緑蔭        byつう







ACT2



 イルカの肌の上を、セキヤの指が這う。
「ふうん。きっちりした体になったねえ」
 指のあとを、唇が追う。
「なーんか、傷も増えちゃって。もったいないけど、これもいいね。すっごく、そそられる」
「そんなものですか?」
「あらあら。またそんな、つれないことを言っちゃって」
 脇腹の傷跡をちろりと舐める。イルカはセキヤの肩に手を置いた。
「あの……」
「なによ」
「おれ、まだ体も拭いてないんですけど」
「はあ?」
「あなたが急かしたものだから、そのままなんです」
 所司との事を終えたあと、すぐに襲撃されてしまったので、後始末をする暇もなかった。おかげで、どうも内部が気持ち悪い。
「うわ。そうだったっけ」
 セキヤは、いまはじめて気づいたかのように身を起こした。
「そうですよ」
「それって、嫌ね」
「でしょ」
 イルカとセキヤは、まじまじとお互いを見た。
「差し支えがなければ、風呂に入りたいんですが」
「うーん。風呂は沸いてないなあ。とりあえず、湯、持ってこようか」
「そうしていただけると、助かります」
 セキヤは牀から下りた。脱ぎ捨てた衣類をかきあつめて、身繕いをする。
「じゃあさ、オレに拭かせてくれる?」
 期待を込めた眼差しで、問う。イルカは苦笑した。
「いやだと言っても、あなたは自分の思う通りにするでしょうに」
「うわ。きついねえ。でも、黒髪さんだから許しちゃう」
 セキヤはイルカに軽く口付けて、牀を離れた。
「待っててね。もう、思いっきり、念入りに拭いてあげるから」
 鼻唄まじりに、セキヤが出ていく。イルカは、今回もセキヤと上々の関係を築けると確信した。





「ほんと、役得万歳、だよねえ」
 のんびりと、セキヤは言った。イルカは牀に腰掛けたまま、旧知の男に体を預けている。
「今回は、あんまりいじめられなくてよかったね」
 硼酸の入った湯でひと通り拭いたあと、新湯でしぼった練布でもう一度丁寧にこする。念入りという言葉通り、セキヤはイルカの体を隅々まで清めた。
 もうそろそろ、訊いてもいいだろう。そう判断して、イルカは口を開いた。
「あの男……どうするつもりです」
「あの男って?」
 わかっているくせに。
「所司ですよ」
「ああ、アレね。なにかと口うるさいから、ちょっとお灸をすえてやろうかと思ってさあ。雲の国に売ってもいいし」
 一石二鳥という算段か。
「黒髪さんこそ、どーゆーつもりよ。あんなやつに、いいようにされちゃって」
「仕事ですから」
「男と寝るのが?」
「違いますよ。必要があったから、そうしただけです」
「ふーん」
 セキヤは口の端を持ち上げた。
「じゃ、必要なら、だれとでもあーゆーこと、しちゃうんだ」
 イルカはじろりとセキヤをにらんだ。
「断っておきますが、毎回、あの類の仕事をしているわけではありませんよ」
 あらぬ誤解を受けてはたまらない。
「え、そうなの? よーかった。いやに艶っぽくなってたから、心配したよ」
 この男に房事を見られたのは、二回目だ。任務の遂行上、やむを得ずそういう手段をとったのも、二度目。つくづく、おかしな縁だと思う。
「ねえ、黒髪さん」
「はい」
「あんた、それで楽しいの」
 唐突な問い。イルカは答えに窮した。
 任務のために、使えるものはなんでも使う。それだけのことだ。その選択に感情などはさむ余地はない。
「あらら、ごめんなさいねえ。んなこと、どうでもいいんだよな。あんたには」
 けたけたと、セキヤは笑った。
「あんたは、やるべきことをやってんだからさあ。ふふん。いいよねえ。それで世界が回るヒトはさ」
 そう言うセキヤの世界は、どのようにして回っているのだろうか。
 やるべきことより、やりたいこと。それが優先されているのかもしれない。しかし、「やりたいこと」をやるためには、他者を圧する力が必要だ。
「どうでもいいなんて、思ってませんよ」
 イルカは、思案しつつ答えた。
「ただ……仕事は、楽しいかどうかで評価できるものじゃないですから」
「だーかーらー。そういうの、考えてること自体、楽しくないじゃんか」
 ふたたび、肩を震わせながら笑う。
「まあ、いっか。おれは、あんたといて楽しいから。……はい、おしまーい」
 セキヤは練布を手桶に放りこんで、立ち上がった。
「さっぱりしたところで、つづきねー」
 言いながら、イルカを牀に倒す。
「この前みたいに、いきなり帰られちゃうと寂しいから」
 なるほど。早いとこ、やることはやっておこうというわけか。この男らしい発想だ。
 唇が重なる。舌が中に入り込む。手は、肩、腕、胸、脇へと移動していく。下腹に指が達しようとしたとき、セキヤはぴたりと動きを止めた。
「……ダメだよ、黒髪さん」
「え?」
 イルカは目を開けた。セキヤの顔がすぐそこにある。
「ほかのこと考えちゃダメだって、教えてあげたでしょ」
 そうだった。しかし前回も、そんなことはできないと明言したはずだが。
「やっぱり……ムリ?」
 ひじをついて、イルカを見下ろす。
「そうですね。いまは……任務中なので」
 正直に答えた。この男に虚言を弄してはいけない。そんなことをしたら、命取りだ。
「任務、かあ。つらいとこよね」
 セキヤはイルカの肌を筋に沿って撫でながら、続けた。
「任務のときじゃないと会えないし、でも任務中だと、黒髪さん、仕事のことで頭いっぱいだし。もう、オレ、どうしたらいいのよ」
 気にせずに抱けばいい。どうして、頭の中身にまでこだわるのだろう。
 はっきりと聞いたわけではないが、この連中は、拉致してきた者を皆で犯したり、拷問の挙げ句に殺してしまったこともあるようだ。敵なら殺してもかまわないし、人質は生かしておけば用は足りるのだから、自分たちで楽しむのは勝手、という論理らしい。
 その考えでいくと、前回から自分は特別扱いだったように思う。
 セキヤはイルカの傷の手当や食事の世話をし、さらに、ほかの者が手を出さないように牽制した。何度か求められ、イルカもそれを半ば承知していたのだが、結局、一線を越えないままに別れたのだ。
 そして、二年。
 同じような状況で再会し、いま、自分は一糸まとわぬ姿でセキヤと同じ牀にいる。
 この男と寝ることに抵抗はない。最中に相手の様子を窺って、あれこれ細工をする必要もないから。
 きっと、行為の感覚がダイレクトに伝わってくるだろう。口付けと愛撫だけでも、十分にそれは予想できた。
「で、さっき、なに考えてたの」
 セキヤが訊いた。なにと言われても、困る。
「どーせ、お仕事がらみだろうけどさ。心配事があるんなら、言ってよ。オレ、あんたのためだったら、一肌も二肌も脱いじゃうよん」
 たしかに、おのれの利害に反しない限りは、あらゆる便宜を計ってくれるだろう。理由はわからないが、この男は自分を気に入っているらしい。
 イルカは慎重に言葉を選びつつ、事の次第を話した。
 守秘義務違反、もしくは機密漏洩で重罰ものだな……。
 他人に任務の内容を話すなど、言語道断である。が、終わり良ければすべてよし。肝心なのは、命じられた仕事をまっとうすることで、その経過ではない。
「ふうん。てことは、黒髪さんは、あいつから情報を仕入れたいわけね」
 ひとつ毛布にくるまって、セキヤとイルカは互いの立場を確認した。
「まあ、オレはあいつをギャフンと言わせたいだけだし。黒髪さんの仕事と抵触しないから、手伝ってあげてもいいよー」
「そう言っていただけると、助かります。それから……」
「なによ」
「里とのつなぎが途絶えると、なにかと面倒なんですが」
 火影は、十日を目処に後続の者を派遣すると言っていた。所司も自分も行方不明では、その者も動きが取れまい。
「あ、それなら近々、火影のじいさんに文句言いに行くつもりだったから、そんときに黒髪さんのことも伝えとくよ」
「文句?」
 忍の最高峰である「影」を冠した火影と、対等に渡り合える者は少ない。セキヤは、その数少ない人物の一人だった。
「そ。こないだ、ウチのやつが一人、木の葉の里で捕まっちゃったのよ。里に住んでる『草』と連絡取ってたのがバレてさあ。ちょっとぐらい、見逃してくれると思ったのに、なんだかやたらとピリピリしてて」
 その話なら、聞いた。雲の国の内乱の噂を聞いたばかりだったから、ことさら他国の忍の動向に目を光らせていたのだ。
「時期が悪かったですね」
「だよねー。まあ、そんなにひどいことにはなってないと思うんだけど」
 仲間思いの男である。
 もっとも、これにはかなり厳しい注釈が付く。セキヤは自分のテリトリーに取り込んだ者に対してはとことん甘いが、そこからこぼれた者には、このうえなく非情なのだ。
「あしたにでも、また加煎におつかいに行ってもらうよ。それでいいでしょ」
「はい。お世話になります」
 生真面目に、イルカは答えた。セキヤはくすりと笑って、
「あのさー、黒髪さん。こーゆーことになってんだから、もっとくだけた調子でしゃべってよ」
 言いながら、イルカの腰を引き寄せる。
「もう、心配事、ない?」
「あとひとつ」
「まだあるの」
「北部の内乱のことで」
「……なんか、新ネタ?」
 セキヤの目が、ぎらりと光った。
「新しいかどうかはわかりませんが」
 北部国境の司令官が、今日、所司の屋敷に来るはずだったと言うと、セキヤは目を丸くした。
「それって……大当たりだね」
「は?」
「やっぱり、あんたってすごいよ、黒髪さん。もう、めちゃくちゃにしてやりたいぐらい」
 セキヤは、イルカを乱暴に抱きしめた。頬に、唇に、首筋に口付けを続ける。
「ごめんね。今度はオレの方が、お仕事モードになっちゃった」
 セキヤは本当に、哀しそうな顔をした。再度、イルカに深く口付ける。
「つづきは、今夜ね。軍議の時間まで、休んでて」
 そう言うと、牀から下りて素早く身仕度をした。
「一石三鳥、いや、四鳥かな。狙うからね。うまくいくよう、祈っててねー」
 鮮やかな緋色の髪をゆらしつつ、セキヤは房を出ていった。
 イルカは、いま自分がもたらした情報が今後の情勢をどのように展開させていくのか、異様なほどに冴えてきた頭で考えていた。



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