緑蔭 byつう ACT5 所司の尋問が、みたび始まった。 房に戻ったイルカは、火影宛てに文をしたためた。これまでの経過と、現在の状況、今後の予測。そして、後続の者については不要の旨。 だれが来るかは知らぬが、ここの連中に受け入れられねば、生きて帰ることは難しい。とくに、セキヤの目に叶う者でなければ。 書き漏らしたことがないかどうか、確認してから封蝋で閉じる。 「できましたか」 扉の外から、声がした。加煎だ。 「はい、どうぞ」 返事をしたが、いつまでたっても加煎は入ってこない。不思議に思って、戸口に近づいた。念のために、小柄を構える。息を殺して扉を開けると、加煎が扇を揺らしつつ、立っていた。 「おや、まあ」 小柄を見て、薄く笑う。 「さすがですね」 「……どうして、入ってこないんです?」 イルカは訊いた。加煎はちらりとイルカを見遣って、 「あなたが開けてくれるのを、待っていたんですよ」 「は?」 「だって、あなたはセキヤのものですからね。私が一人で、ここに足を踏み入れるわけにはいきません。あなたと二人きりでひとつ部屋にいたなんて知れたら、私はセキヤに殺されますよ」 なるほど。ありえない話ではない。セキヤの性格からすれば。 「それで、文はどうなりました」 「あ、はい。ここに」 イルカは小柄を仕舞い、書状を手渡した。 「たしかにお預かりしました。夕刻までには、届けます。帰りは深夜になるかと思いますが、返書があった場合はこちらに伺ってもよろしいですか」 イルカは首をかしげた。 どうして、そんなことを訊くのだろう。夜中だろうがなんだろうが、火影からの指示があれば、それを拝さねばならぬ。 イルカの疑問に気づいたのか、加煎は言を継いだ。 「いえ、その……途中で、お邪魔してはいけないかと」 そういうことか。イルカは納得した。その可能性は、否定できない。 しかし、だからといって火影の意向を後回しにするわけにはいかない。自分は、木の葉の里の忍であるのだから。 イルカは加煎を見据えて、言った。 「何刻であろうと、返書か言伝があれば教えてください」 「御意」 加煎はセキヤに対するのと同じように、答えた。 「でも……」 ほんの少し、声を落とす。 「そのあと寝かせてもらえなくても、私を恨まないでくださいね」 艶然と微笑んで、加煎は踵を返した。 まったく、どいつもこいつも食えない連中だ。それを束ねているあの男は、やはりたいしたものだと思う。 イルカは扉を閉めて、所司の情報がもたらされるのを待った。 午後遅くになって、セキヤは房に戻ってきた。 「いやあ、もう、ほんとに、予想外の展開で、楽しいったらないねえ」 嬉々として、イルカに抱きつく。 予想外の展開で、なぜ楽しいんだ。そんな疑問は、鼻をつく血の臭いで消し飛んだ。 「あの……」 「ん? なによ」 「服に、血がついてますよ」 おそらく、所司のものだろう。 「あ、ごめーん。つい、楽しくってさあ」 セキヤは上衣を脱いだ。 「手は洗ってきたんだけどね。うわ。黒髪さんの服も、汚れちゃったねー」 袖と胸のあたりに、いくつか赤黒い跡。 「着替えよっか」 「そうですね」 奥の箪笥から、適当に服を選ぶ。 二人して、ゆったりとした部屋着姿になるころには、セキヤは大方の話を終えていた。 「……本当ですか」 イルカは、険しい顔で訊いた。 「まだウラは取ってないけどね。いくらなんでも、もういい加減なことは言ってないと思うよん」 あの状態から、さらに責めたのだ。いま、所司がどうなっているか、考えたくもない。 「黒髪さん、あいつから情報、取りたかったんでしょ。よかったじゃん。勲章もののネタが拾えたんだからさあ」 たしかに、その情報は重要だった。木の葉の国を揺るがすほどに。 「この貸しは、いつ返してくれるのかなあ」 セキヤは焦色の目をらんらんと輝かせて、言った。 「いまから、カラダで返してくれる?」 それで済むなら、安いものだ。しかし。 それは嫌だった。セキヤとて、本心ではあるまい。 「二日以内に、捕縛された仲間を解放するよう、手配します」 この情報で、それぐらいの便宜は諮れるはずだ。火影も否とは言うまい。 「あは。そうきましたか」 セキヤは楽しそうに、言った。 「うーん、やっぱり、黒髪さんだねえ。ますます惚れちゃったよ」 セキヤはけらけらと笑って、イルカの髪をがしがしと撫でた。 北方の内乱。それは、雲の国の上層部と、地方の有力者と、甘い汁を吸おうとする官僚、さらには、あろうことか木の葉の国の豪族まで巻き込んで、卍巴の様相を呈していた。 「下田部卿に関しては、暗部に出動を要請することになると思います」 イルカは、そう告げた。 下田部の国主は、木の葉の国の豪族である。中央との繋がりも深く、とくに南東部に勢力を保持していた。 木の葉の豪族が、雲の国の内乱を幇助している。そんなことが公になれば、国を挙げての戦になりかねない。 「それでいいの」 セキヤは訊いた。 「は?」 「暗部にしたって、結局は木の葉でしょ。同士討ちじゃんか」 「それをやるのが、暗部です」 「人の口に戸は立てられないよん」 にんまりと、セキヤは笑った。 「……やったげよっか?」 「え……」 「下田部の殿様。だれの仕業か、わかんないように殺ればいいんでしょ」 「でも……」 「心配しないでよ。だからって、体で払えって言わないから」 すっと、腰を抱く。 「……言ってるじゃないですか」 「違うよん。気持ちよ、気持ち」 そっと、頬に口付ける。 「オレのこと、好きになった?」 吐息まじりに、囁く。 はい。たぶん。……この気持ちが、そうならば。 セキヤの腕に力がこもる。イルカはセキヤに体を預けた。唇が重なって、互いを感じ合う。 ほかのことは、考えない。いまは。いまだけは。 イルカの手がセキヤの背に回った。そして……。 「悪い。セキヤ」 戸を叩く音とともに、低音の声がした。醍醐だ。 「……なによ」 イルカを抱いたまま、セキヤは言った。 「わかってんだろうね。つまんないことだったら、殺すよ」 「ああ。かまわんよ。……じいさんから、勅使だぜ」 じいさん。 すなわち、火影のことだ。 イルカは顔を上げた。セキヤは片方の口の端を歪めて、息をついた。 「タイミング、良すぎるよ」 そっと、イルカをはなす。 「で、なんて言ってるの」 「なにも」 「へっ?」 「具体的なことは、なにも言ってねえよ」 「どういうことよ」 「俺たちみたいな雑魚に、用はないんだろうな」 投げやりな口調。 「ただ、『朱雀に会いたい』とだけ」 セキヤの体が震えた。 「……本当に?」 「ああ」 「そう。……そんなこと、言ったの」 セキヤは、くつくつと笑った。 「じいさん、相当、困ってんのかね。『朱雀』につなぎ、取るなんて」 「ま、お国の危機だからな」 「はん。そんなこと、知ったこっちゃないよん」 「……坊やがいるのに?」 「関係ないでしょ。黒髪さんは」 なにやら、むきになっているようだ。 「あるよ。坊やは、木の葉の忍なんだから」 ぴしゃりと、醍醐は言った。セキヤはぐっと唇を噛んだ。 「ここにいるあいだは、おまえのもんだ。けど、坊やは、木の葉の人間なんだよ。そこんとこ、わきまえろよな」 殺される。 そう思った。セキヤにこんな物言いをして、生き残れるはずはない、と。 イルカはその場を動くことができなかった。醍醐が、セキヤが、次にどう動くかわからなかったから。 凍りついたような空気の中で、セキヤがぼそりと言った。 「会うよ」 抑揚のない声だった。 「どこにいるの」 「集会所だ」 「ん。わかった」 すたすたと、房を出る。 「人払いは?」 すれ違いざまに、確認する。 「してある」 「じゃ、黒髪さんのこと、お願い」 「……いいのか」 「なにが」 「俺に、坊やを任して、さ」 「おまえだから、任すんだよ」 心配ないよ、とセキヤの瞳が告げる。イルカはこくりと頷いた。 「……なんだかなー」 セキヤが出ていったあと、醍醐は大きくため息をついた。どっかりと、長椅子に腰を下ろす。 「俺って、もしかして、安全牌?」 そんなこと、訊かれても困る。自分はまだ、セキヤの「もの」になっていないのだから。 醍醐がぶつぶつと文句を言っている横で、イルカは下田部の国主の処遇をどうすべきか、思案していた。 ACT 6へ |