緑蔭        byつう







ACT1



 まったく、あの狸じじいが。
 イルカは牀の上で目を伏せたまま、心の中で毒突いた。
 こういうこともあると予測して、おれにこの任務を割り振ったな。たしかに以前、任務中に似たような方法を使ったことはあるが。
 男がイルカの体をなで回しながら、なにやら卑猥な言葉を口にしている。イルカは眉をひそめて、横を向いた。
 これぐらいでいいだろう。ことさら興奮してみせなくても。
 拒みはしないが、決して本意ではない。そういう顔をしておこう。そして、最後だけ、ちゃんとする。
 自分で「落とした」のだと、思ってくれればいいのだが。
 頭の中で、経過をシミュレートする。次は、こうだな。男の動きに合わせて、不自然でないように。
 イルカは敷布を掴み、わずかに声を上げた。





 雲の国の上級事務官だというこの男に接触して、北方での内乱の正確な情報を手に入れること。そして亡命希望者がいた場合は、その身柄を確保すること。
 それが、火影から内々に命じられた任務だった。
「時期を見て、後続の者を遣わす。目安は十日。それまでに、所司からなるべく多くの情報を引き出しておくように」
 所司とは事務官の役職名である。
「承知」
 イルカは火影から所司に宛てた偽の親書を受け取り、御前を辞した。
 あれから、三日。
 いま、自分は所司の私邸にいる。火影の親書を鵜呑みにした所司が、北部国境の司令官と引き合わせてやると言い出して、イルカを自分の屋敷に招いたのだ。
 向こうから内情を漏らしてくれるのなら、ありがたい。もっとも、それが真実かどうかは、またべつの話だが。
 安易にもたらされる情報は、偽物であることが多い。が、相手がこちらに、どう思わせたいかがわかれば、それはそれで利用価値はある。
 明日、北部の司令官がここに来ることになっている。ということは、内乱はすでに鎮圧されたのだろうか。
 つらつらと考えているあいだに、男は頂点にまでのぼりつめたようだ。イルカはとりあえず思考を中断し、体の命じるままにおのれを放った。
 どさりと、男が横に伏す。息が荒い。ご苦労なことだ。なにも、おれみたいな青二才相手にむきになることはないのに。
 下肢を拭こうと枕元の薄様に手をのばしたとき、窓際に人影が現れた。
 ざっ、と幕が切り裂かれる。突き抜ける殺気。イルカは咄嗟に枕をかざし、飛んできた小柄を受けた。
「うおっ……!」
 所司が、唸るような声を上げて床に転げ落ちた。大腿部に小柄が刺さっている。房事の直後で、まともに動けなかったのか。文官とはいえ、なんとも情けない。
「無粋なことして、ごめんねー」
 楽しげな声。
「でも、終わるまで待っててあげたんだから、悪く思わないでよね」
 牀の陰に身をひそめたまま、イルカは信じられない思いで、その声を聞いた。
 まさか。
 よりにもよって、どうしてこういう場面で、あの男が出てくるんだ。
「そこのお小性さんも、来てもらうよー。怪我したくなかったら、おとなしくしてね。はい、一丁上がりっと」
 声の主は、所司を縛り上げてからイルカの前に立った。
「ほら、早いとこ服着てよ。でないと、ここでやっちゃうよん」
 紅蓮の髪、焦土の瞳。
 二年ぶりに見るセキヤの顔は、イルカの記憶にあるままだった。
 中忍になって最初の任務で、ともに城攻めをした「同志」のような存在。面識がないふりをしているのは、こちらの任務がどんなものなのか、まだ見極めていないからだろう。
 とりあえず、言われた通りに服を着る。
「はーい、よくできました。いい子だねえ」
 くすくすと笑いながら、セキヤはイルカにも縄をかけて、がっちりと後ろ手に縛った。所司の手前、この処置は当然か。イルカは黙ってセキヤに従った。
 庭に出ると、これまた見知った顔が待っていた。
「あれ、まあ、付録かい」
 短いボサボサの髪をかき上げて、醍醐は言った。
「お小性さんは、オレの戦利品ねー」
 セキヤは所司に聞こえるようにそう言って、イルカを担ぎ上げた。
「そっちのおっさんも、カネになるから殺さないようにしてよ。東依になんか遊ばせたら、駄目だからね」
「了解了解。じゃ、引き上げるとするか」
「帰ったら、酒盛りだねっ」
 セキヤはにやりと笑って、印を結んだ。





 セキヤたちのアジトは、やはり山奥にあった。以前の場所からいくらか北に移動したようだが、隠れ里のような小さな村を作って、自給自足の生活を送っているのは変わらない。
「ただいまー。大収穫だよん」
 セキヤは皆が集まった板の間に、イルカを下ろした。まだ縄はついたままだ。
「うわ。どしたんだよ、これ」
 東依が目を丸くした。
「雑魚をすくいに行ったと思ったら、極上の鯛を釣ってきましたね」
 加煎が扇で顔をあおぎつつ、言った。
「俺も驚いたさ。いったいぜんたい、どしたんだい、坊や」
 醍醐が、縛られたままのイルカに訊ねた。
「……巻き添えですよ」
 苦笑まじりに、答える。
 あいかわらずだな。この連中は。
 各国の情報機関と結びつき、時々に応じて自分たちを高く売る。本拠は雲の国と森の国の国界に置いて、水面下でどれほどの仕事をしていることか。
 二年前は、雲の国を裏切って高坂の城を木の葉の国に売りつけたかと思うと、翌年にはふたたび雲の忍たちと結託して、海の国から利権を奪うような真似をする。
 変わり身が早いというか、節操がないというか。しかし、秘密は守るし、腕は確実。表だって動けない仕事を彼らに頼む者が多いのも、頷ける。
「そろそろ、ほどいてもらえませんか」
 イルカはセキヤに向かって、言った。
「あーら、黒髪さんてば。それぐらい自分でできるでしょ」
 にこにこ顔で、セキヤ。
「できないんだったら、このままいただいちゃうよー」
「えーっ、ここでかよ?」
 東依が泣きそうな声を出した。
「そりゃ殺生だよ、セキヤ」
「見せていただけるのはうれしいんですが、おこぼれもなしではねえ」
 空恐ろしいことを淡々と言うのは、加煎だ。
「やるなら、奥へ行ってくれ」
 醍醐が現実的な提案をした。
「俺たちゃここで、ヤケ酒あおってるから」
「飲まなきゃやってらんねえぜ」
 東依が同調する。周りにいた何人かも、「酒」コールで賛同した。
「というわけだから、さっさと縄抜けしてね」
 セキヤが杯に酒をついだ。
「再会を祝して、乾杯したいし」
 祝して、ね。
 イルカはため息まじりに肩と手首を動かして、縄を外した。思いきり締められていたので、手首にくっきりと跡がついている。
「あらら、きつく縛りすぎたかなー」
 本気でやったくせに、しらじらしいことを。
「うーん。いいねえ、坊や。惚れ惚れするよ。白い手首に縄の跡」
 醍醐がうっとりと言う。この男には、そういう趣味があったのか。
「でしょでしょ。クセになっちゃうかもー」
 セキヤが、うきうきと言う。
「おれで遊んで、楽しいですか?」
 一応、訊いてみる。
「もっちろん! 楽しいに決まってるじゃん」
 即答である。まあ、予想はしていたが。
「だいたい、黒髪さんがなかなか、こっち方面の仕事を受けてくれなかったのがいけないんだよー。こいつら、高坂の城であんたと別れてから、もう、うるさいったら。オレが火影のじいさんに裏金掴まされて、あんたを売ったなんて言うんだもん。冤罪だって、証明してよー」
「証明と言われても、困ります」
「あーっ、やっぱり、自分だけいい汁吸ってたんだ、セキヤ」
 東依が叫ぶ。
「うるせえ。もういっぺん、その顔、へこましてやろうか?」
「……それ、冗談にならないですよ」
 イルカがぼそりと言った。加煎も、うんうんと頷きつつ、
「ですねえ。まあ、せっかくのおめでたい席ですし、このへんで乾杯といきませんか」
「よっしゃー。みんな、酒をつげ!」
 醍醐の声を合図にして、その場にいた十人あまりが次々と杯を満たした。
 拉致してきた所司を独房代わりの小屋に放りこんだまま、一同は明け方まで飲めや歌えの大騒ぎを楽しんだ。





「だーめ。黒髪さんは、オレと寝るのっ」
 空が白々と明けてきたころ。
 セキヤはイルカを抱きしめたまま、ほかの三名をにらみつけていた。
「この前は独占したんだから、今度は譲ってくれたっていいだろう」
 醍醐がすごむ。
「そうだよー。なんで、セキヤばっかり……」
 文句は山ほどあるようだが、一度うっかりしたことを言ってセキヤに頬の骨を砕かれたことがあるせいか、東依の語気は鈍い。
「そこまで執着されますと、なおのこと、ねえ?」
 加煎が一重の目を細める。
「一度は味わいたいと思うのが、人情というものでしょう」
「……おまえが言うと、それ、すっごく不穏だよん」
 セキヤは唇をとがらせた。
「いいじゃん、べつに。黒髪さんは、オレのもんなの。そのかわり、あのおっさんの身代金は、全部おまえらにやるからさ」
「まーた、カネで解決しようとしやがって」
 醍醐が愚痴る。
「カネより、俺は坊やがいいね」
「もしかして、縛りたい?」
「おう。いい顔してくれそうだし」
「だよねー。でも、ダメ」
 セキヤはイルカをはなした。
「ほかのものは、全部あげるよ。だから……」
 にっこりと、続ける。
「黒髪さんはオレにちょうだい」
 その場の空気が、一瞬で変わった。
 イルカは、自分のすぐそばにいる男の鬼気を感じた。これがこの男の本質なのか。
 漠然と、わかってはいた。はじめて会ったときから。それゆえ、忍としての自分を賭けたのだ。この男に。
 あのとき、この男は応えてくれた。自分のすべてを認めてくれた。そして、自分は忍として立つことができたのだ。
 最初に、加煎が扇を揺らめかせつつ部屋を出ていった。次に、東依。まるで木偶のように、ぎこちなく戸口に向かう。
 最後に残ったのは、醍醐だった。じっと、イルカとセキヤを見比べる。
「また、坊やと一発、やれるかい」
 高坂の城のときのように。
「そーゆー下品な言い方、やめてよね」
 くすりと、セキヤは笑った。
「やれるよ。きっと。……ね、黒髪さん?」
 いきなり振られても、困る。しかし、この男が所司を拉致したということは、北部の内乱となにかしらの関係があるのかもしれない。
「確約はできませんが」
 イルカはセキヤを見据えた。
「可能性はあります」
「あは。そういう物言い、変わってないねえ」
「お互いさまでしょ」
「はいはい。……というわけよ。わかった?」
 セキヤは、醍醐に最後通牒を渡した。
「……わかったよ」
 醍醐は戸口に向かった。振り向きざまに、言う。
「夕刻に、軍議だ。それでいいな」
「オッケーよん」
 にんまりと笑って、セキヤはイルカの肩を抱いた。
 扉が閉まる。セキヤはゆっくりとイルカに向き直った。
「じゃ、そういうことで」
 唇が、重なる。
「楽しいこと、しようよ」
 セキヤはイルカの体を、牀の上に押し倒した。



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