緑蔭        byつう







ACT4



 その夜。
 件のつづきがあるかと思っていたら、セキヤは所司の尋問にかかりきりで、房に戻ってきたのは、未明になってからだった。
「あら、まだ起きてたの」
 セキヤは焦色の瞳を見開いた。
「昼間に休ませていただいたので、目が冴えてしまって」
「ふふん。もしかして、オレを待ってた?」
「……それも、あります」
「うれしいねえ」
 セキヤは牀に腰掛けて、イルカの顎を持ち上げた。
「でも、それ、どっちよ」
「は?」
「オレ自身を待ってたのか、オレが手に入れた情報を待ってたのか」
 やはり、食えない男だ。
「両方です」
「あは。やっぱり?」
 セキヤは手をはなした。
「とりあえず、お仕事ね」
「はい」
 イルカは居住まいを正した。
「あのおっさん、けっこうしぶといよ」
「吐きませんか」
「いや、しゃべるのはしゃべったんだけどねー。それがもう、いかにもな話でさあ」
 拷問を受けた場合を想定して、あらかじめ答えを考えていたか。
「一応、ウラは取ったよ。見事に矛盾はなし。ま、ふつうなら、これで無罪放免っとこだろうね」
 ふつうなら。
 イルカは苦笑した。ここの連中が、それだけで所司を解放したはずはない。
「で、所司はどうなりました?」
 まさか殺してはいないだろうが。
「まだ、意識はあるよ」
 そこまで、やったか。
「この件、里に伝えてもよろしいですね」
「うん。でも、黒髪さんはまだ、ここにいてね。加煎におつかいさせるから。前んときみたいに、文を書いてくれればいいよ」
 イルカも、この場を離れるつもりはなかった。まだ所司から聞き出したいことがある。内乱が、どの程度まで「本物」になっているのか。それによって、木の葉の国の取るべき策が変わってくる。
「わかりました」
 イルカは牀から下りた。
「へっ……いまから、書くの」
「善は急げと言いますから」
「えーっ、それじゃ、オレはどうなるのよ」
 情けなさそうに、セキヤは言った。
「おとといから、ほとんど寝てないんだよー。せっかく、黒髪さんと一緒に寝ようと思ってたのに」
「でも……ほかのことを考えてはいけないんでしょ?」
 だから、先に仕事を済ませる。そのあとなら、たぶん……。
「そりゃそうだけどさあ。オレ、疲れてんのよ」
「はあ?」
 イルカはセキヤを凝視した。充血した目。くっきりと隈のできた顔。
 もしかして純粋に、眠りたいのか?
「ちょっとでいいから、一緒に寝てよ」
 セキヤの手がのびてくる。
「……わかりました」
 イルカは、その手を取った。





 だれかの体温を感じながら眠るのは、本当に久しぶりだ。
 気持ちがいい。あたたかくて。ゆったりしていて。うっかりすると、自分がいま、任務中だということを忘れてしまいそうだ。
 ……忘れても、いいのだろうか。
 うつらうつらとしながら、イルカはセキヤの体がそこにあるのを確認した。確認して、安心した。



 髪を撫でる、やさしい手。自分の名を呼ぶ声。
 ああ、もう起きなくっちゃ。でも、なかなか目が開かない。
 ごめんね、かあさん。もう少し、寝かせてよ。



「メシ、持ってきたよん」
 言葉とともに、口付けが降ってきた。
「あ……」
 うつつに戻る。
「おはよう……ございます」
 なんとか、声が出た。
「はい、おはよー。……なんか、悲しい夢でも見た?」
 どうして、この男にはそういうことがわかるのだろう。ほんの数日しか、行動をともにしていないのに。
「つらかったら、もう少し寝ててもいいよ」
「……いえ。大丈夫です」
「大丈夫、っていうのは、つらいってことでしょ」
「え……」
「自分のことって、結構、わかんないものだからね。大丈夫って言い聞かせて、結局は取り返しのつかないとこまで行っちゃうんだよなあ」
 セキヤはイルカを抱きしめた。
「大丈夫だなんて思っちゃダメだよ。大丈夫かな、って思って、立ち止まってみなくちゃ」
 前にも、似たようなことを言われた。そして、任務に縛られていた自分に違う見方を示してくれた。
「……そうでしょうか」
「そうだよ。『大丈夫』っていうのは、自分じゃなくて、ほかのやつのために使う言葉だもん」
 セキヤはイルカの顔を覗き込んだ。
「オレじゃ、駄目なのかな」
 寂しそうな顔。
「あんたの、『大丈夫』になれない?」
 心が、えぐられたような気がした。
 なってますよ。もう。
 おれは、あなたの側で眠った。そして、封じ込めた記憶まで呼び覚ましてしまった。哀しい、懐かしい記憶を。
 イルカはセキヤに口付けた。ほんの少し、触れるだけの口付け。それが、精一杯だった。
 セキヤは目を丸くした。焦色の瞳は朝の光を吸い込んで、琥珀のようにも見える。
「……ありがと、黒髪さん」
 セキヤは笑った。それは、いつもの「楽しいこと」を考えているときの笑いではなくて、穏やかな、満ち足りた微笑みだった。
「さ、メシ、食べよっか」
 照れ隠しのように、セキヤはぴょん、と牀から立ち上がった。
「いただきます」
 イルカも牀から下りて、卓に就いた。二人は、芋飯と大根汁と漬物といった朝食を摂りながら、今後の打ち合わせをした。
「とりあえず、北御門の砦に物見に行かせたから、夜にはだいたいの様子がわかると思うよ。おっさんはまだ、のらりくらりと適当なこと言ってるけど、ま、よくもって今日いっぱいだね。殺しちゃ元も子もないから、東依を抑えるのがたいへんよー」
 たしかに、あの男は血の気が多そうだ。
「食べ終わったら、文、書いといてね。加煎に持たせるから」
「その前に、所司に会えますか」
「なんでよ」
「直に訊きたいことがあるので」
「うーん、いいけど、あんまりおすすめできないなあ」
「はあ?」
「せっかく食べたもの、ムダになっちゃうかもしれないよ」
 ……これは、ちょっと覚悟が必要だ。
 芋をのどに詰めそうになり、イルカは慌てて、白湯を飲んだ。





 小屋の中に、所司はいた。拉致されたときのまま、後ろ手に縛られて。
 顔は腫れ上がり、体中に打撲と火傷の跡があった。足は何カ所か骨折しているようで、でこぼこになっている。
 そばには東依と醍醐がいて、何事かぼそぼそと話し合っていた。
「ちょっと、いーい?」
 セキヤが戸口から声をかけると、二人は顔を上げた。
「おう。なんだ」
「まだ進展なしだよー。見かけによらず、しぶといったら」
 東依は悔しそうだ。
「黒髪さんが、おっさんに訊きたいこと、あるって言うんだけど」
「へえ、坊やがねえ。ま、むさくるしいとこだけど、入ってもらえば?」
 のんびりと、醍醐は言った。
「いいのかよ、そんなことして……。嫌われちまうぞ、俺たち」
 急におろおろした様子になったのは、東依だ。
「ばーか。坊やだって、忍だぜ。死体のひとつやふたつ、どうってことねえさ」
「あの……」
 扉の陰から顔を出して、イルカは訊ねた。
「死体って、まさか……」
「あ、大丈夫大丈夫。まだ生きてるよん」
 セキヤが土間に転がった所司を見下ろして、言った。
「意識も……うーん、なんとか、あるみたい」
 イルカは中に入った。血の臭いと、肉の焦げたような臭いが漂っている。たしかに、これはいただけない。吐き気を意志の力で抑え込み、所司の側まで進む。
「……。これは……」
 イルカは眉をひそめた。手前からは見えなかったが、背中の皮がめくれている。火傷ではなく、なにか薬品をかけたようだ。
「だーかーらー。おすすめしないって言ったでしょ」
 近くで見ると、ますますひどい。ここまでやって、殺さずにすんでいるのが不思議なぐらいだ。意識はあるようだが、まだ正気を保っているだろうか。そちらの方は、はなはだ疑問だ。
「所司どの」
 イルカは土間にひざまずいた。
「お訊きしたいことがあります」
 所司は、赤黒く腫れた顔をわずかに上げた。
「……小僧……きさま……」
 憎々しげな顔。よかった。気はたしかだ。
「北御門の後ろ楯は、だれです」
 端的に、訊く。
「そんなものは……」
「ない、などとおっしゃらないでくださいね。御身と前線の司令官だけで、事が運べるとは思えません。だいいち、司令官は捨て駒でしょうに」
 所司は、ひくひくと頬を震わせた。
「わしは……化物と寝たわけか」
「ずいぶんな言われようですね」
 イルカが小さく苦笑したとき。横に立っていたセキヤが、所司の背中を思い切り蹴飛ばした。鈍い音とともに、所司の体が転がる。
 一瞬、だれも動けなかった。イルカの目の前を、セキヤが通り過ぎていく。
「待て!」
 醍醐がようやく、セキヤの腕を掴んだ。
「殺すなと言ったのは、おまえだぞ」
「わかってるよ」
 ゆっくりとした口調。口もとにうっすらと笑みを浮かべて、セキヤは所司の顔を踏みつけた。
「死ななきゃいいんでしょ。いくらでも、方法あるじゃん」
 軽く顔を蹴って、セキヤは所司から離れた。
「ごめんね、黒髪さん」
 イルカの頬に手をやって、寂しそうに言う。
「ちゃんと聞き出してあげるから、もう少し待ってて」
 要するに、出ていけということだ。
「わかりました。待っています」
「じゃあ、あとでね」
 セキヤの顔が近づいてくる。イルカは目を伏せた。交わされる、深い口付け。
 イルカはセキヤの中に、冷たい焔が宿ったのを感じた。




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