 『飛べなくなる』 それはすなわち、死に直結する。 カカシの「気」をかわし、なんとかその場を離れることができたのも、セキヤのおかげだった。ここに帰り着いた直後に倒れ、醍醐に担がれていったが、もう大丈夫なのだろうか。 寝所の扉を叩くと、中から「開いてるよー」という軽い口調の返事が聞こえた。 「お邪魔します」 中に入ると、セキヤは牀の上に起き上がろうとしているところだった。イルカは横に腰掛け、その背を支えた。 「大丈夫ですか」 「んー。あんまり大丈夫じゃない。まだ頭、痛いし」 「それなら横になっていた方が……」 「いいのいいの。で、どしたの?」 セキヤはイルカの顔を覗き込んだ。 「あなたが薬を飲まないと聞いて」 「薬って……ああ、加煎がそう言ったの」 「はい」 セキヤはくすくすと笑った。 「いやー、加煎も気が利くねえ」 「は?」 「薬湯より、黒髪さんの方がよっぽど薬になるってことよ」 セキヤはイルカに口付けた。そのまま牀に倒れ込む。 いつもより、熱い舌。熱があるのだろうか。衣服の内側にすべりこんだ手も、同じく熱い。 いいのだろうか。このままで。体を重ねることに抵抗はないが、セキヤの回復を遅らせてしまうかもしれない。 「……心配してくれてるの」 唇を離して、セキヤが訊いた。イルカは間近にある焦色の瞳を見つめた。 本当に、この男は心の動きを読むのが早い。 「はい。脈も……少し乱れているような」 「ふふん。かなわないねえ」 セキヤは、どさりと身を横たえた。 「実際、まいったよ。まさか、『写輪眼のカカシ』とはねえ」 暗部上がりの手練れ。国内のみならず、近隣諸国の忍たちから恐れをもってその名を呼ばれる男だ。 「片目、隠してたからヘンだとは思ってたんだけどさあ。ったく、オレ、まじでヤバかったのね」 カカシが文遣いとしてここに来たときの様子は、醍醐から聞いた。本当に、よく血を見なかったものだと思う。 「今回だってニアミスだったし……あーあ、しばらく、木の葉の仕事は受けないでおこうっと」 言ってから、ふと、セキヤはイルカを見た。 「あ、でもそうしたら、黒髪さんに会えないか。ねえねえ、黒髪さん。転職する気、ない?」 「転職?」 なんとなく、言いたいことはわかる。 「そ。忍なんか辞めてさあ。オレたちの仲間になんなよ。黒髪さんだったら、みんな大歓迎よ」 仲間。 イルカは困惑した。そんなふうに言われるとは思わなかったから。 セキヤを取り巻く者たちは、皆それぞれセキヤのことを大切に思っている。セキヤもまた彼らに全力でぶつかって、信頼しあっているのだ。 それにくらべて、自分はどうだ。セキヤの庇護のもとでぬくぬくしている「お客さん」だ。そんな人間が、はたして仲間になどなれるのだろうか。 「どしたのよ。恐い顔して」 「すみません」 「べつに、謝んなくてもいいけどさ」 「考えてたんです」 「なにを」 「おれは、あなたの仲間になれるんだろうか、って」 「なれるよ。決まってるじゃん。あ、もうなってるか。今日だって、息ぴったりだったし」 「そうですね。でも……それは、仲間だからじゃない」 セキヤはわずかに眉を上げた。 「じゃあ、なによ」 「仕事だからです。おれは……木の葉の忍で、あなたと『仕事』をするよう命じられた。だから……」 ばっ、と蒲団を蹴飛ばして、セキヤが飛び起きた。病人とは思えない身のこなしでイルカを組み敷く。 「だから? だから、なんだよ。仕事仕事って、もううんざりだね。オレは、あんたが好きなの。あんたのこと、もっと知りたいし、オレのことも知ってほしい。あんただって、オレに心を許してるじゃないか」 「それは……」 「違うなんて言わせない。あんた、オレと寝たんだよ。最後まで行ってないからって逃げるつもりなら、いま、やったっていいんだ」 セキヤの手が下肢にのびる。 イルカは抗わなかった。セキヤの気持ちが痛い。そして、それに応えられない自分が悲しかった。こんなにも、自分はこの男に寄りかかっているのに。 「……セキヤ」 重ねられた熱い体をぐっと抱きしめる。 その瞬間。 ひとつになろうとしていた体が、急速に熱を失った。セキヤはゆっくりと身を起こし、ふたたびごろりとイルカの横に仰臥した。 なにが起こったのか、わからなかった。急に具合でも悪くなったのだろうか。 「セキヤ?」 上体を起こして、様子を窺う。セキヤは目のあたりを腕で覆っていた。 「まいったなあ」 「え……」 「あんた、いまはじめてオレの名前、呼んだんだよ」 そうだっただろうか。記憶を辿る。ともにいた時間こそ短いが、これほど深く自分の中に入り込んでいる男の名を、一度も呼んだことがなかったなんて。 「ばかみたい。オレ、もう、それだけでいっちゃった気分」 腕を下ろして、自嘲ぎみに笑う。 なんと答えたらいいのか、わからない。イルカは目を伏せた。セキヤはそのイルカの頬に手をのばした。 「で、いつ、帰るの」 「帰して……くれるんですか」 「帰したくないよ。もちろん」 やさしく頬を掴む。指が耳のうしろに回り、感じやすい部分を撫でた。 「こんなに、いいのに」 引き寄せて、口付ける。 「はなしたくないよ。ほんとは……ね」 先刻の余波が、体中を駆け巡る。セキヤの手が下に滑り降りて、イルカの熱源をとらえた。 「でも、許してあげる」 イルカはセキヤの肩にすがった。 「……声、出したら?」 耳元で囁かれ、全身が震えた。首筋に、熱い舌。からだの芯を溶かすような。 「最高だよ、黒髪さん」 もう、限界だ……。 言葉にならぬ声が、房に響いた。 朝。 加煎は醍醐の力を借りて、セキヤにむりやり薬を飲ませた。 夜具の交換をした東依は「いくら最後だからって、こりゃないよー」と泣きそうな顔をしていて、イルカは申し訳ない気分でいっぱいだった。 「おまえが余計なことをするからだ」 醍醐は加煎をにらんだ。 「まさか、あの体で事に及ぶとはねえ」 我関せずといった調子で、ぱたぱたと扇を揺らす。 「さっさと薬盛って、寝かしときゃよかったのに」 「……すみません」 イルカが謝る。 「坊やはいいんだよ、坊やは」 言いながら、ぽんぽんとイルカの頭を叩く。 「で……よかったかい」 「はい」 すんなりと、言葉が出た。 「そりゃ、セキヤも果報もんだな」 にんまりと、醍醐は笑った。 「あいつはまだ寝てるが……」 「お世話になりました」 「もう、行くんですか」 加煎は扇を閉じた。 「セキヤが起きるまで待つわけには……いかねえよな」 イルカは無言で頷いた。 「また、会えるよね」 東依が訊く。 「約束はできませんが」 「可能性はあります、か?」 醍醐が言を継ぐ。 「はい」 「じゃ、それを信じましょう」 にっこりと、加煎。 雲ひとつない蒼天の下。黒髪の中忍はその場所を後にした。 次に会うとき、自分はどうなっているだろう。そして、あなたは。 『黒髪さん』 また、そう言って笑ってくれるだろうか。 あなたに応えられるような人間になりたい。苦しみも悲しみも受け入れて、なお楽しげに笑っていられるような。 そのときは、互いにすべてを分かち合えるかもしれない。 不確かな未来が、イルカの前に広がっていた。 (了) |